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アイラの実りが揺れる声  作者: 夜霧ランプ
第八章~アナントと言う猫~
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第四話「彼方への呼びかけ」

 南極地から帰って来ていた朔は、久しぶりにアニマルセラピーを受ける事になった。つまり、アナントと交流する機会が、再び設けられたのだ。

 アナントはキャリーバッグに入れられ、エリスに連れられてトリノの家に運ばれた。

 朔はトリノと一緒に、家のポーチに蹲って、アナントの到着を待っていた。

 恐らく、「アナントが来る」と知ってから、朔がポーチから動かなくなってしまったので、家主が付き添っているのだろう。

「お二人さん。お待たせしました」と、エリスは挨拶した。

「エリス。お疲れ様」と、トリノも挨拶をした。

「アナント」と、朔は挨拶をせずに猫を呼んだ。ヴィノ氏が肩にかけているキャリーバッグに手を伸ばす。

「朔?」と、トリノが、注意をする時のイントネーションで呼び掛けた。

 朔はハッとしたような顔をし、一度瞬いてから、挨拶をした。

「こ……こんにちは」

 それを聞いて、エリスは歯を見せない笑みを浮かべる。

「ああ。こんにちは」

 そう受け答えてから、トリノに招かれて家の中に踏み込んだ。


 アナントは朔の部屋に連れて行かれ、その部屋に「デスクとテキスト」があるのを発見した。

 開きっぱなしのノートブックに、幼い子供が描いたような象形文字が書かれている。

「文字を覚えようとしてるんだね?」と、アナントの代わりにエリスが聞いた。

 朔は頷いたが、恥ずかしそうにノートブックを閉じた。

「なんで隠すの?」と、エリスが意地悪を言うと、「まだ、下手だから」と朔は答えた。

 文字を習い始めたばかりだろうに、もう「上手い下手」が分かっている所が、朔の成長の度合いが曖昧な事を示している。

 そんな風にアナントは感想を持った。


 それから一週間、アナントは朔の前で「唯の猫のふり」をする事になった。

 象徴世界でアナントと言葉が通じていた事は、朔もぼんやりと覚えているらしい。

 しかし、恐らくは象徴世界に肉体を持って入り込んだ時のショックで、彼の南極地での記憶は朧げなようだった。

 セラピー初日の夜。アナントが朔の足元で丸まると、朔はベッドの上に体を起こして、アナントの体を持ち上げて、自分の横に寝かせた。

 アナントは、ぬいぐるみ扱いはやめてくれとばかりに、朔のベッドから降りて、彼の部屋の床に置いてあったクッションの上に移動した。

「アナント」と、朔は声をかけてくる。

 アナントは無視を決め込んだ。

 朔は、暫くアナントがベッドに戻ってこないか待っていたが、遂にしびれを切らしたのか、ベッドから降りてアナントの体を持ち上げた。

 両脇を掴まれ、後足をだらりと下げる事になったアナントは、「なーお」と、抗議の声を上げる。

 片手で数回、朔の顔に向けて、爪を出さない猫パンチをした。体をねじり、後足でも暴れて、少年の手から逃れる。

 すとんと床に着地して、またクッションの上に寝そべった。

 今まで、アナントは朔の前で「否」の様子は見せた事が無い。

 だからこそ始まった「ぬいぐるみ扱い」である事が分かっていたため、アナントはその晩はベッドには行かないようにした。

 朔はクッションの傍らに座り込み、何とかアナントが思い通りに成らないだろうかと、考えているようだった。

「朔。まだ起きてるのかい?」と、トリノの声がする。家主は子供部屋のドアを細く開け、顔をのぞかせた。

 朔は保護者の存在に気付き、トリノの腰に抱き着いた。

「どうしたの?」と、トリノは優しく声をかける。

「アナント。横に、眠ってくれない」と、朔は不平を零した。

「ああ、それはね」と言って、トリノは猫の習性を幼子に伝える。「誰かの顔の近くで寝るって言うのは、猫にとって、とても勇気がいる事なんだよ」

「勇気?」と、朔は復唱する。

「そう。顔の近くで横たわると、何時、相手に噛まれるか分からないだろう? それで、猫も『この人は絶対安全だ』って思わないと、顔の近くでは眠らなんだ」

「ずっと前、アナント、胸の上で眠ってくれた」

「そうか。その時は、アナントもたまたま『気分が良かった』のかもね。今日は、『あなたの顔の近くで眠る気分じゃない』と、言う事なんだろう」

 そうやり取りをすると、朔はまた暫く考えて、「そう……」と、弱弱しく返事をした。

 トリノから離れると、自分でベッドの上に戻り、上掛けとシーツの間に体を滑りこませた。

「お休み」と、トリノは声をかけて、子供部屋を後にした。


 その日の朔の夢の中は、以前より、随分整頓されたものに成っていた。

 青い空に白い雲が浮き、全体的に、白い四角い建物に囲まれている、漆喰の町のように見えた。

 アナントが近くにいるせいか、それとも朔の好みなのか、象徴夢の中を多数の猫が歩いている。

 ざっと見てみただけでも、塀の上に、屋根の上に、漆喰塗りの地面の上に、数十匹の猫がいた。

 アナントは、町の方々(ほうぼう)を見回しながら、噴水のある公園の入り口をくぐった。水の舞う波紋の中を、木の葉がちらちらと泳いでいる。

「よぅ」と、茶トラの猫に声をかけられた。

 アナントはそっちを見ると、「何だい?」と聞き返した。

「お前、トリノの所の坊ちゃんの猫だろう?」と、茶トラは四つ足で歩いて近づいてくると、アナントの顔の周りのにおいを嗅いで、「やっぱりだ」と言う。

「においがついちゃってるか」と、アナントは否定するのを諦めた。「まぁ、たぶん、君が思ってるのと近いよ」

「じゃぁ、あの坊ちゃんが『宿り手』じゃないって事か?」

「そうだね。僕は、一時的にトリノの家に来てるだけなんだ」

「ふーん」と、茶トラは気のない返事をしてから、「あの坊ちゃんが、探している人間がいるって、知ってるかい?」と聞き重ねる。

「誰を探してるって?」と、アナントが返すと、「レンカって言う名前の女の子さ」と、茶トラは答えた。

 茶トラが言うには、朔は、象徴夢の中に現れては、傘を持った女の子を探している。

 町に居る猫達にも、「レンカの事、知らない?」と聞いて歩いていたくらいだ。

 しかし、その女の子は「何処か遠くの場所」に連れられて行ってしまっており、少年はその女の子を見つけられないでいた。

 それで、彼は「領域の外」に呼びかける方法を思いついた。

 この白い町の中にある塔から、電波の様に彼方へ目がけて、エネルギーが送られている。

「坊ちゃんは、レンカって女の子を、この町に呼び寄せようとしてるんだ。その女の子の所に、エネルギーが届いてるか分からないが」

 そこまで聞いて、アナントはふと思い出した。

 アランがノートブックに書いていたレンカの記録の中に、「負」を清められる場所で、「雪の結晶のような形の青い紋章」が現れると記されていた事を。

 朔がレンカを呼び寄せようとしていると言う事は、以前、レンカが列車の係り員達に「湾庵(ミョウラン)の町に行く」と言って居たのは、大人を騙すための嘘ではない。

 彼女は本当に、朔の居る町に来ようとしている。

 アナントは、思わず茶トラに親愛の鼻キスをした。

「ありがとう。それが聞けたのが、何よりの収穫だ」

 アナントがそう言うと、茶トラは視線を上に上げる。

「見てみな」と、茶トラは言った。「今、塔がエネルギーを送り出す所だ」

 アナントが茶トラの見ている方向に視線を向けると、白い大きな塔がある。

 その塔の先端に、青い光が燈った。集中するような間をおいてから、それは町の外へ向けて放たれた。数秒間の光の帯が家並の遠くへ消えると、光は一瞬治まった。

 しかし、数秒後には再び青い光が燈る。

「見事なもんだね」と、アナントは呟いた。

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