第三話「早朝、寺院にて」
黒い長い髪の女の子が、敷石の上に積もっている枯葉と、歩行者の足について来た砂埃を、木作りの箒で掃いて居る。
最初は、アナントもレンカの夢を見ているのかと思っていた。しかし、辺りを見れば、其処は「灰色の町」の中だ。どうやら、目の前に居るのはルシアのほうらしい。
彼女は、夏の早い早朝に起きて、玄関から門への掃き掃除をするお手伝いをしているようだった。
まだ頭を丸めたばかりと言う様子の小坊主が、本殿の中の拭き掃除をしている。
縁側を拭き始めた彼は、ルシアに声をかけてきた。
「姉様。ご無理をなさらないで下さい」
ルシアは箒を操りながら、「良いの。私が好きでやってるんだから」と返事をする。
実際、早朝の空を見る彼女の表情は明るい。
その背丈は、南極地に居た時より伸びており、着ている服の裾が足りなくなり始めていた。
寺院の近くを歩いていたアナントは、ルシアに声をかけた。
「久しぶり。その後の様子は?」
ルシアは、アナントを見つけて目を輝かせた。
「猫さん。もう、体は大丈夫?」
「おかげさまで、毎日ご飯が美味しいよ」
その返事を聞いて、ルシアは声を立てて笑った。だが、何か思い出したように、笑みはすぐに緊張した表情に変わる。
「ねぇ、猫さん」と、彼女は改まって声をかけて来た。「レンカがどうなったかは、分かる?」
「彼女は今、旅に出ているね、船で中央大陸に来ようとしてる」と、アナントは答えた。
ルシアの顔が、少し緩む。
「それじゃぁ、歩けるようにはなったんだ」
そう言ってから、彼女は足元に吐き集めた枯葉と砂を塵取りに受けた。
「最後に見た時は、服も体もすごくボロボロになってたから、心配してたの」
アナントはそれを聞いてから、首を少し傾げ、一つ瞬いた。
「僕としては、君は『ミラ』の事を心配してると思ってたんだけど」
「誰の事だって心配だよ。あの事件に関わった子達は、良くも悪くも、それまで通りじゃいられないだろうから」
「なるほど。君の観察眼は鋭いね」
「猫さんは、朔の事は心配じゃない?」
「元気で暮らしてるって聞いてるから、然程」
アナントがそう答えると、ルシアは眉をへの字に寄せる。
「貴方は、やっぱり猫さんなんだね」
「どう言う意味?」
「外国の猫さんだから、ちょっと違うのかなって思ってたけど、この国の猫さん達と同じような考え方するんだなぁって」
「君も、猫を飼ってるの?」
「ううん。猫は飼ってないけど、私はねぇ……ちょっと違う『血』を持ってるから、猫さん達の秘密も、少しだけ分かるの」
「血?」
「うん。すごく昔から伝わってる、この国で言う霊力って言うものを授かる血を持ってるの」
「ミヒナ達の持ってた力?」
アナントの返事を聞くと、ルシアは一度大きく目を開いた。
何故、それを知ってるのかと問いかけたいような様子だったが、問い質すべきではないと考え直したようだ。
「そうだね」と、ルシアは肯定する。「彼女達の血が、どんどん受け継がれて行って、私と、レンカを作ったんだと思うと、不思議」
「そうだね」と、アナントも肯定する。「全然別の国に居るのに、そっくり同じ外見の子が、同い年で同じ時代に生まれるなんてね」
「因果ってものがあるのかも」
ルシアはそう言いながら、門を内にくぐった。アナントはその後について行く。
「私もレンカも、きっと、ずっとずっと前の世界の行いで、『この時代に双子みたいに生まれる事』を予定されてたんだよ」
「前の世界って何だい?」
「うーんと。この国の教えで、『魂は輪廻を繰り返す』って言う思想と、『輪廻を繰り返しながら、やがて解脱を目指す』って言う考え方があるんだ。
迷いを持って居る魂ほど、何度も輪廻を繰り返す。その迷いが晴れた時に、やっと解脱を得て、浄土に還れるの。
それで、迷いを持ってる同じ魂が、何度も肉体を得る事がある。その事を、前の世界……前世って呼ぶんだ」
アナントは、目を白黒させて、何とかルシアの言葉を理解しようとした。しかし、この星の猫族にとってはチンプンカンプンな考え方である。
「よく分かんないけど、この国の文化圏の人は、そう言う思想を信じて居るんだね」
お茶を濁そうとしてみたが、ルシアも「分からないのは分かっている」と言う風に、口を真一文字に結んだ。
それから言う。
「多分、猫さん達の知ってる『星の秘密』とは、噛み合わない考え方だよ。だって、石船の塔で発掘された古文書が、この考え方の原典だもの」
そうなると、ルシア達は、異なる星の文化を受け継いでいる人々なのだろう。
アナントがそんな事を考えている間に、ルシアは裏庭にある炉の中に、塵取りの中身を捨てた。
「猫さん」と、ルシアは呼びかけてくる。
「何?」と、アナントは応じた。
「もし、レンカの事を知ってるなら、必ず見守ってあげて。きっと、あの子は大きな試練を受ける事になるから」
ルシアの真剣な言葉を聞いて、アナントは一度、天を見上げた。
それから、視線を合わせないように地面を見ると、「出来るだけの努力はするよ」と答えた。
アナントの周りから、「夢」が離れ始める。背から押されるような風を受け、彼は毛皮が泡立った気がした。
ちらりとルシアを方を見ると、レンカと同じ顔持つ彼女の唇が、「お願いね」と呟いたのが分かった。だが、その声は遠く、囁きさえも届かなかった。
夢から目覚め、アナントは「自宅」の中で伸びをした。灰色の町のルシアは、僕の言葉が分かるんだなぁと、新しい発見を頭の中に刻んでおく。
アランに連れられて、実際の世界の寺院に言った事があるが、その時に会ったルシアは、アナントの言葉が分かった風では無かった。
今の所、アナントの言葉が分かるのは、飼い主のアランと、アランの友人のエリス・ヴィノ氏と、象徴世界の中に居る時の朔だけだ。
其処に、「灰色の町に侵入できる誰か」と言う人物達が追加されそうである。
言葉が通じて悪い事は無いのだが、内緒話をしているつもりなのに、それが丸ごと誰かに伝わっていたら大変だ。
アナントの言葉が誰に伝わっているのかは、彼本猫も知っておいて損はないだろう。
アナントは「自宅」から這い出ると、飼い主のベッドに上り、まだ眠っているアランの腕を踏んづけてみた。
すっかり熟睡している「宿り手」は、腕を踏まれたくらいじゃ起きない。
ちゃんとレンカの方を追跡できてるのかなぁと思ってから、アナントは自分の夢とアランの夢が分化している事に気付いた。
それも新しい発見である。今は二人で同じ夢を見ていたら、手が足りないのかも知れない。
アナントはアランのベッドから離れると、自分の皿が置かれている場所に移動し、食べ残して置いたドライフードを齧った。
すると、突然アランがガバリと身を起こし、サイドテーブルに置いてあったノートとペンを手に取った。
目を真っ赤に充血させ、アランは憑りつかれたようにノートにペンを走らせる。
息を荒げながら、ガリガリとペンの音を立て、速記のような文字で、夢の内容をメモして行った。
暫く文字を綴っているうちに、記録係の呼吸は落ち着いて行き、手元の動きも沈静化し、やがてぐらりと上体が背の方に傾いだ。
手から離れたペンが、床のコンクリートの上で跳ねる。
ベッドに腰を掛けた姿勢でノートを書いていたアランは、足を床についたままベッドにあお向け、再び眠り始めた。
何とも忙しない事だ。
アナントはそう思いながら、「サーモン味」のフードをカリポリと咀嚼して居たのであった。




