第二話「エンドロールの中で」
陸塊横断列車に乗っている間、レンカは三回程手荷物検査を受けた。個室の寝台の上に、リュックサックの中身を取り出す。
着替えの衣服が数点、携帯用の栄養剤と栄養食が数点、一リットルの水筒が一本、七番島の地図と、世界地図、ペンが一つとメモ帳、それから、中央陸塊行きの船のチケット。
ついでに車掌達は、「どうして一人で列車に乗ってるの?」と聞いた。
「中央陸塊に行きたいの。湾庵の町でおばあさんが待っているから。それに、一人じゃないよ」と言って、レンカは犬のサクを引き連れているリードを、持ち上げて見せた。
六歳とは思えない、すらすらとした説明と、少女と同じくらいの背丈の犬を見て、大人達は顔を見合わせた。
それから小さな声で話し合い、レンカに向かって「身の周りに気をつけてね。何かあったら、すぐに呼んで下さい」と声をかけた。
「ありがとう」とだけ、レンカは返事をした。
犬のサクの後ろ首の皮膚に埋め込まれたマイクロチップは、常に電波を発している。
その電波を辿り、アクスメディナ政府はレンカ達を追っていた。
その目的は、自分達が見捨てた子供が、どんな行動をとるのかを持続的に観察するためであるが、その「網」がいずれ大物を釣り上げる事を彼等は待っていた。
アナントは、アランを「誘導」しながら、犬のサクの後ろ首に隠れている「チップ」に気付いていた。
アランは、レンカの足取りを追跡するので大変らしい。
これは僕が後で伝えなきゃ。アナントはそう思って、まずは一匹で夢から離脱した。
暗い部屋の中で目を覚ますと、「自宅」に居たアナントは、どうにかして自分が覚えている事を記録しなければと考えた。
あちこち見回してから、自分がベッドにしている抜け毛の山を見た。
白っぽい毛を幾つか選び、それをぺろりと舐めてから、床に貼り付けた。アランがよく使っている文字と同じ形を描くように。
次の日の朝、アランはまず自分が見た夢をノートに書き留めた。
列車に乗っているレンカがどのように行動していたか、犬のサクの様子はどうだったか。
記憶が途切れそうになると、アランの周りを覆っている黒い靄が、スッと彼の耳の中に入って行く。それはアランの頭を刺激し、忘れかけた事を蘇らせた。
気づいたような表情をして、アランはノートにペンを進める。
「列車に乗ってから数日後。レンカは七番島の港町にある『影形』駅で降車し、中央大陸行きの船に乗った。
犬のサクは『介助犬』として受け入れられている。彼の犬種がゴールデンレトリバーであった事が幸いしたようだ」
そのメモを残したノートブックは、次の日にはもうエリス・ヴィノ氏の手に渡った。
彼はノートブックを読みながら、「船にはもう乗ったのか」と呟いた。「それから、『湾庵』の町に向かっている、と判断して良いのかな」
「いや、それは大人相手に吐いた嘘かもしれないよ?」と、アランは口を挟む。「それか、当てが無くて、聞いた事のある町の名前を挙げたとか」
エリスとアランは暫く話し合った。
「アナントの意見は?」と、エリスは尋ねる。
「今は『自宅』かな」と言って、アランは身をかがめ、キリクスのソファベッドの下を覗き込んだ。そして其処に、昼寝をしている猫と、何かを書いている猫の毛を見つけた。
「マイクロチップ」の存在は、エリスやアランの表情を緊張させた。
「朔のもとに辿り着いてしまう前に、アクスメディナ政府からの追跡を解除しないとなぁ」と、エリスは考え込む。
「保護したらすぐにバーナードとレンカを引き離すの?」と、アラン。
「必要であれば、そうせざる得ないね。レンカと再会させるのはバーナードの首の手術をしてから、になるかな」
そんなやり取りをしている二人の声を背景音として、アナントはまだ夢の中に居る。
猫の習性として、日が昇って落ちるまでの昼の間も、数分間から数時間のうたた寝が必要なのだ。
その夢の中で、アナントは灰色の町を散策している。後足で立っている猫達が、四つ足で歩いているアナントを見つけては、会釈をした。
街角の電気屋では、テレビが「星降る夜のカスパール」の最終話を放映していた。
凍える風に針葉樹が凍る日。
「幸福の町」での問題を解決したカスパール少年と、猫のカスパールは、女教皇からの啓示で、「帰るべき場所」を選ぶ。
カスパール少年は、「本当の愛情がある場所」と答え、猫のカスパールは辺りを見回してから、「永遠に冬が来ない場所」と答えた。
雪が降る場所に住んでいたカスパール少年は、猫のカスパールが自分の下から離れようとしていると知り、ショックを受けた。
「一緒に、帰ろうよ」と、カスパール少年は、猫に声をかける。
猫のカスパールは、笑むように口をほころばせて、「君が、僕の望む場所について来てくれても、良いんだよ?」と申し出た。
カスパール少年は、「それは……」と、言いかけた。
猫のカスパールが言う。
「僕と君の間には、愛情は無くても、本当の友情があると思うんだ」
カスパール少年は、一度下を見て、勢いよく顔を上げると、「カスパール」と呼びかけた。
女教皇は微笑みを浮かべ、奇跡の力で、猫の前に「永遠の夏が続く世界」への扉を開けた。
猫はカスパール少年を振り返り、頷くような仕草をすると、尻尾を高く上げて先に歩き始めた。
カスパール少年も、希望に顔を輝かせて猫の後について行く。
その扉を通り抜ける頃、燦々と降り注ぐ夏の日差しが、一人と一匹に降り注いできた。
アナントとしては、思わず拍手がしたくなる大団円だった。
それまでの、カスパール少年と猫のカスパールの大冒険を知っている身として、最後の決断で少年が猫との友情を選んでくれたことが、何にしろ嬉しいものであった。
憧れ続けた愛情に勝る友情かぁ……と、アナントは心の中で感想を言語化した。
エンドロールと、バイオリン演奏のエンディングテーマが流れる間、テレビを見ていた猫達が、手を取って踊り始めた。
大人の猫も子供の猫も、後足で立ってる猫も四つ足で歩いている猫も、みんな町の一角にごった返して、バレリーナの様にくるくると踊り始める。
確かに、猫族にしてみたら、何時も「何も分かっちゃいない奴だ」と思っている、人間と言う「面倒を看なきゃならない奴等」が、ようやく自分達の友情を理解してくれた気分だろう。
猫達は、人間を愛してはいない。だが、確実に友情は持って居る。生涯を共有して良い相棒として、人間達を認めてあげているのだ。
だからこそ、人間が生きて居られる環境を守るために、今でも「羽」達を空に返す儀式を、各地で続けているのだから。
ふっと目を開けると、ドアが半分開いていて、エリスが帰る所だった。ラフなスニーカーシューズの足音が、扉の向こうに歩いて行く。
はてさて、伝言は伝わったかな? と思って、文字を書いておいた毛の方を見てみたが、そのまま残されていた。
アランの安っぽいなりに、手入れをしっかりしている革靴の音が近づいてきて、ソファベッドの前で膝をつく。
覗き込んだ、よく知っている顔が、ぱちくりと目を瞬く。
「ああ。起きてたの?」と、何とも間抜けな声が聞こえる。
この宿り手は、最後の決断を求められたら、物語の中の少年のように、僕との友情を選んでくれるだろうか。
少しそう考えてから、「今日はササミ味にして」と注文を付けた。
アランは――恐らく愛想笑いだろうが――口の端を吊り上げて、「了解」と答えると、ドライフードの箱を取り出しに行った。




