第八話「彼女の足跡」
次の夢の中では、ミラに手伝ってもらって、「黒い森」の中を精査した。
草の影や枝の影に覆われてしまって、よく見えない所の影を引っぺがして、その向こう側の景色を見てみると言う、ちょっと荒っぽいやり方だ。
一気に影を剥がすと、情報量が多すぎて僕の脳にダメージになるそうなので、なるべく一ヶ所か二ヶ所、多くても三ヶ所くらいの影を引っぺがして確認してから、また影を戻すと言うのを繰り返した。
その時に見つけ出したレンカの様子は、次の通りである。
小さな村を、犬のサクと一緒に歩いていた時だ。
空は青く澄んでいるが、地面の近くを通る風は、指先が痛くなるほど冷たい。
彼女の視界はフラフラして居る。そして重い頭痛に悩まされていた。
金銭と引き換えに、様々な人間の「負」を吸い取るようになって一週間。体調が日に日に悪くなって行く。
体調が悪くなるごとに、あの子供の声の幻聴も強くなる。昨日から聞こえるようになった言葉はこれだ。
「そげてしまった。ひりついている。かげはみずにつけぇ。みずにつけぇ。それでにえたぎってしまったら。それはしらないねぇ」
影を水に浸けろと言う言葉は、何となく覚えがある。
研究施設に居た時は、幾ら「負」を吸い取っても、「洗浄」と呼ばれる作業を受けると、眩暈も頭痛も綺麗に消えてしまって居た。
何処か、体を洗える場所は……。
レンカはそう思って、小屋のような家が点在する辺りを見回した。
視界がぐるんと回転する。その途端、レンカは意識を失い、地面に伏した。耳元で、犬のサクが一生懸命吠えていた。
次に見えたのは、レンカがエイラの家に運び込まれてからの事だ。見た事の無い白猫が、じっとレンカの顔を覗き込んでいる。
「気ぃついたかい」と、エイラ老婆の声が聞こえた。「まず、これ食べぇ」と言って、老婆は八つに切ったオレンジを山ほど皿に乗せて出してくれた。
空腹は感じなかったが、ひどく喉が渇いていたので、レンカはまだフラフラする頭をどうにか持ち上げ、ベッドのスプリングに肘をついて上体を起こした。
果物を手に取り、噛みついて皮からルビー色の実を削ぐ。唇をしっかり閉じ、口に含んだ分を零さないように噛み砕いた。
一個食べると、胃袋が急激に「次の一口」を要求してくる。
皿一杯に盛られていた果物は、見る間に無くなった。
次に、老婆は手桶とタオルを差し出してくる。
「家の裏から、獣道を通って行くと、禊ぎ場に出る。風呂ほどの大きさのある泉だて。そこで洗い流してこい」
訛りの強い話し方だったが、何をすべきかはレンカも承知した。
実際に禊ぎ場に着くと、大きめの風呂ほどの広さがある、冷泉が通っていた。
手桶に水を汲み、手を水に浸けてから、心臓の位置に冷水を当てる。
内臓がビックリしないように、胴体から順番に水をかけて行った。
しかし、冷え冷えとした風が禊ぎ場を吹き抜け、水をかけた場所から凍えそうである。
そして思った。
水を浴びるより、泉の中に潜ったほうが温かいのでは? と。
試しに、泉の水に手を突っ込んでみる。空気中で浴びるより、少し生温かいような気がする。
泉の深さが分からないので、縁から手を離さないようにしながら、そろりと足を水に浸け、腰、胸、肩まで浸かった。
六歳の子供の身長よりは、泉は少し深いようだ。
思った通り、水の中のほうが生暖かくて心地好い。ようやく体が楽になってくる気がして、レンカは、ふぅと溜息を吐いた。
その時、背中の方から、何かの熱を感じた。水に浸かっているのに、背中の方が温かいのだ。
振り返ってみると、雪の結晶の形をした徴が、泉の表面で光っていた。
次の場面では、レンカはエイラ老婆が「影を見る者」である事を、語って聞かされていた。
老婆は、小鍋の中で豆を煮ながら、時々スプーンで掻きまわす。
「ずうっと昔から見えてたわけじゃない。シッポがうちに居就くようになってから、見えるようになったんだ」
シッポと言うのは、レンカが正気付いた時に、顔を覗き込んでいた白猫の事らしい。その猫の力を借りて、エイラは「他人に憑いている影を見る事が出来る」のだそうだ。
しかし、影を見る事が出来ても、禊ぎ場で身を清める以外に、エイラも影の払い方は知らない。
バスタオルにくるまったまま蜂蜜茶を飲み、レンカはエイラの話を聞いている。
小鍋の中に塩を足し、老婆は語る。
「お前には、古くてしつこい者が憑いている。封じたまま、次に託すか。それともお前の番で決着をつけるかは、今後の身の振り方で、決まってくるだろう」
レンカは、特に怯える様子もなく、「そっか」とだけ答えた。
次の見つけたのは、レンカがエイラの元を去るシーンだ。
「道中、気ぃつけてな」と、老婆は声をかけた。
レンカは口元に笑みを浮かべて、「大丈夫。エイラ婆、今までありがとう」と答えると、手を振りながら家から離れた。
レンカは、エイラが手を振ってくれているのを確認してから、犬のほうに向きなおった。
「よし。サク。まずは、列車に乗れる駅に行こう」
犬は、「合点!」とでも言いたげに、尻尾を振り、「ワオン」と鳴いて見せた。
山間の村の中から、なるべく勾配の少ない道を選んで歩いて行く。
小麦畑の間を抜け、日照りの中を歩いて行くと、段々と喉が乾いて来た。
周りには、小麦栽培のための用水が引かれているが、恐らく飲める水じゃない。
エイラからもらった水筒に入って居る水は、僅か一リットル。
「これは、壮絶な我慢大会をしなきゃならないな」と、レンカは呟く。
何せ、自分の分だけではなく、傍らの相棒にも「飲める水」を分けてあげなければならないのだから。
そこまで見てから、僕は深呼吸と共に目を覚ました。枕に顔を押し付けて眠って居たからだ。
「あー。頭がぐらぐらする」とか何とか、ぶつぶつ言いながら、僕は何時も通りに机に移動する。
今日に見た分の、レンカの様子をノートにメモしていると、アナントが「細かい部分」を補足する助言をくれた。
矢印をたくさん引っ張って「細かい部分」まで記載していると、キリクスが朝食のプレートを食卓用のテーブルに乗せる。
「先生。トーストが冷めますよ」と声がかかる。
「うん。もうちょっと」と答えて、切りの良い所どころか、思い出せる分は全部したためてから、ようやくテーブルに着いた。
冷めかけたトーストを口に運び、乾きかけた目玉焼きと、ドレッシングのかかったサラダを食べ、淹れたてのコーヒーを啜る。
なんだかんだ言って、僕も満たされた生活をしているのであるなぁ。
子供達の大冒険を「夢の中」や「イメージの中」で見聞きしながら、ちゃんと朝には朝食が用意される。
それなのに、僕が主に見守る事になる子供達は、家もない状態で「誰かを探す旅」に出たりしている。
本当に、こんな事で良いんでしょうかねぇ?
朝ご飯明けにそう綴っていたら、アナントが「仕方ないよ。君は、観て聴く事しか出来なんだから」と言ってくる。
そうなのだ。僕の無力な所としては、「観て聴く」事が出来るのに、それ以上の事が出来ないと言う不都合な所である。
だけど、ずっと前はアナントの「夢を見る能力」に引っ張られて、僕も予知めいた事が出来ていたりした覚えがある。
レンカの状態を追うのも良いんだけど、そろそろメリュー達の話も聞きたくなってきた。
頭をリフレッシュさせるためにも、遠い国のおとぎ話を聞かせてくれと、ヴィノ氏をせっついてみようかな。
それとも、「この大変な時に」と、呆れられるだろうか。




