5話
イケメンと言われてもなんら動じることなく葵は柔らかな雰囲気で会釈してみせる。慣れているのだろうか、随分と対応がスマートだ。
「え、ちょっと、どういうことよすすき。あんなイケメン知り合いにいたっけ。どういう繋がりよ」
「いや、あの、なんていうか……」
さすがに昨日出会ってお試し夫婦生活していますなんて言えない。かと言ってどう説明するか分からずにしどろもどろしていると、葵は爽やかな笑みを浮かべた。
「すすきちゃんとは先日から結婚を前提にお付き合いさせてもらってます。どうぞよろしく」
さらっと放つ言葉は真実からそう遠くない。違いますとも言えず、すすきは黙って笑顔になるしかない。
「えーーっ!? まって、昨日言ってた知り合いの家に泊まったって、もしかしてこの人??」
肩をがくがくと揺らされて返事もなにも出来やしない。だが突然動きがぴたりと止まった。
「いや待って。運が悪いあんたのことよ。喜んであげたいのは山々だけど、騙されてる可能性も視野に入れさせてちょうだい」
疑わしい目で葵を見て小声で話す芽衣。
そしてすすきを背に隠すようにして、葵の前に立ちはだかった。
「すみません、不躾な質問で申し訳ないんですけど少しいいですか。すすきの今後に関わるので」
トゲトゲしい声に気を悪くするでもなく、葵は「どうぞ」と答える。むしろどこか楽しげに見えるのは気のせいだろうか。
「お付き合いしてるのはすすきだけですか。他にも女の人がいるんじゃないですか」
「すすきちゃんだけです」
ズバリひとこと。しかし質問はこれだけに留まらず、内容のトゲトゲしさも増していく。
「大きな借金は」
「ありません」
「三ヶ月後に死んでしまうような大病は」
「いたって健康です」
「タバコ」
「吸いません」
「お酒」
「付き合い程度に」
「ギャンブル」
「しないです」
淡々としたやりとりだ。全てが初耳だったが、葵に関することはほぼ知らないと言っていい。すすきが知っているのは、困っている所を助けてくれた優しさと、柔らかな笑み。そしてあのきれいな瞳だけだ。……しかし、そこまで考えて小さく首を振った。まだ知っている。朝ごはんは軽く食べる、コーヒーが好き、トマトは苦手、だけど潤さん出すのは平気。事務所の所長さん。鎖骨のあたりに小さなほくろがある。けっこう色々知っているなと、すすきは思い出して顔を赤らめた。
「好きな漫画は」
「HUNTER+HUNTERは新刊出たら買っちゃうな」
「く、なんいいチョイス」
あまり漫画本を読まないすすきにとっては何の話かよくわからない。話の腰が折れたのか、芽衣はコホンと咳払いをした。
「ええと、失礼な質問ばかりしてすみませんでした。ひとまずすすきはお預けします。でも、もし彼女を泣かせたら容赦なく殴りに行きますから」
気が済んだのか、芽衣はぺこりと頭を下げた。まだ疑わしそうな目をしているが、この場はこれ以上なにも言わないようだ。
「すすきちゃんはいい友だちを持ってるんだね」
「……はい。芽衣は、とっても大事な友だちです」
そう言うと芽衣は「照れるなあ」と頭をかいた。心がまっすぐで、ころころと表情が変わるこの友人が好きだ。すすきの信頼を一身に受ける芽衣を見て、葵は少しだけうらやましそうな表情をしていた。
◇
芽衣と別れ、アパートからほんの少しの荷物を持ちだして、すすきはその場を後にした。老朽化に加え今回の火災でアパートは取り壊しが決まり、賃貸契約はこの日をもって解消されることになった。
「大変なことになっちゃったけど、ひとまずうちで生活すればいいから安心してね」
甘えるしかできないこの状況に申し訳なさで胸がいっぱいになった。
「俺たち、まだお試しだけど夫婦だから。ひとりで抱え込まなくていいよ」
葵を見上げる。片親家庭で育ったので夫婦というものがどんなものなのか、いまいちピンとこない。
「まだよくわからないんです。……でも、ありがとうございます。葵さんに救われています」
もし葵が悪い人で、最後に捨てられるのだとしても。それを享受できるくらの優しさをすでにもらっているとすすきは思った。身を委ねたあとにひどい目にあうのもいいのかもしれない。それだったらいい事と悪いことのバランスが取れて、公平だ。むしろそれくらいしてくれないと、葵に何も返してあげられない。
途中でコンビニに寄って休憩しつつ、これからどうするかを話した。家財一切がダメになった今、すすきの持ち物は両手で抱えるほどしかない。アパートから預金通帳は取ってきたので、それでお金をおろして当面の服や下着を買うことにした。葵が買ってあげると言うが、それは全力で断る。近くにある大型ショッピングセンターに連れて行ってもらい、猛スピードで買いものを済ませた。途中で小さな女の子のソフトクリームが足にベッタリとくっつくハプニングがあったが、珍しくもないのでさっと拭いて女の子に台無しにしてしまったソフトクリームのお金を渡す。
葵の時間をだいぶ使ってしまったことに申し訳なさが込み上げた。せめてものお返しにとコーヒーショップでホットコーヒーを買って差し入れた。それくらいが精いっぱいだった。葵は気にしなくていいとは言うが、午前中からずっとすすきに付き添っているのだ。
車に戻って改めて謝罪と礼を言うと、葵はにこりと笑った。いつもの優しい笑顔とは違って、どこか艶のある雰囲気だ。
「それじゃ、ご褒美タイムを俺にくれない」
二人きりの薄暗い車内。退路のない空間でじりじりと葵が迫ってきて、唇を奪われた。ほのかなコーヒーの香りに頭がくらくらする。一度では終わらず、二度三度と重なる口付けは、すすきを溺れさせるようであった。




