表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/53

第9話「HY」

 数日後――。


 自室にいた貴聞きぶんは、不意に君野きみのからもらったUFOキャッチャーのぬいぐるみを手に取った。


 着ていた簡素な服は脱がされ、その身体にはサイズぴったりの白い絹のドレスが着せられている。


 貴聞はそれを鼻先へ寄せた。


 新品特有の匂いはもう薄れ、自分の枕と同じ香りへ変わり始めている。


 もう吉郎は、この家の住人だ。


 本人にはまだ伝えられない想いを、人形へ静かに注ぐ。


 ぬいぐるみを頬へ押し当て、愛おしそうに撫でた。


「……」


 やがて、右手で机の引き出しに触れる。


 指先だけで暗証操作を済ませると、小さな解錠音が鳴った。


 中には、黒い指輪ケース。


 開くと、少し歪んだシルバーリングが収まっていた。


 内側には、木の枝で砂浜へ刻んだような文字。


『HY』


「HY……」


 静かに指先へ乗せる。


 これは、吉郎のリュックから見つけたものだった。


 彼氏から贈られたものだろう。


 だが、相手の名前にはHもYも入っていない。


堀田吉郎ほったよしろう……」


 共有ではなく、所有。


 とても歪で、作り手の思いが溢れている。


 あの彼氏は、自分の存在を刻み込むために、この指輪を作ったのだ。


 召使いだった頃、吉郎が語っていた支離滅裂な恋人との生活。


 その違和感が、この指輪を見て少しだけ繋がった気がした。


 ……どうやって、ここまで吉郎を惹きつけたんだろう。


 貴聞はリングをぬいぐるみの腕へ掛けようとした。


 しかし、ころりと滑り落ちる。


「あ」


 指輪は床を転がり、扉の前で止まった。


 僕から逃げても、しょうがないのに。


 そのときだった。


 コンコンコン。


 3度のノック。


 入室した等々とうとうげんは、主人の視線を追い、足元に落ちたリングを拾い上げた。


「ねえ、等々元。それにシルバーのチェーンを付けてくれない?」


「アクセサリーとしてお使いになるご予定でしょうか」


「うん。吉郎の大切なリングだから。できれば早く」


「かしこまりました」


 等々元はリングを胸元の白布で丁寧に包み、懐へ収める。


 その一連の所作に、無駄はなかった。


「吉郎の今日の様子は?」


「ホームシックと申しましょうか。想い人に会えず、気落ちされているご様子でした」


「そっか」


 貴聞は柔らかく微笑む。


「なら、この指輪は喜ぶね」


 そして、ぬいぐるみへ視線を落とした。


「あ、それとさ。吉郎はもう召使いじゃないから、この子には蝶ネクタイを毎日替えてあげて。リボンでもいい。人形用に切ってくれれば」


「承知いたしました」


 等々元はぬいぐるみを(うやうや)しく受け取った。




 その頃――。


 堀田ほったは、戻ってこない君野の行方を追い続けていた。


 大学の課題は放り出した。


 見つかるまで、大学へ行くつもりもない。


 警察にも届け出たが、有力な情報は何1つ入ってこなかった。


 足を使い、SNSを使い、考えられる限りの手段で探し続ける毎日だった。


「くそ……。身代金の要求すらないなんて」


 頭を抱えた、そのとき。


 ピンポーン。


 静まり返ったアパートに、インターホンが鳴った。


 玄関を開けると、荷物を抱えた配達員が立っている。


「ご苦労様です」


 荷物を受け取ろうとすると、ベテランらしい配達員がふと思い出したように口を開いた。


「最近、あの子見ないですね。君野くん」


「え……あ、はい。その……いなくなってしまって」


「えっ!?いなくなったんですか?痴情のもつれとか?」


 なんで、そんなことまで聞くんだ。


 一瞬、不快感がよぎる。


 だが、この人は俺が嫉妬するほど吉郎と親しかった。


 今は少しでも、一緒に心配してくれる人がいるだけでありがたかった。


「あ、いや……それはないと思います。バイト帰りに、突然いなくなってしまって……」


 俺の沈んだ表情に、配達員は目を丸くした。


「どの辺で?」


 白戸家でのアルバイトや帰宅時間、その日の服装まで、思い出せる限りを伝えた。


 配達員は何度も頷き、荷物を渡して帰っていった。



 それから数日後。


 俺は一直線に白戸家へ向かっていた。


 今朝、偶然外へ出たとき、あの配達員が血相を変えて声を掛けてきたのだ。


 白戸家には、連日配達が入っているという。


 1週間ほど前。


 荷物を届けた際、屋敷の奥から犬と遊ぶ青年の笑い声が聞こえた。


 そして昨日も、同じ高い笑い声が犬の鳴き声と一緒に聞こえたという。


 吉郎がいなくなってから、ずっと。


 つまり――。


 吉郎は、まだ白戸家にいる。


 晴れ渡った空の下。


 巨大な鉄門を見上げ、唾を飲み込んだ。


 遠くから見ても威圧感のある屋敷。


 まるで映画のスパイにでもなった気分だった。


 そのとき、1台の黒塗りの高級車が門を抜けて外へ出る。


 車を見送るためか、門は開いたままだ。


 全身に電流が走った。


 ――今だ。


 ためらわず駆け出す。


 だが、門の陰から召使いが1人現れ、車を見送るため外へ出てきた。


 目が合う。


 一瞬だけ足を止めた。


 次の瞬間、自ら足を払って大きく転ぶ。


「うわっ……!」


 派手に地面へ倒れ込み、苦しそうに顔をしかめた。


「お怪我ですか!?」


 死角にいた召使いたちまで、慌てて駆け寄ってくる。


「す、すみません……急に門が開いて……」


 息を切らしながら演技を続ける。


 その目だけは、屋敷の奥を必死に探していた。


 召使いたちは警戒しながらも、倒れた若者を放ってはおけない。


 張り詰めた空気が流れる。


 全員の視線が自分へ集まったことを確認した。


 ――吉郎は必ず、この中にいる。


「あの……水をいただけませんか」


「水を持ってこい!」


 1人のメイドが館へ駆け出す。


 その瞬間。


 俺は立ち上がった。


「……もう大丈夫そうです」


 そう言い終わるより早く、門の奥へ全力で駆け出す。


「あっ!!待て!!」


「きゃっ!」


 メイドが入った扉を、勢いよく開け放った。


 ――あそこか…!


 悲鳴が響く中、屋敷中へ向かって叫ぶ。


「吉郎!!どこだ!!俺だ!!」


 その声に反応するように、屋敷中の召使いたちが次々と姿を現す。


 すぐに追いつかれ、数人がかりで床へ押さえつけられた。



「え!?今……堀田くん!?」


 その頃。


 部屋にいた君野は、開け放たれた窓から恋人の声を聞いた。


 召使いたちの怒号に混じって、それでもはっきりと聞こえる。


「来てくれたんだ……!!」


 君野は慌てて部屋を飛び出した。


 広間へ向かおうと廊下へ出た、そのとき――。


「吉郎」


 進む先を、貴聞が静かに塞いでいた。


「貴聞くん!聞いた?さっき堀田くんの声がした!」


「聞こえているよ」


 貴聞は穏やかな表情のまま、白い部屋着のワンピース姿の君野へ歩み寄った。


 その姿も、もう見慣れてしまった。


「生活は慣れた?」


「う、うーん……。生活は優雅だし、遊ぶのも楽しいけどね」


「何か物足りない?」


「強いて言うなら堀田くんかな。会いに行ってもいい?彼は、その……恋人ごっこじゃないから」


 君野は今にも走り出しそうに足踏みをする。


「ちょっと待って」


 貴聞は胸元のアクセサリーを外し、そのまま君野の首へ掛けた。


「これは?」


 胸元で揺れるチェーンの先には、1つのリング。


「HYだよ」


「HY?」


 貴聞はリングの内側を指差した。


「……あっ!これ、僕と堀田くんの指輪だ!ここに来る前、堀田くんがキスしてくれたの。それでね、『僕と堀田くんじゃなくて、堀田吉郎って意味』って笑ってた!」


「大事なものなんでしょ?だから等々元(とうとうげん)に頼んでチェーンにしてもらったんだ。これなら失くさないでしょ」


 君野はリングをそっと握りしめる。


「うん!ありがとう!」


 屋敷へ来てから、1番嬉しそうな笑顔だった。


「早くプログラムを終えて、自由になろうね!」


「そうだね」


 貴聞も微笑む。


「でも、このプログラムのことは誰にも話さないで。僕との約束、守れる?」


「うん!」


 君野は力強く頷いた。


 2人は並んで広間へ向かった。


 そこでは5人がかりで、堀田が大理石の床へ押さえつけられていた。


「堀田くん!!」


 君野の声に、堀田が勢いよく顔を上げる。


「吉郎!!いたのか!ていうか、その格好は何だよ!」


 召使いたちが拘束を解く。


 堀田は立ち上がるなり、君野の前まで歩み寄った。


「帰るぞ!」


「あ、あのね、堀田くん……」


 君野は困ったように視線を泳がせる。


「僕、まだこの屋敷にいることになってるの」


「は……!?」


 堀田は絶句した。


「どういうことだよ。なんで帰れない?」


「その……恋人ごっこで」


「恋人ごっこ?」


 堀田の眉間に深い皺が寄る。


「何言ってるんだ?」


「でも、ほら!」


 君野は胸元のリングを嬉しそうに持ち上げた。


「これ、大事に持ってるから!」


 その笑顔を見ても、堀田には状況がまるで理解できない。


 恋人ごっこ。


 屋敷。


 リング。


 どれも繋がらない。


 ゆっくりと顔を上げる。


 2つに分かれた大階段。


 その上に、1人の青年が静かに立っていた。


「……あ!!」


 それはいつか見た、ポスト漁りの坊ちゃんだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ