第8話「恋人ごっこ」
翌日も、君野は白戸家の屋敷に住まわされていた。
結局、堀田へ無事を伝えることは許されないまま、2日目の朝を迎えている。
白い部屋着のワンピースは、そのまま。
高級ホテルのように上質なシーツは、寝返りを打つたび、身体がつるりと滑る。
出される食事も、どれも豪勢だった。
だが、2日目になっても君野の口には馴染まない。
分かりやすい味が好きな君野は、豪華な皿に盛られた黒く丸い粒を、フォークの先で追い回していた。
まるでBB弾だ。
「焼きそば……」
小さく呟く。
傍らで紅茶を注いでいた等々元が、ゆっくりと顔を上げた。
「お口に合いませんか?」
「……ヨーグルトだけ食べます」
君野はドライフルーツ入りのヨーグルトを口に含み、頬を膨らませた。
「僕、朝はバナナ1本あれば大丈夫です……」
「吉郎様。どうか、そのように身構えずに。当家にとっては大切なお客様でございます。ご無理をなさらず、自然にお過ごしくださいませ」
「だって変だよ。等々元さん、僕の上司だったのに……」
昨日まで働き方を教わっていた相手が、今は自分へ頭を下げている。
教養も作法もない僕に、そこまでしなくていいのに。
申し訳なさばかりが膨らんでいく。
すると等々元は、畳まれた衣服を差し出した。
「貴聞様より仰せつかっております。本日は、こちらをお召しくださいませ」
「これ?」
畳まれていても分かる。
パーカーとデニムだった。
「君野様にこそ、お似合いかと存じます」
「僕の家から持ってきたの?」
「いいえ。すべて新調したものでございます」
「なんか……僕の家にある服みたい」
生地へ触れた瞬間、目頭が熱くなった。
懐かしい。
そう感じてしまうこと自体が、今の異常な状況を際立たせる。
堀田くん、今ごろ何してるのかな。
僕、いつ帰れるんだろう。
「はあ……」
君野は布団の中へ潜り、もぞもぞとパーカーとデニムへ着替えた。
これで少しだけ、自分を取り戻せた気がする。
「君野様。お足を少し、お預けいただけますか。こちらでお履かせいたします」
「え?靴下くらい自分で――」
言い終える前に、等々元がベッドから伸びた足へ靴下を通していく。
されるがままになりながら、君野は近づいた執事から漂う上品な香りに気づいた。
「お待たせいたしました」
コンコンコン。
3度、扉を叩く音が響く。
等々元が応対すると、貴聞が部屋へ入ってきた。
「おはよう、君野さん」
「おはようございます!貴聞様!」
君野の身体に緊張が走る。
反射的にベッドから立ち上がり、兵隊のように背筋を伸ばした。
その姿に、貴聞がくすりと笑う。
「もう君野さんは、特別な客人です。僕にかしこまるのはやめてください。それに今は、その……恋人ごっこの最中ですし」
「あ、ごっこ……」
そうだった。
でも、どうしてこんなことになったんだろう。
眠らされたあの日、貴聞くんの告白は…
今は聞くのが怖かった。
「だから、お互い敬語はやめましょう。父からも、そう見えるようにしないといけませんから」
貴聞は顔を赤くし、長い指でズボンの生地をぎゅっと握った。
そうだ。
貴聞様だって苦しい。
しかも、まだ高校生だ。
大人の僕が、しっかりしてあげなければ。
「分かった!貴聞くんでいい?僕のことも好きに呼んで!」
「じゃあ……吉郎って呼んでもいい?」
「うん!いいよ!」
君野がにかっと笑うと、貴聞も嬉しそうに微笑んだ。
等々元はその様子を見守りながら、控えめに小さな拍手を送る。
「吉郎、そのパーカー似合ってる。僕が選んだんだ」
「そうなの?ありがとう!」
「それで……一緒にデートしたくて」
「うん!いいよ」
「本当?じゃあ、もう準備できた?」
貴聞は、いつもの黒いスーツ姿だった。
君野は一瞬、自分だけこんなにカジュアルでいいのかと思ったが、年下の男の子の頼みだ。
深く考えるのはやめた。
「いってらっしゃいませ」
等々元に見送られ、2人は屋敷を出た。
用意されていたタクシーへ乗り込むと、貴聞は慣れた様子で運転手へ行き先を告げる。
タクシーに乗ったことすらない君野は、貴聞と運転手の顔を交互に見ることしかできなかった。
「吉郎と、庶民的なデートがしたかったんだ。それで今日は、食べ歩きができる市場へ行こうと思って」
「市場?」
「店がたくさん並んでいて、焼きそばも串焼きも、いろいろ食べられるみたい」
君野の目が輝く。
「でも、僕と味の好み合うかな?当主様に怒られない?」
「怒られはしないよ。ただ、育った環境もあって、やったことのないものが多くて。吉郎は、いろいろ知ってるでしょ?」
「えへへ!大好きだよ」
食べ歩きが、という意味だった。
だが貴聞は、さっと顔を伏せてしまう。
「さっきから目が合わないけど、どうしたの?」
「あ、いや……その……吉郎が、ずっと推しだったから」
「推し?オスとメスの中間みたいなやつ?」
「それは僕にも分からないけど……ファンってこと。今こうして、一緒にタクシーへ乗ってるなんて信じられなくて」
「僕のファン?ええっ!」
「変かな。恋人ごっこではあるけど、僕にとっては半分、ごっこじゃないみたいな……。でも困るよね。彼氏がいるって言ってたし」
「うーん……でも、嬉しい。ありがとう」
思わず、有名人にでもなったような気分で胸を張る。
こんな御曹司が、僕のファン。
変なの。
でも、自由に生きている人へ憧れることもあるのかもしれない。
それに、プログラムの被害者は僕だけじゃない。
家柄まで背負わされている貴聞くんの方が、きっと苦しい。
君野は膝の上で小さく拳を握った。
僕が、しっかり守ってあげよう。
二人が市場へ着くと、春休みということもあり、多くの人で賑わっていた。
人混みの隙間を縫いながら石畳を進み、変わり種の串焼きや苺飴、だし巻き卵を食べて回る。
君野は「推し」と言われた余韻に浸りながら、頼れる先輩を意識して貴聞を案内した。
買ったものを抱え、外のテラス席があるイートインスペースへ腰を下ろす。
君野はおにぎりを頬張り、満足そうに眉を上げた。
「こういう味が一番落ち着くなあ」
食事を終えると、二人は市場を出て、その先にある繁華街へ向かった。
「吉郎って、ゲーム好きなんだよね?」
「うん。なんでもやるよ。テレビゲームも、パソコンも、スマホも、ゲームセンターも!」
「じゃあさ、あれもできる?」
貴聞は横断歩道の向こうにある、娯楽施設の入ったビルを指さした。
1階はすべてゲームセンターになっているらしく、外からでも何台ものUFOキャッチャーが並んでいるのが見える。
「やったことないの?」
「うん。本当は前からやってみたかったんだ。この機会に、吉郎が教えてくれない?」
「いいよ!!」
店内へ入るなり、二人はメダルゲームに目を奪われた。
貴聞は金色のカードを使い、両替機から大量の100円玉とメダルを払い出す。
すると、何を思ったのか、それらを1つの深いカップへまとめて入れてしまった。
「ああっ、駄目だよ貴聞くん!100円玉とメダルは別!」
「あ、そうなんだ。ごめん。同じコインだから、全部一緒なのかと……」
「本当にお金持ちの子だね。しょうがない!僕がつきっきりで教えてあげる!」
君野は嬉しそうに貴聞の腕を引き、ベルトコンベア式のメダルゲームへ連れていった。
二人並んで、狭い椅子へ腰掛ける。
「これは100円玉を入れるんだっけ?」
「違うよ、それはメダル!100円玉は僕が分けるから、貴聞くんはこれを入れてみて!」
君野はゲーム台の上で、カップの中のメダルと100円玉を選り分けていく。
その隣で貴聞は、慣れない手つきでメダルを1枚ずつ投入口へ落とした。
椅子が狭いせいで、君野の二の腕が自分の腕へぴったり触れている。
ゲームの内容など、半分も頭に入らなかった。
「貴聞くん、何か欲しいものある?」
「ああ……あれがいいかな。吉郎に似てる」
「僕?」
貴聞が指さした先には、映画のキャンペーンらしいぬいぐるみが積まれていた。
黄色い髪をした、3頭身の男の子。
「取ってあげる!」
君野は頼もしく笑い、UFOキャッチャーの前へ立った。
普段それほど遊ぶわけではないが、腕には自信がある。
以前テレビで見た、ぬいぐるみを取るコツを思い出しながら、鼻息荒く100円玉を投入した。
――だが。
「はあ……」
気づけば8回目。
ぬいぐるみは、ほとんど動いていなかった。
君野が操作へ夢中になっている間に、貴聞はそっとその場を離れ、店員へ声をかける。
事情を聞いた店員はすぐにやって来ると、ぬいぐるみを取りやすい位置へ移動させてくれた。
「やった!!」
「ふふ。よかったね、吉郎」
貴聞が小さく拍手を送る。
君野は受け取り口から手のひらサイズのぬいぐるみを取り出し、そのまま貴聞へ差し出した。
「欲しいって言ってたでしょ?プレゼント!」
「えっ、いいの?」
「うん!まあ、取れたのは僕の実力じゃなくて、店員さんのアシストだけどね」
「ありがとう。位置を直してくれて運がよかったね。でも、吉郎のアームの動かし方も上手だったよ」
「思いっきり外してたけどね!」
二人で笑い合う。
貴聞は受け取ったぬいぐるみを、両手で大切そうに包んだ。
「……僕、ずっとこれが欲しかったんだ」
「そうなの?」
「だって、まるで吉郎だから。きっと今日が来るまで、神様が待っていてくれって言ってたんだと思う」
その言葉に、君野の胸が小さく跳ねた。
これまでは御曹司と、召使いのアルバイトという立場の違いばかりが目につき、貴聞自身のことまではよく知らなかった。
けれど、一緒に過ごしてみれば、とても素直で優しい子だ。
ただ、お金持ちの家へ生まれただけなのだ。
「ふふっ! これで貴聞くんも寂しくないね!」
「寂しいよ」
「え?」
「だって、もう吉郎と一緒にいるのが当たり前みたいになってるから……なんて。ごめん」
言い終えた貴聞は、我に返ったように顔を赤くした。
そのまま逃げるようにタクシー乗り場へ向かう。
君野も頬を赤らめながら、背の高い後ろ姿を追いかけた。
少し気まずい空気のままタクシーを待っていると、貴聞のスマートフォンへ等々元から着信が入る。
「先に乗っていて」
そう言い残し、貴聞は会話が聞こえない場所まで歩いてから電話へ出た。
「どうしたの?」
内容は、父が急きょ要人を連れて帰宅するため、鉢合わせしないようにという連絡だった。
貴聞は、吉郎と話していた時より一段低い声で答える。
「ああ。帰ってきたら吉郎と話を合わせておいて。僕が今日初めてゲームセンターで遊んだことと、カードでしか支払いをしたことがないって。よろしく」
電話を切ると、手にした吉郎によく似たぬいぐるみへ、そっと頬ずりをした。
「……可愛い」
思わず漏れたその一言は、誰にも聞かれることはなかった。
一方その頃、タクシーの中では君野が窓の外をぼんやり眺めていた。
貴聞くん、本当にいい子だな。
最初は怖い人なのかと思っていた。
でも、一緒に過ごしてみれば、世間知らずで少し不器用なだけだった。
恋人ごっこも、きっと僕を守るため。
それなのに、僕は何も返せていない。
せめて、このプログラムが終わるまでは。
貴聞くんの力になってあげたい。
そんなことを考えながら、君野は小さく笑った。
やがて貴聞もタクシーへ戻り、何事もなかったように隣へ腰掛ける。
「待たせてごめん」
「ううん!」
タクシーは静かに発進し、白戸家へ向かって走り出した。
二人の距離は、ほんの少しだけ縮まっていた。




