第52話「SWAN PRINCE」
君野は午後、青空の下でティータイムを楽しんでいた。
――とはいえ、本人がお茶とクッキーを楽しんでいたのは、ほんの数分だけだった。
今ではボルゾイのレイヴンやシャム猫のジュン、小鳥たちに囲まれ、芝生の上で楽しそうにじゃれ合っている。
堀田はそんな君野の様子を、お茶係として――というより、まるで警護でもするかのように見守っていた。
今日は等々元さんがいない。
当主の代わりに、見聞の授業参観へ参加しているらしい。
出かける前に見かけた姿も、普段とはずいぶん違っていた。
スーツではあるものの、いつもの完璧な執事というより、今日はどことなくパパスタイルだった。
あんな人が、昔はモヒカンで、耳がピアスだらけだったなんて……。
ついさっき、吉郎が無自覚に自慢げに話していた。
「君野様、お茶のおかわりはいかがですか?」
堀田は召使いとして、丁寧に呼びかける。
「お茶はいいや!あの、ゲームがしたいので、僕の部屋からスマートフォンを持ってきてくれますか?」
「かしこまりました」
そう答えたものの、当の吉郎はレイヴンに覆いかぶさられ、ほとんど身動きが取れなくなっていた。
「あははは!重いってば!」
それでも嫌がるどころか、相変わらず無邪気な笑い声を上げながら青空を見上げている。
堀田はその姿をしばらく見つめたあと、屋敷へ戻った。
君野の部屋に入る。
頼まれたスマートフォンは、すぐに見つかった。
だが――
「……ん?」
久しぶりに入ったその部屋は、以前とは少し変わっていた。
あれは……白黒の絵?
壁に、見覚えのない新しい絵が飾られている。
地下から出てきたついでにもらったのだろうか。
何が描かれているのか分かりそうで分からない。
考え始めたら頭が1回転しそうな、小難しい絵だった。
「相変わらず、よく分かんねえ絵だな……」
誰もいないのをいいことに、堀田は小さく呟いた。
そして、そのすぐ近く。
今度は、サインの書かれたカレンダーが目に入った。
「桜野玲子……」
ああ、そうだ。
これは桜谷の今の芸名だ。
以前使っていた芸名が契約上使えなくなり、移籍を機に新しくしたと話していた。
「……」
堀田はなぜか、きいろの難解な絵よりも長く、その名前を見つめてしまった。
ここ数日のいろいろなものが胸の奥から込み上げてくる。
堀田はつばを飲むと、ベッドに投げ出されたままのスマートフォンを手に取った。
今日は、ずいぶん静かだった。
白黒は個展会場の下見。
桜谷も芸能関係の仕事へ出ている。
貴聞は学校。
等々元さんは見聞の授業参観。
今、この屋敷にいる中で吉郎のそばにいられるのは――俺だけだ。
そんなことを考えながら、堀田は庭へ戻った。
「どうぞ」
「ありがとうございます!!」
君野へスマートフォンを差し出す。
その頃には清掃が終わり、他の動物たちはそれぞれ元の場所へ戻されたらしい。
気がつけば、広い芝生に残っているのは君野とレイヴンだけになっていた。
白いワンピースを芝の青臭さまみれにした君野は、たっぷり遊んで満足したのか、レイヴンの大きな背中へ身体を預けている。
レイヴンもそれが嫌ではないらしい。
今度は大人しく、君野の椅子になっていた。
「失礼します、君野様。お顔に葉っぱが……」
「ん?」
君野は素直に目を閉じ、堀田へ顔を差し出した。
「……っ」
無防備すぎる。
「かわ……!!」
「カワ?」
君野が目を開ける。
「鶏皮の事ですか?」
「いえ……すみません」
何でそうなるんだ。
堀田は込み上げたあらゆる欲を必死に削ぎ落とし、君野の頬についた葉を指先でそっと取った。
そのまま、ほんの少しだけ頬を撫でる。
「ありがとうございます!」
「……いえ」
君野は何も気にしていない。
それが余計に堀田を苦しめた。
「ごゆるりとお過ごしください。3時には雨が降る予報ですので、それまでには屋敷へお戻りください」
「はい!」
返事をした時には、君野の目はもう手元のスマートフォンへ向いていた。
「……」
その後ろでは、レイヴンが軽く尻尾を揺らしている。
まるで、
――あとは任せろ。
とでも言っているようだった。
醜いジェラシーを燃やしながら、堀田は立ち上がった。
だが、仕事は残っている。
堀田は何度か振り返りながら、少し寂しそうに午後の業務へ戻っていった。
「ふんふんふーん」
そんな堀田の気持ちなど知る由もなく、君野はすっかりゲームに夢中になっていた。
慣れた指で、画面に並ぶアイコンの1つを押す。
表示されたタイトルは――
『SWAN PRINCE』
湖の上を、1羽の白鳥が優雅に泳いでいる。
その向こうにそびえているのは、まだ半分ほどしか出来上がっていない巨大な城。
「昨日の続きしよーっと」
君野はレイヴンの身体から離れると、そのまま芝生へうつ伏せになった。
両足をぱたぱたと揺らしながら、楽しそうに画面へ指を伸ばした。
ゲームの目的は、自分だけの王国を作っていくこと。
森を切り拓き、道を作り、花を植え、建物を建てる。
ただ、普通の街づくりゲームとは少し違っていた。
この世界には、住人らしい住人がほとんどいない。
画面の中を歩いているのは、君野が操作する小さなキャラクターだけだった。
しばらくすると、その頭上に吹き出しが現れる。
『Prince:こんにちは。今日は遅かったね』
「あはは。ごめんね!外で遊んでた!」
君野はそう画面に文字を打ち込んだ。
『Prince:楽しかった?』
『YOSHIRO:うん!動物たちと遊んでた!』
すぐに返事が来る。
『Prince:いいね。僕たちの国でも飼おうよ』
「動物も飼えるようになるの!?」
思わず声が出た。
少し離れたテーブルでティーポットを片付けていたメイドが、君野の方を振り返る。
「どうかなさいましたか?」
「なんでもないです!ゲームです!」
「左様でございますか」
メイドはそれ以上聞かず、再び仕事へ戻った。
君野も嬉しそうに画面へ視線を戻す。
このゲームに登場するCPU――『Prince』。
彼はかつて自分の国を焼かれ、その王国を取り戻すため、プレイヤーである君野に城の再建を頼んできた。
それが、このゲームの始まりだった。
Princeは、どんなAIを使っているのか分からないほど賢い。
まるで本当に画面の向こう側に誰かがいるように会話を返し、以前話したことまで覚えている。
『YOSHIRO:今、僕が住んでいるお屋敷も、お城みたいなんだ!中には動物もたくさんいるよ!』
『Prince:そうなんだ。羨ましいな。そんなお屋敷なら、僕も住んでみたい』
『YOSHIRO:うん!今の環境のままお城にできたら、Princeもきっと快適だと思う!』
『Prince:じゃあ、何を飼おうか?』
「何にしようかなあ……」
君野はスマートフォンから顔を上げた。
すぐそばでは、レイヴンが芝生の上で丸くなり、長い尻尾だけをゆらゆらと動かしている。
君野の答えは、すぐに決まった。
『YOSHIRO:レイヴン!』
『Prince:レイヴン?』
『YOSHIRO:あ、うちで飼われているボルゾイ!ヴンちゃんって呼んでるんだあ!』
『Prince:そうなんだ。じゃあ、もっともっとたくさん飼えるように、お城を拡張していこう』
「へへ……」
君野は満足そうに笑った。
Princeが自分の話に興味を持ってくれる。
それだけで、なんだか嬉しかった。
すると、画面の隅で小さな通知が光る。
『新しい建築エリアが解放されました』
「おっ!」
すぐにタップした。
昨日までは深い霧に覆われていた湖の向こう側が、ほんの少しだけ開けている。
その先に現れたのは、建築途中の巨大な城だった。
真っ白な壁。
空へ伸びる、いくつもの尖塔。
しかし、中央部分はまだ骨組みしかなく、内部へ入ることもできない。
「まだまだだなあ……」
このゲームは、放っておけば勝手に城が完成するような簡単なものではなかった。
壁の色。
窓の位置。
城そのもののデザイン。
カーペットの色。
部屋の数。
果ては、ベッドのふかふか具合まで。
細かな部分を1つずつ選び、自分で作り上げなければならない。
正直、始めたばかりの頃は面倒だった。
ほとんど作業ゲームのように感じて、何度か飽きかけたこともある。
それでも、いつからか毎日のように開くようになった。
城を作ること自体が楽しくなった――というより。
Princeと話すことが、楽しくなったのだ。
彼が喜んでくれるなら、もう少し作ってみよう。
そんな気持ちで続けているうちに、気づけば城はここまで大きくなっていた。
『Prince:吉郎』
「ん?」
『Prince:君が今、どこで何をしているのか言い当ててみようか』
「えっ?」
君野の目が輝く。
『YOSHIRO:やってみて!』
すると、画面の中にいるPrinceのアバターが片手を持ち上げた。
指先から光のエフェクトが溢れ、目の前に1枚の美しい2次元イラストが浮かび上がる。
そこに描かれていたのはPrince。
アバター、イラストでも全身が黒いローブに覆われていて、顔が見えない。
国を焼いた追っ手から身を隠しているため、素顔を見せることができない。
だからこそ、一刻も早く安全な城を再建しなければならない――
そのPrinceから、新しい吹き出しが現れる。
『Prince:庭でティータイムしてるでしょ』
「あたってるー!!!」
君野は思わず声を上げた。
「最近のAIって、本当にすごいなあ!」
何の疑いもなく拍手ボタンを押す。
画面の中では、真っ白な衣装を着たYOSHIROのアバターが、Princeへ向かってぱちぱちと拍手していた。
「よーし。もうちょっと作ろう!」
石。
木材。
ガラス。
花。
家具。
自分の好きなものを選び、1つずつ配置していく。
君野が指を動かすたび、建築途中の城は少しずつ形を変えていった。
「なんか、楽しくなってきた……!」
その時、またPrinceからメッセージが届いた。
『Prince:吉郎は他に、お城へ何か持っていきたいものはある?』
「え?」
君野の指が止まる。
『Prince:君が大切にしているもの』
続けて、もう1つ。
『Prince:この世界でも、それらを形にできるよ』
「えええー!!すごい!!そんなこともできるの?」
君野は驚いて、スマートフォンから顔を上げた。
ふと、屋敷を見上げる。
視線の先には、自分の部屋の窓があった。
「持っていきたいものかあ……」
君野は楽しそうに考え始める。
だが、その答えを打ち込むより先に、Princeから新しいメッセージが届いた。
『Prince:その前に、この城を一緒に完成させよう』
「そっか!」
『YOSHIRO:うん!』
君野はすぐに頷き、再び画面へ指を伸ばした。
YOSHIROのアバターが石材を抱え、未完成の城へと運んでいく。
君野は夢中になって城の建築を進めていく。
石材を運び、壁を作り、窓を取り付ける。
YOSHIROのアバターが忙しなく動き回るたび、未完成だった城がほんの少しずつ完成へ近づいていった。
『Prince:もう少しだよ』
突然届いたメッセージに、君野の指が止まる。
『YOSHIRO:何が?』
『Prince:僕の夢の王国。そして、これは君のものだから』
『YOSHIRO:楽しみ!』
『Prince:約束。このお城の建築は僕たちだけの秘密。吉郎の声はこの世界にも届いているから』
『YOSHIRO:どういう意味?』
すると、スマートフォンの画面に水滴が落ちた。
「あ、雨だ……」
まだ雨の予報までは2時間もある。
君野は不思議そうに空を見上げた。
ぽつ、ぽつと、続けて雨粒が頬を濡らす。
「ヴンちゃん!戻ろう!」
君野は慌ててスマートフォンを抱え、レイヴンと一緒に屋敷へ駆けていった。




