第50話「怪しい執事の真相」
「なあ、等々元。最近、俺の家、人が増えすぎてねえか?」
朝の会議から1時間後。
屋敷の廊下を歩く等々元の背中で、小学生の見聞がそんなことを呟いた。
「見聞様は、どなたかとお親しくなさっておいででしょうか」
「するわけねえだろ。あいつら、別に金持ちでもねえし。1人は男のくせにワンピース着てるし、気味悪いだろ」
見聞はそう言って口を尖らせる。
「堀田も貴聞につきっきりで、俺のこと相手にしねえし……」
「堀田は優秀ですから。皆様が物を頼みたくなるのでしょう」
「ふん……誰か、おもちゃになる面白いやついねえのか」
「等々元さん!!!」
廊下の向こうから響いた声に、等々元が振り返る。
そこには、こちらへ大きく手を振る君野がいた。
「君野様」
君野は子どものように駆け寄ってくると、その勢いのまま無邪気に等々元へ抱きついた。
一瞬、動きを止める執事と、その背中の小さな君主。
「な、何だお前!!相変わらず不気味だな!」
「ずっと、ずっと会いたいなと思っていたんです!見聞様もお久しぶりです!」
「等々元は俺のだぞ!お前みたいな庶民のモノじゃない!!」
等々元の背中で、見聞がバタバタと手足を振って暴れる。
そんな抗議など気にも留めず、君野は嬉しそうに等々元を見上げた。
「また等々元さんのいい声で、朗読を聞きたいです!」
「でしたら、午後からティータイムでもいたしましょうか。庭師が薔薇を剪定したばかりですし、今日は久しぶりの青空ですから」
地下から出られるようになった君野を歓迎するように、等々元は穏やかにそう答えた。
「俺は薔薇なんかどうでもいい!!もっと面白いおもちゃが欲しい!!」
見聞が叫ぶ。
そして等々元の背中から降ろしてもらうと、そのまま廊下をバタバタと駆けていった。
どうやら、少し先を歩いていた若いメイドに狙いを定めたらしい。
すぐに曲がり角の向こうへ姿を消し――ほどなくして、見聞の高笑いとメイドの悲鳴が聞こえてきた。
どうやらスカートめくりに成功したようだ。
「君野様」
「はい!なんでしょう?」
見聞の騒ぎを気にする様子もなく、等々元は君野へ向き直った。
「なぜ君野様は、私が1番好きとおっしゃるのですか?」
「え!なんでだろう!」
君野は自分でも分からないらしく、首を傾げる。
「僕、今あまり記憶がないけれど、等々元さんはずーーっと僕の中に残っているんだよね。それで、会えるとテンションが上がっちゃって」
「左様でございますか。執事冥利に尽きます」
等々元はそう言って、静かに頭を下げた。
「今日の夜、絵本読んでくれますか?僕、最近よく眠れていない気がして……」
「はい。なんなりと、お好きな物語をお申しつけください」
そう丁寧に答えた、その時だった。
「吉郎」
背後から、貴聞の声がした。
君野が振り返るより早く、貴聞はその身体を強く抱きしめる。
あまりにも熱烈な抱擁に、君野は戸惑ったように目を瞬かせた。
昨日の夢の世界で、白黒きいろが吉郎にキスをした。
あのレースの結果が現実の吉郎にも反映されているのなら、今の吉郎もおそらく――あいつを好きな吉郎だ。
抱きしめられたまま、困ったようにこちらを見る姿だけでもよく分かる。
それでも貴聞は、久しぶりに実物の吉郎へ好きなだけ触れられることが嬉しくてたまらなかった。
背中へ回した手が、身体の輪郭を確かめるように蛇のように這っていく。
「ひゃっ!くすぐったい……!」
「吉郎、最近よくやっているゲームあるよね。タイトル教えて」
「最近?えっと……いろいろやってるけど、最近ハマってるのは『SWAN PRINCE』だよ!課金もないのにいくらでも遊べて、広告もなくて面白いんだあ」
「そっか。地下の生活がちゃんと充実していてよかった。でも今は、こうして好きな時に触れられる」
思わず、その唇にキスをしたくなる。
だが――また、あの夢のレースに引きずり込まれる?
そう思った途端、その気は一瞬で失せた。
あのボルゾイに噛み砕かれた痛みと恐怖は、毎回ただでは済んでいない。
そんな目の前のふしだらな光景に、等々元がついに「コホン」と咳払いをした。
「貴聞様。今日は学校ですから、その準備を進めてください。20分後には、お迎えの車が玄関に到着します」
「わかったよ。吉郎、またね。ティータイム楽しんで」
貴聞はそう言って、最後に君野の頬へキスをした。
そのまま立ち去っていく背中を、君野はしばらく眺めていた。
「……等々元さん。あの人、変わった人ですね。キブンくんでしたっけ」
その発言に、等々元の眉がぴくりと動く。
「はい。私がお仕えする、大切なこのお屋敷のご子息でございます。なにか、感じませんでしたか?触れられている時など」
「うーん……顔が綺麗で、いい匂いだなあって思ったよ!」
「そうですか……」
等々元は、それ以上何も言わなかった。
「あら、執事なのにそこまで詮索するのね」
不意に女の声が割り込んだ。
近くの扉からこちらの様子を窺っていた桜谷が、ゆっくりと姿を現す。
「君野くんのご主人様への認識が薄れている……だなんて思ったのかしら」
「……あれ?あれ?なんか見たことある……」
君野は桜谷の顔をじっと見つめた。
すると桜谷は何も言わず、その場で例のゲームの広告と同じ振り付けを少しだけ踊ってみせる。
数秒後、君野の顔が一気に輝いた。
「あーーーー!!!あのゲームの人だ!!握手とサイン欲しいです!」
廊下中に響き渡るほどの大絶叫だった。
2人は軽い自己紹介をする。
桜谷は笑顔でこう答えた。
「サインするわ。何か書けるものと、ペンを持ってきてくれる?」
「うん!」
君野は大きく頷くと、バタバタと慌ただしい足音を立てながら、廊下の1番端にある自分の部屋へと走っていった。
その姿が見えなくなった途端――
桜谷の表情から、女優らしい柔らかな笑みが消えた。
等々元を見る目が、すっと険しくなる。
「そうやって、ご主人様まで騙して暗躍しているのかしら」
「いえ。滅相もございません。私はこの家に仕える、ただの忠実な執事でございます」
「ファンデーション」
「はい?」
突然の言葉に、等々元が目を瞬かせる。
「あなた、化粧なんてしていないわよね。それなのに、さっきからファンデーションが剥がれている」
桜谷の視線が、等々元の耳元へ向けられた。
「そこ。何を隠しているの?」
「……!」
等々元が反射的に両耳へ手を伸ばす。
その拍子に、耳から剥がれ落ちたファンデーションが肩の辺りにまで付着していることに気づいた。
先ほど、見聞をおぶって暴れられた時だろう。
普段なら何が起きても表情ひとつ変えない執事が、明らかに動揺した。
それを桜谷は見逃さなかった。
「貴聞くんに相談してもいいかしら?」
「いえ!そのようなことはおやめください……!これは本当に、何でもございませんから」
「……」
思いのほか、反応が大きい。
桜谷の疑いは深まるばかりだった。
「もう、よろしいでしょうか……」
「よく見ると、穴が1つだけじゃないわね」
等々元の身体がわずかに固まった。
「……あなた、何者?」
「何者、と申されましても……」
「裏では相当ヤバいことをしているスパイだったりするの?」
「違います」
「じゃあ、このこと貴聞くんに告げ口するわ」
「そ、そのようなことはおやめください……!」
「あなた、本当は君野くんを独り占めしようとしているんじゃないの?」
「はい?」
「どうやって、いつまでも君野くんの記憶に残るようにしているのよ」
桜谷が容赦なく等々元を問い詰めていると――
「どうしたの?」
聞き慣れた声が、廊下の向こうから飛んできた。
「等々元が叱られているなんて珍しいね」
先ほどまで黒いスーツ姿だった貴聞が、制服に着替えて戻ってきていた。
「貴聞くん、この人怪しいわ」
「怪しい?」
貴聞は不思議そうに等々元を見る。
「何か失態を?」
「いいえ。ファンデーションで耳の穴をいくつか隠してるの」
「……ああ」
「それに、あなたに言うって言った途端、必死に止めてきたのよ。この家に潜り込んでいるスパイなんじゃないの?」
その瞬間――
ついに等々元は両手で顔を覆った。
耳まで真っ赤になっている。
「あははははは!!!」
突然、貴聞が声を上げて笑い始めた。
いつもの上品な微笑みではない。
腹を抱えそうな勢いで、ケラケラと笑っている。
「あら、どうしたの?」
「どうぞ……ご勘弁を……」
顔を覆ったまま、等々元が消え入りそうな声を漏らした。
「いやいや、瑠璃子さん。等々元は怪しくないよ」
貴聞は笑いを堪えながら、等々元の耳を指差した。
「確かに完璧すぎて隙がないから、そう思ってしまうのかもしれないけどね。その耳にある複数の穴は――」
嫌な予感を察した等々元が、顔を上げる。
だが、もう遅かった。
「等々元が若い頃、モヒカンのギタリストだったからなんだ」
「えええ!!等々元さんがモヒカンのギタリスト!?」
今度は背後から、とんでもない大声が飛んできた。
いつの間にか君野まで戻ってきていた。
サインを書いてもらえそうな紙が見つからなかったのか、その手にはなぜかカレンダーが握られている。
「……」
逃げ場を完全に失った等々元は、観念したようにうなだれた。
「若気の至りです。私にとってはもう、黒歴史とでも申しましょうか……」
「ね?」
なぜか貴聞は得意げだった。
「等々元は昔、売れないバンドマンだったんだ。それで、金持ちの道楽でやっていたヘヴィメタルバンドのサポートメンバーに入れてもらった。その時、もう27歳だったんだよ」
「貴聞様……」
話しすぎる坊ちゃまを、今すぐにでも止めたい。
等々元の顔には、そう書いてあるようだった。
桜谷はようやく理解した。
先ほど貴聞を呼ばれることをあれほど嫌がった理由。
別に主人へ知られて困る秘密があるわけではない。
むしろ逆だ。
主人が全部知っている。
そして、その黒歴史をこうして得意げに語り始めることまで分かっていたのだ。
隣では君野が、カレンダーを抱えたまま目を輝かせている。
「モヒカン!?どんなモヒカンだったんですか!?ギターもまだ弾けるんですか!?」
「真緑のモヒカン。父が出席していた社交パーティーで、その金持ちの息子のバンドが演奏を披露することになってね」
貴聞の昔話は、まだ終わらない。
「父は、そういう親の七光りみたいなのが大嫌いだったんだ。最初から嫌そうな顔で見ていたんだけど、そこで機材トラブルが起きた」
「機材トラブル?」
君野が目を輝かせたまま聞き返す。
「そう。他のメンバーは苛立つし、せっかく演奏を見に来ていた人たちもざわつき始めるし。おまけに、その騒ぎで小さな子どもまで泣き出してね」
貴聞は楽しそうに話し続ける。
一方の等々元は、もう諦めたような顔で立っていた。
「その時、等々元がギターを使って、その子をあやしたんだよ」
「ギターで!?」
「うん。そうしたら泣き止んでね。周りの空気まで和やかになって、最後にはみんな等々元に拍手してた」
「そうなんだ!!!」
君野はますます目を輝かせ、等々元へ詰め寄った。
「やっぱり!だから僕の心にも、ずっと残り続けてるんだね!」
「……それとこれとは、関係があるのでしょうか」
困ったように答える等々元とは対照的に、貴聞は当然だと言わんばかりに頷いた。
「そう。父は当時、僕の世話を任せられる優秀な使用人を探していたんだ。それで演奏が終わったあと、そのまま等々元のところへ行って名刺を渡した。『いつでも連絡しなさい』って。それだけ。ね?」
話を締めくくった貴聞が、満足げに等々元を見る。
「……はい。いつものとおり、結構なお手前でございます」
顔を真っ赤にした等々元は、観念したように小さく拍手した。
その姿を見て、桜谷もようやく表情を緩める。
「そうなの。疑ってしまって悪かったわね」
「いいえ。私の振る舞いが、そのような疑念を抱かせてしまったことも事実でございますから」
等々元はいつもの執事の顔に戻ると、すぐさま貴聞へ向き直った。
「貴聞様。もうよろしいですか?まもなくお迎えが到着いたします」
「あ、そうだった」
貴聞は腕時計を確認する。
「じゃあ、行ってくるよ」
その場にいる3人へ軽く手を振った。
「いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃーい!」
等々元と君野が、それぞれ声を返す。
貴聞は満足そうに笑うと、そのまま廊下の向こうへ消えていった。
「桜谷さん!これにサインお願いします!」
「ああ、そうだったわね」
君野が大事そうに抱えていたカレンダーを差し出す。
「どこに書けばいいの?」
「どこでもいいです!できれば大きく!」
「ふふ。分かったわ」
桜谷はペンを受け取ると、カレンダーの余白へさらさらとサインを書き込んだ。
それを受け取った君野は、宝物でも手にしたように顔を輝かせる。
「ありがとうございます!!」
「どういたしまして」
やがて君野は、等々元と並んで廊下の向こうへ歩いていく。
「等々元さん!当時の写真ないんですか?真緑のモヒカン!」
「ございません」
「貴聞くんに聞いてみようかな~!」
「おやめください」
「でも――」
楽しそうな君野の声と、それをかわし続ける等々元の声が遠ざかっていく。
桜谷はその場に残り、2人の後ろ姿を黙って見つめていた。
先ほどまでの柔らかな表情は、もう消えている。
そして向かったのは、白黒きいろのいる地下室だった。




