第49話「朝会議パート2」
朝。
昨日までの夢の中の騒ぎが嘘だったかのように、白戸家の食堂には優雅な時間が流れていた。
大きな窓から差し込む朝日が、磨き上げられた床と、長い食卓に敷かれた真っ白なテーブルクロスを淡く照らしている。
銀のカトラリー。
湯気の立つ紅茶。
焼きたてのパンと、卵料理、ソーセージ、色とりどりの果物。
等々元をはじめとした召使いたちが、音を立てることなく次々と料理を並べていく。
皿が置かれる音すら、妙に上品だ。
そんな完璧に整えられた朝食の風景の中――
君野だけが、食卓の上で座礁していた。
白いワンピース姿のまま、手足をだらんと投げ出している。
頬をテーブルクロスに押しつけ、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てていた。
こんなふうに、夢の中で殺し合った全員が揃って食事をするのも久しぶりだ。
レースのたびに君野も俺たちも、気づけばこの食卓に集まることが義務のようになっている。
「ほら、おいで」
貴聞はそう言うと、自分の隣の椅子を引いた。
俺がそこへ腰を下ろす。
真向かいには、桜谷と白黒きいろ。
噛み殺した側と、殺された側。
昨夜あんな惨劇を繰り広げた2人が、今は何事もなかったかのように冷静に食事をしていた。
「なんでだよ!!」
たまらず上げた俺の大声が、広い食堂に反響した。
周囲の召使いたちが、一瞬だけ動きを止める。
しかし、食卓を囲む3人はナイフとフォークすら止めなかった。
まるで、空気だけは共犯者だ。
けど、思うところがあるのは、みんな同じはずだ。
俺はその空気に耐えきれず、まず隣の貴聞へ向き直った。
「おい!お前、なんで桜谷を殺そうとした!」
「ああ、あれは殺そうとしたんじゃない。はい、あーん」
「は?」
貴聞はふざけているのか、妙なテンションでフォークの先に刺したステーキを俺の口元へ差し出してくる。
俺はムッとして、さらに声を張り上げた。
「ハムスターにしようとしてたなんて言うんじゃないだろうな!?俺みたいに、吉郎から見えなくするのが目的なんじゃないのか!!」
「堀田」
「なんだよ!」
僅かに口が開いた、その隙だった。
貴聞がフォークを突き出し、俺の口へ肉を押し込んだ。
「んぐっ!?」
「うるさい」
「……!」
ニヤリと笑うその嫌な顔は、殺伐としたこの空気をむしろ楽しんでいるようだった。
「お前な……!」
どうにか肉を飲み込み、今度は向かいへ顔を向ける。
「桜谷!お前、本当は貴聞に弱みでも握られてるんじゃないのか?芸能界でのし上がるために、悪魔の契約でもしたんだろ!!」
「あら、あなたにはそう見えるのね」
桜谷は相変わらず、朝からワイングラスに白ワインを注いでいる。
俺の追及にも動じず、それを飲み干すと、近くにいた等々元を呼び止めた。
「等々元さん。もう1杯いただける?」
「かしこまりました」
「お前ら、はぐらかすなよ!!」
なんなんだ、こいつら。
昨夜、夢の中で殺し合った翌朝だぞ。
どうして俺だけが必死になってるんだ。
俺は苛立ったまま、最後の1人へ矛先を向けた。
「白黒!!お前、なんで桜谷まで殺したんだ!!」
きいろは食事の手を止めなかった。
「言っただろ」
「は?」
ようやく顔を上げる。
その視線が、一瞬だけ隣の桜谷へ流れた。
「俺の女だって」
そのセリフに、桜谷の黒目がすっと落ちた。
同時に。
向かいで、貴聞の肉を切る手が止まった。
「だから殺す」
「何言ってんだ、お前……!」
あまりにも物騒な言葉に、俺は眉をしかめた。
そもそも「俺の女」という設定は、桜谷が当初、この屋敷に当主の愛人として潜伏しようとしたのを阻止するために、白黒がついた嘘だ。
なのに、なんでそれを今さらここで持ち出してくるんだ!
「お前ら、真面目に話をしろ!!!」
「違いますよ」
それまで黙っていた貴聞が、ナイフを置いた。
「瑠璃子さんは白黒さんのものではありません。ましてや吉郎も。どうせ今日も地下に連れていくんでしょう?」
「……ヤメた」
白黒はそう言うと、さっと席を立った。
皿の上は、いつの間にかきれいに空になっている。
そして、そのまま食卓の上で座礁している君野へ手を伸ばした。
いつも通り、その身体を掴んで軽々と担ぎ上げる。
君野は起きない。
白黒の背中に腹を預けたまま、白いワンピースから伸びた両腕をだらんと垂らしている。
「君野は俺のものだ。だが、もう地下に閉じ込める必要はない」
「監禁ごっこはもう終わりってこと?」
桜谷がワイングラスを片手に聞く。
「ああ。どうやら、俺の勘違いだったようだ」
「だから、何がだよ!」
堀田の言葉に白黒は答えなかった。
君野を背中に乗せたまま、何事もなかったかのように歩き出す。
「おい!白黒!」
呼び止めても、振り返らない。
そのまま地下へ続く廊下の向こうへ消えていった。
「……なんだよ、勘違いって」
あいつは一体、何に気づいたんだ?
「落ち着いて。ちゃんとご飯食べなさい」
桜谷が、まるで俺の方が騒ぎを起こしているみたいに注意してくる。
「お前……次の夢で、ハムスターとして俺の隣にいるなんてことはないよな……?」
「まさか」
桜谷は即答した。
「私は女優よ。あんな狭い檻に閉じ込められたりしないわ」
「なんだよ、その自信……」
「ふふ。シャム猫の方が瑠璃子さんには性に合っているかもしれませんね」
貴聞が楽しそうに笑う。
「可愛い音の鳴る鈴と、リボンをその首につけてあげてみたいです」
「気味悪いから、もうやめろ」
俺はもう、昨夜の惨劇を思い出したくなかった。
白黒だって言っていた。
――そういう関係になるのも時間の問題だ。
あの夢の中で獣になって争っているうちに、みんなどんどん凶暴になっていく。
きっと昨日は、それが行き過ぎていただけなんだ。
だから、こうして誰も詳しい話をしたがらないのかもしれない。
そう考えれば、少しは納得できる。
けれど――。
君野の呪いは、どこまで拡張していくんだ。
そして、いつになったら終わりが見える?
その中心にいるはずの君野自身は、一体どこにいる?
もはや、誰の答えの中にもいないような気がした。
「……そういえば!」
ふいに、昨夜の光景が頭をよぎった。
「ん?どうしたの?」
ヨーグルトを食べていた貴聞が、スプーンを止めて俺を見る。
「あのさ……」
ハムスターのゲージの中で、変なものを見た。
白く光る、イルミネーションのようなカケラ。
床材の中に埋まっていた、大きな花。
そして、その花びらの中にいた――俺と同じくらい小さな女の子。
そこまで口にしかけて。
「……」
俺は、直前で飲み込んだ。
「なあに?もったいぶって」
貴聞が首を傾げる。
「堀田は素直が1番だよ」
「……いや。悪い。今朝見た夢と混同した」
「そう?」
「ああ」
それ以上、貴聞は聞いてこなかった。
けれど俺は、自分でもよく分からないまま、口を閉ざした。
言っていいのか、分からなかった。
少なくとも今は――。
あのカケラと花のことを、この場で話したくなかった。
やがて、桜谷も席を立った。
俺も食事を終え、そろそろ片付けに戻ろうと腰を浮かせる。
その時だった。
ぐいっ、と腰のあたりを後ろへ引っ張られた。
「ん?」
見ると、貴聞が俺の服を掴んでいる。
「食後のコーヒー、一緒に飲もう。久しぶりに堀田と話がしたくなった」
「あ、ああ……」
なんで、そんな時に限って。
こいつは妙に勘がいい気がする。
俺は仕方なく、もう1度椅子へ座り直した。
桜谷が食堂を出ていくのと入れ替わるように、召使いたちが温かいコーヒーを運んでくる。
俺の前にもカップが置かれた。
貴聞はブラックコーヒーを一口飲むと、窓から差し込む朝日に目を細めた。
「僕の姿、美しかったでしょ」
「……姿?」
「昨日の夢だよ」
貴聞は窓の向こうを眺めたまま、楽しそうに微笑んだ。
「月が綺麗だった。あの月明かりの中を飛ぶ黒鳥の僕は、自分でも惚れ惚れするくらい美しかったなあ」
「確かに、月明かりは綺麗だったけど……」
俺が昨夜の光景を思い返していると、貴聞が突然、両腕を大きく広げた。
「うわっ」
その腕が俺の肩に当たる。
だが、貴聞はまるで気にすることなく、そのまま両腕をバタバタと上下させ始めた。
飛んでいるつもりらしい。
「この美しい羽で、僕にしか行けない世界に行くんだ」
「……コーヒーにアルコールでも入ってたか?」
「あはは。酔ったのはアルコールのせいじゃないよ」
貴聞は腕を下ろすと、再び窓の外へ目を向けた。
「あんな月夜に黒鳥が飛んでいたら美しいって、心のどこかで思っていたんだろうね」
「誰が?」
「吉郎が」
「……」
貴聞は満足そうに微笑んでいる。
「僕の理想の世界が、どんどん吉郎の中で出来上がっていると思わない?」
「いや……でも、吉郎としばらくまともに会話してないだろ」
「そうだね」
あっさりと認める。
「でも、吉郎が僕を求めていることは変わらない」
「……そうなのか?」
「白黒きいろが吉郎を手にしたところで、まだ幸せなお伽噺のようにはなっていないでしょう?」
「確かに……」
何を言っているのか、分かるようで分からない。
そもそも、夢の中で桜谷を食い殺そうとしていた奴が、なんでこんなに嬉しそうなんだ。
「堀田も連れて行ってあげる」
突然、貴聞の顔が眼前まで迫った。
「ちょっ……」
思わず後ろへのけぞる。
だが、逃げるより早く、貴聞の両手が俺の頬を挟んだ。
「大丈夫」
「何がだよ……!」
「堀田は軽いから」
にっこりと笑う。
「ゲージごと連れて行ける」
「だからやめろよ抽象的なやつ…」
貴聞は俺の顔を両手で挟んだまま、少しだけ首を傾げた。
「僕の王国」
だから、どこに!!
そう言い返しかけた。
けれど、これ以上こいつをヒートアップさせるのが怖くなって、俺は黙り込んだ。
頬を挟まれたまま、さっき口にしかけたものを思い出す。
白く光るカケラ。
床材の中に埋まっていた花。
その花びらの中に座っていた、小さな女の子。
「……」
やっぱり。
あれを見たことは――
こいつには、話さないほうが良い。
そう頭の中で強く警戒していた。




