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第44話「偽りの預言者」

 連日、堀田(ほった)は召使いの仕事を終えるなり、桜谷(さくらたに)の部屋へ呼び出されていた。


「違うわ。そこはもっと必死に引き止めて」


「十分必死にやってるだろ!」


「声が大きいだけよ。相手を失ったら死ぬくらいの顔をしなさい」


 桜谷の言葉に、台本を片手に頭を抱えた、そのときだった。


 部屋の扉が3回叩かれる。


「……桜谷さん、貴聞(きぶん)です。そちらに堀田はいますか?」


「あ!そうだ!」


 そういや、今日は貴聞と用事があったんだ!


 台本を持ったまま慌てて扉を開けると、そこにはいつものように全身を黒で包んだ貴聞が立っていた。


「もしかして、まだお取り込み中?」


 貴聞は頬を膨らませ、俺に露骨な視線を向けてくる。


「いや、もう終わる!新しい仕事の研修だったよな?まだ間に合うよな?」


 そう答えたときだった。


 桜谷がズカズカと貴聞へ歩み寄る。


「ねえ、配役が1人空いているの。あなたも付き合いなさい」


「ぼ、僕ですか?」


 桜谷は、使い込まれた台本を貴聞へ差し出した。


「口外禁止。外への持ち出しも厳禁。分かったわね。あなたは『トワ』を演じて」


「は!?」


 俺の声が右斜め上へ飛ぶ。


 対する貴聞は、まんざらでもなさそうに台本を受け取ると、その場でパラパラと読み始めた。


「ほら、研修に行くんだろ?そんなもん読んでないで、とっとと移動するぞ」


「……とっても面白い内容ですね。僕、付き合いますよ」


 楽しそうに微笑む主人を前に、俺はあんぐりと口を開ける。


 よりにもよって、『トワ』役は――。


「僕は、堀田の演じる『カンナ』の恋敵なんですね。記憶を失い続ける『ミスミ』を奪い合う」


「そうよ。あなたにぴったりでしょう?」


「いやいやいや……」


 俺の弱々しい抗議など聞こえていないのか、貴聞はすっかり興味をそそられた様子で、桜谷から残りの台本も受け取った。


「分かりました。僕、明日までに全部覚えてきます。……堀田、今から一緒に台本を読もう。5分後に僕の部屋へ来て」


 急に生き生きとし始めた御曹司へ、俺は慌てて声を上げる。


「研修は!?」


「そんなもの、いつでもいい。それより、温かいコーヒーを頼むよ」


 貴聞は台本を読みながら、そのまま部屋を出ていった。


「おい、桜谷!なんであいつまで巻き込むんだよ!」


「あなたが本気で取り組まないのが悪い」


「だからって、いくらなんでも……」


「彼は、あの当時の私がモデルよ。だから、憎くて、可愛げがなくて、本気で殺意が湧くほどムカつく相手だと思いなさい。あの頃の私に対しての気持ちになればいいの」


「……」


 その後、俺は貴聞の部屋にいた。


 部屋の奥にあるソファで、貴聞と向かい合って座っている。


 役になりきるために物語の背景を知りたい――というのが彼の言い分だった。



 俺は貴聞のために用意した温かいコーヒーを飲みながら、桜谷との過去を根掘り葉掘り聞かれていた。


「そうなんだ。桜谷さんとは、そんなことが……。それ、この台本より面白い話だと思うよ」


「今思うとな。あの頃は必死だったけど」


「それをそのまま台本にしちゃうなんて、相当思い入れが強いんだね」


「ああ……」


 天使の置物のことだけじゃない。


 台本の中には、あの頃を思い出させる出来事がいくつも散りばめられている。


「なるほど」


 貴聞は長い脚を組み替え、前のめりになった。


 まるで謎を解き終えたあとのような口ぶりに、俺は顔を上げる。


「この物語は、彼女が当時の未練を晴らすための物語だ。吉郎じゃない。堀田に向けて書かれている」


「俺に?なんで?」


「堀田の話を聞いていると分かるよ。当時の桜谷さんの気持ちが、手に取るように」


「ど、どんな?」


「台本に出てくる、誕生日に贈った天使の置物。放課後のお姫様抱っこ。田舎の森で野良犬に襲われた彼女を、堀田がおぶって助けたこと……。全部、本当にあったことなんでしょ?」


「ああ」


「きっと、彼女が吉郎とは味わえない、普通の男女の恋に憧れた瞬間だったんだと思う」


「!」


「男女の恋を堀田が教えてくれたんだよ。だから今も、それを未練や悔しさとして引きずっているんじゃないかな」


「俺にそれを教えられたことが、気に食わないってことか……」


 その言葉に貴聞がフフンっと笑う。


「そこを焚きつけるライバルとして配置されているのが、今の僕。彼女が当時の吉郎の立場に立って、ヘタレだった君を味わおうとしている理由も、手に取るように分かる」


「本当の目的があるのか?」


「あるよ。でも、それを知ったら、堀田は役に集中できなくなる」


 貴聞はそう言うと、意味ありげに口元を歪めた。


「……」


 その日の夕方。


「桜谷!」


 曲がり角の先で、緑とクリーム色のワンピースを着た桜谷が廊下に倒れていた。


 その傍らには、ワインボトルと2つのワイングラスが転がっている。


 どうやら、酔いつぶれているらしい。


「……一体、何がお前をそこまでさせてるんだ……」


 俺は桜谷の上半身を抱え、すぐ目の前にある彼女の部屋へずるずると引きずり込んだ。


 扉を閉め、酔いでほんのり赤くなった顔を見下ろす。


「なあ……」


 昼間に貴聞から言われたことが、頭から離れない。


「ベッドに連れていって……」


 絨毯に横たわった桜谷が、か細い声で訴える。


 俺は彼女の身体をどうにか持ち上げ、すぐ横のベッドへ下ろそうとした。


 そのときだった。


「うわっ!」


 首に回された桜谷の腕が離れず、俺は彼女に覆いかぶさるような格好でベッドへ倒れ込んだ。


「わ、悪い!お、おい、桜谷!」


 なぜかプロレスラーのように頭を固められ、身動きが取れない。


「いい気味よ……。突っ込みすぎて穴から抜けられなくなるのは、あの頃と同じね……」


「……お前、俺になんか未練あるのか?」


「あら。教えてもらったの? あのエリートくんに……。あなたの脳みそじゃ、そんなところまで考えられないものね……」


「さっきからなんなんだ!俺の悪口ばっかり言いやがって!」


 どうにか顔を上げ、昼間に聞いた貴聞の解釈をぶつける。


「貴聞が言ってたぞ。お前は俺から男女の恋を知ったから、中学の頃の話を物語にするほど未練があるんだって」


 酔いでほころんでいた桜谷の顔から、笑みが消えた。


「あの頃、君野くんという幻のオアシスを求めていた私の飢えと渇きを癒やしたのは、あなただった。それは間違っていないわ」


「……」


 桜谷は、まだ俺を離そうとしない。


 密着した額に、じんわりと汗が滲んでくる。


「それが未練なら……俺はどうすればいいんだよ。お前が酒に溺れなくて済む方法を知りたい」


「今やっているでしょ。お芝居を」


「芝居?」


「あなたが本気にならないから、私の未練が終わらないの。恥ずかしい、恥ずかしいって……過去の私にも失礼だわ」


「……分かった。ちゃんとやる。それで、もうこんな無茶はしないんだろ?」


「私を惚れさせなさい。そうしなければ、また大事なものを失うわ」


 桜谷は冷淡な声で言い放つ。


「今のあなたは、頭巾をかぶったそれらしいだけの人間を、預言者だと勘違いしているだけなのよ」


 そう言って、ようやく俺の頭を解放した。


 汗でびっしょりと濡れた額を振り払うように、俺は何度も首を横に振る。


「今は、あの頃の恨みなんかより……今のあなたを見ているほうが、よっぽど腹が立つわ」


 桜谷は上半身を起こすと、中学時代を思わせる鋭い目で俺を見上げた。


「その恨みってなんだ?俺を好きだったこと以外に、まだ何かあるのか?」


「明日、あの真っ黒助と一緒にここへ来なさい。それで、私の言葉があなたにちゃんと伝わっているか、確かめてあげる」


 そう言った途端、桜谷は俺を部屋の外へ突っぱねた。


 廊下に放り出された俺は、閉ざされた扉を見つめる。


「なんなんだ……」


 結局、芝居に本気で取り組まないことへの文句だったような気もする。


 今のアイツはおかしい。


 君野の呪いの吸引力に引っ張られて、あんなふうになっているだけなんじゃないか……。


「本当のアイツは、どこにいるんだ……」


 そう考えること自体が、俺の“逃げ”なのか?


『でも、彼女の本心は見えないよね。女優さんだから。どこまでが本心なのか……』


 台本について話したあと、貴聞はそう言っていた。


 アイツでさえ見抜けないのなら、俺に分かるはずがない。


 結局、何が真実で、何が嘘なのか。


 俺は何ひとつ分かっていない。


『今のあなたは、頭巾をかぶったそれらしいだけの人間を、預言者だと勘違いしているだけなのよ』


 桜谷の言葉を思い返し、ハッとする。


 俺自身の大切な思い出なのに、ちゃんと向き合おうとしていたか?


「……今の俺、全然向き合ってないな。君野にも、桜谷にも……」


 今見えている景色は、俺の心を映した鏡だ。


 桜谷はきっと、そう言いたかったんだろう。


 俺は貴聞の部屋へは戻らず、奥歯を噛み締めながら地下室へ続く扉へ向かった。


 ずっと避けていた禁断の扉。


 この先にも、俺の大切な思い出が封印されている。


 震える手で、ドアノブに触れようとした。


 そのときだった。


「堀田。そこへ行く必要はないよ」


「!」


「僕の部屋に、君の台本が置きっぱなしだ。取りにおいで」


 振り返ると、貴聞がにこやかに笑っていた。

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