第43話「昔の話」
それから数日。
堀田は、連日稽古から帰ってきた桜谷に呼び出され、芝居の練習に付き合わされていた。
お互いに台本を片手に台詞を読むのだが、彼女はかなりのスパルタで、召使いの仕事に追われる俺にも容赦なく檄を飛ばしてくる。
その熱量は、もはや鬼の演出家だ。
なぜか桜谷はベッドの端に座って腕を組み、俺ばかりが新人俳優のように部屋の中でカンナくんを演じていた。
「おい、なんで俺がお前より俳優やってんだよ……!」
俺の疑問は尽きない。
第1稿を終え、第2稿、第3稿と次々に新しい台本が届くにつれ、舞台の物語も明らかになっていった。
「……おい。この内容、明らかに俺たちが中学生だった頃の出来事じゃねえかよ」
「うふふ。私が話したら、演出家が舞台にしたいって言ったの。ミスミちゃんは、記憶を失う君野くんがモデルよ」
「ますます小っ恥ずかしいだろ!」
「カンナくんは、当時のあなたがほとんどそのままね」
「誰がヘタレだ!じゃあ……このまま俺とお前のラブロマンスになるってことか?」
「大筋はね。でも、方向性を決めるのは向こうだから、この先何人増えるのかも、物語がどう展開するのかも、私にはまだ分からないわ」
桜谷は相変わらずツンとした態度で答え、ベッドの端から立ち上がった。
「それで、昨日渡した台本、覚えてきたでしょうね」
「いや……その……」
「何を赤くなってるの。はい、スタート」
「ま、待て!ここの部分は――」
俺が言い終えるより先に、桜谷はミスミちゃんになりきってしまった。
俳優でいえば、憑依型というやつだ。
勝手に芝居の世界へ入られると、こちらの声が届かなくなるらしい。こうなれば、俺も応じるしかない。
しかも今回の場面は、まるで中学時代をそのまま再現したような内容だ。顔が赤くならない方がおかしい。
――あの頃は、醜いくらい君野を2人で奪い合っていたんだよな。
嫌でも過去を思い出しながら、俺は台本を片手に台詞を読み上げた。
「……ミスミ、もうすぐ誕生日だな。何が欲しい?」
「そうね……今から誕生日まで、私があなたを覚えていられる時間。それから、あなたに祝ってもらう瞬間」
その答えを聞いた途端、記憶の中で「あのとき」のページが開いた。
恥ずかしさと懐かしさが源泉のように湧き上がり、全身が熱くなる。
そちらに気を取られていると、次の瞬間、桜谷が俺の胸へ飛び込んできた。
「ひいっ!?」
「ねえ――」
「ちょ、タンマ!待ってくれ!」
「また?これじゃ練習にならないわ。いちいち照れないで」
「分かった、もうやめよう。台本も返す。俺、もう耐えられん……」
桜谷は俺から離れると、呆れたようにため息をついた。
「ねえ、昔話をしましょう」
「え?」
「今だけは、自分が召使いだってことを忘れて。そうしたら、解放してあげなくもないわ」
「……」
俺と桜谷は、ふかふかのベッドに並んで腰掛けた。
互いの間に残されたぎこちない距離が、まるで中学生だった頃の俺たちを再現しているようだった。
しばらく、静かな時間が流れる。
窓に吹きつける風の音だけが、部屋の中に響いていた。
沈黙に耐えきれなくなった俺は、とうとう口を開く。
「……これって、芝居に関係あんのか?」
「あるわ」
そう答えた桜谷の視線が、俺の腕へ落ちた。
そこには、貴聞からもらった黒い腕時計がある。
「……覚えてる?私が君野くんに誕生日を忘れられて、号泣した日のこと」
「えっと……いつだ?」
「中1の頃よ。あなたが天使の置物を私に贈ったじゃない」
「……ああ」
言われた瞬間、当時の記憶が鮮明によみがえった。
確か、俺も桜谷も、吉郎のキスに呪いがあるとは知らなかった。
誕生日だけは祝ってほしい…そんな彼女の切実な願いがありながら
桜谷の誕生日当日、吉郎は彼女のことを存在ごと忘れたんだ。
それで、泣いていた桜谷に俺が天使の置物を贈った。
でも、あれはそのあと割られたんだっけ……
俺は天井を見上げながら、遠い記憶をたどった。
「ああ。それが今回、台本になった場面か」
「そうよ。今までの人生を振り返っても、どれだけ芝居をしても、あの頃を超えるような出来事なんて滅多にないわ」
「聞いてもいいか?……お前、なんで女優になったんだ?」
「あら。召使いになってから、不躾に踏み込んでこなくなったのね。昔のあなたなら、線路がなくても突っ込んできたのに」
「頭がおかしいやつみたいに言うなよ。で、なんで女優になったんだ?」
「演技の世界なら、いつかあの頃を超えられるかもしれない。そう思ったからよ」
桜谷の言葉に、俺は息をのんだ。
彼女はその後、色々なことを乗り越え、過去の自分と決別して立ち直った。
そのときに、君野から離れる決断もしたはずだ。
俺はてっきり、それで彼女の未練はなくなったものだと思っていた。
「でも、さっきお前……」
「だから、ここに来たの。君野くんを取り戻すためじゃないわ。あの頃みたいに、自分でも持て余すほど感情を動かされたかったの。それを芝居に生かしたいだけ」
「……」
そう言いながら、桜谷の右手は、爪でシーツを破いてしまいそうなほど強く握り締められていた。
今の話を聞いても、夢のレースを思い返しても俺にはそうは思えない。
食事の席で酒をあおっていたのも、芝居だったのか。
それとも、押し殺していた本心が漏れ出ていたのか。
「あなたは召使いじゃないわ」
「え?」
「それだけは覚えておきなさい」
「……芝居の話だよな?」
「……さあ、続きをやりましょう」
「俺、これから配膳があるんだぞ?」
「断りなさい。お芝居がうまくいくまで付き合ってもらうわ」
「マジかよ……」
「出しなさい、私に。あの頃の変態性を。その黒い腕時計が邪魔になるくらい……このド変態詐欺師」
桜谷は再び立ち上がり、俺に台本を差し出した。
懐かしい。
俺は、あの頃の孤独で独りよがりだった少女から、再び台本を受け取ったような気がした。




