第32話「異様なランチ」
堀田が夢の中で2度目のハムスターにされてから、1週間後。
貴聞は、父の判断に納得できずにいた。
突然白戸家を訪れた、堀田と吉郎の旧友2人。
追い返されるどころか、賓客として屋敷へ滞在することになったからだ。
前日、堀田から友人が来るとは聞いていた。
だが、まさか父が受け入れるとは思っていなかった。
理由を尋ねても、返ってきたのは一言だけだった。
――自分で確かめろ。
その結果、2人の来客の相手は貴聞へ任された。
昼でも陽が差し込みにくい、食堂の大広間。
天井から吊り下がる豪華なシャンデリアだけが、長い食卓を明るく照らしている。
貴聞は2人の賓客と向かい合い、昼食の席についていた。
どうやら、2人も昨夜が初対面だったらしい。
1人は、赤いシャツワンピースに黒いパンプスを合わせた女性。
背中まで伸びた黒髪の一部を3つ編みにし、傍らには小さな黒い鞄を置いている。
名前は、桜谷瑠璃子。
22歳の若手女優だという。
「女優さんだったんですね。どうりで、お綺麗だと思いました」
貴聞は社交辞令の微笑みを向けた。
華奢な体格ながら、舞台へ立つ人間らしい芯の強い目をしている。
化粧の効果もあるのか、年齢以上の艶があった。
その隣には、180センチもある背の高い男が座っていた。
白黒きいろ。
同じく22歳で、職業は画家。
ゆったりとした白いシャツに黒いパンツを合わせ、襟元と袖には黒い和柄が入っている。
長い黒髪は後頭部で束ねられ、腕を組んだまま堂々と椅子へ腰掛けていた。
必要以上に愛想を振りまく様子はない。
貴聞も、いつもの黒いスーツに身を包み、品の良い御曹司を演じていた。
「堀田から、あなた方を呼んだと聞きました。1週間前のメールも、ご覧になったんですよね?」
「見たわ」
桜谷はグラスの水を一口飲み、楽しそうに笑った。
「相変わらず、自分から面倒事へ頭を突っ込んでるのね。君野くんを追いかけて召使いになるなんて、本当にドラマみたいな人生だわ」
「暴走機関車にもほどがある」
きいろが短く言った。
「ふふ。舞台俳優より役者してるわね」
2人は顔を見合わせ、小さく笑った。
昨夜出会ったばかりとは思えないほど、不思議と波長が合っている。
そして、吉郎と長く関わってきた人間にしかできない、堀田への遠慮のない笑いだった。
堀田は言っていた。
吉郎への執着は、この2人も相当強いらしい。
貴聞は小さく咳払いをした。
「1週間も前の話です。堀田も、慣れない召使い生活で孤独になっていたのかもしれません。でも、今では仕事もすっかり板についています。心配はいりませんよ」
背後に控えていた等々元へ、貴聞は軽く手を上げる。
「堀田を呼んで」
「かしこまりました」
等々元は一礼し、静かに広間を出ていった。
「それにしても、まさか滞在までされるとは思いませんでした」
貴聞は再び2人へ視線を戻す。
「堀田は、良いお友達に恵まれていますね」
柔らかく微笑みながらも、内心では警戒していた。
この2人は、何を企んでいる?
きいろは椅子の背へ深くもたれ、肘掛けへ片肘を乗せた。
「それは、堀田とは関係ない」
「では、吉郎に?」
「違う」
きいろは真っ直ぐ貴聞を見る。
「アンタに関係することだ」
「僕に?」
「……覚えてないのか」
意味深な言葉に、貴聞の眉がわずかに動く。
その時、背後の扉が開いた。
数人の召使いとともに、配膳用のワゴンを押す堀田が姿を現す。
もうすっかり召使いの列へ溶け込み、何事もなかったかのような顔をしていた。
歩幅も、姿勢も、皿を運ぶ手つきも堂に入っている。
金縁の皿に盛られた前菜と、1本の赤ワインが運び込まれた。
「気が利くわね」
桜谷の言葉に、等々元は無言でグラスを置く。
角度をわずかに整え、美しい所作でワインを注いだ。
「本日のワインでございます」
続いて2つ目のグラスへ手を伸ばしたが、きいろが短く制した。
「結構だ」
等々元は静かに手を引く。
その間に堀田は、彩り豊かな野菜と牛肉のカルパッチョを3人の前へ並べ、カトラリーを整えていった。
皿を置くため身をかがめた時、シャツの袖口から黒い腕時計が覗く。
重厚な金属の艶と、控えめに光る文字盤。
一目で安物ではないと分かる品だった。
以前の堀田なら、値段を聞いただけで顔をしかめていたはずの時計。
だが今は、それを召使い服の一部であるかのように自然に身につけている。
きいろの視線が、その時計で一瞬止まった。
何も言わない。
ただ時計から堀田の顔へ、静かに視線を移した。
その変化に気づいた貴聞は、小さく微笑む。
「その時計、堀田によく似合うでしょう」
堀田の手が、ほんの一瞬だけ止まった。
「僕が贈ったんです。働きぶりへの褒美に」
「……別に、こんな高いもんじゃなくてもよかったんだけどな」
堀田は少し照れくさそうに笑いながらも、外そうとはしなかった。
貴聞は満足そうに目を細める。
「優秀な召使いには、それにふさわしい物を身につけてもらいたいから」
桜谷はワイングラスへ指を添えたまま、何も言わない。
きいろも口を閉ざしたまま、再び料理へ視線を落とした。
堀田は3人分のカトラリーを整え終えると、一礼し、何事もなかったように一歩下がった。
桜谷ときいろは、声をかけない。
堀田も2人へ話しかけない。
まるで本当に、ただの召使いと客であるかのようだった。
貴聞は、その3人の反応を静かに観察していた。
やがて堀田は一礼すると、空になったワゴンを押し、ほかの召使いたちとともに広間を出ていった。
再び、3人だけになる。
貴聞は、2人が何か反応を示すのを待った。
しかし桜谷はフォークを手に取り、カルパッチョに添えられたパプリカを口へ運ぶ。
きいろも無言のまま食事を始めた。
「ねえ、あなたはどんな人なの?」
桜谷が貴聞を見る。
「貴聞くんだっけ。まだ高校生なのよね」
「はい。都内の美鳥院に通っています」
「あそこって、入学した時点でエリートコースでしょう?本当に、生まれながらのお坊ちゃんね」
桜谷は赤ワインを口に含み、ゆっくりと飲み込む。
「そんな人が君野くんに夢中になるなんて、不思議なこともあるものね」
貴聞は穏やかな笑みを崩さない。
だが内心では、違和感が膨らんでいた。
堀田があれほど自然に召使いへ溶け込んでいる姿を見ても、2人は驚きもしない。
助けに来たはずなのに、声すらかけなかった。
堀田の友人というだけで見くびっていた。
違う。
この2人は、堀田の友人ではない。
吉郎が選んだ、厄介な人間たちだ。
貴聞の目から、表面だけの柔らかさが一瞬消えた。
「アンタ、黒が好きなのか」
きいろが短く尋ねる。
肘をついたまま、貴聞のスーツから薬指のリングまで視線を這わせていた。
「黒そのものが好きというより、黒は人をより美しく見せると思っています」
「徹底してるな。指輪まで黒い」
「美しいものは、統一されていたほうが好きなんです」
貴聞は静かに微笑んだ。
きいろは小さく鼻で笑っただけだった。
貴聞は少し間を置き、桜谷へ視線を移す。
「あの……堀田を見て、何も思わないんですか?」
「ああ。よくやってるわね」
桜谷はグラスの中で赤ワインをゆっくり揺らした。
「感心したわ」
「それだけですか?」
「他に何があるの?彼が自分で選んだ道でしょう」
「……そうですね」
貴聞は小さく息を吐く。
その時、再び扉が開いた。
白身魚のポワレが運ばれてくる。
配膳しているのは、また堀田だった。
皿を静かに置き、空いた食器を手際よく下げていく。
以前の堀田なら想像もできなかったほど、所作に無駄がない。
その姿を見て、貴聞は静かに微笑んだ。
「仕事にも、もう慣れたみたいです」
堀田は少し照れくさそうに笑う。
「毎日やってれば、嫌でも慣れる」
「彼は、本当に優秀なんです」
貴聞は誇らしげに続けた。
「飲み込みも早いですし、人のために動くことを苦にしません。僕の右腕として、とても助かっています」
桜谷はワイングラスへ指を添えたまま、何も言わない。
きいろも無言だった。
ただ、その視線だけが堀田から離れない。
堀田は何事もなかったように配膳を終えると、一礼し、広間を出ていった。
主菜を食べ終える頃、3度目の配膳が始まった。
扉が開いた瞬間、焦げた醤油の香ばしい匂いが広間へ流れ込む。
堀田が運んできた金縁の皿。
その中央には、焼きおにぎりが1つだけ乗っていた。
豪華な食器と、あまりにも庶民的な料理。
桜谷が目を細める。
「ギャップがすごいわね」
「最近の僕のマイブームなんです」
貴聞は少し誇らしげに答えた。
「体調を崩していた時、堀田が作ってくれました。空腹だったことを差し引いても、本当に美味しかったんです」
「へえ。堀田くん、やるじゃない」
その言葉に、堀田がようやく小さく笑った。
「ああ。ありがとな」
皿を置くため身をかがめた時、きいろの視線が堀田の首元で止まる。
第1ボタンと第2ボタンの間。
シャツの奥で、何かがわずかに膨らんでいた。
「……ネックレスまでつけてるのか」
「ああ、それですか」
貴聞は微笑んだ。
「僕がつけてあげたんです。ねえ、堀田」
指を2度、軽く曲げる。
堀田は一瞬だけ桜谷たちへ視線を向けたあと、何も言わず貴聞の隣へ歩いた。
「座って」
隣の席を軽く叩く。
堀田はわずかにためらったものの、言われるまま腰を下ろした。
貴聞は堀田の袖口を整え、静かに微笑む。
「本当によく働いてくれています。僕の自慢の召使いなんです」
続いて襟元へ両手を差し入れた。
首筋をなぞる指先に、堀田の肩がぴくりと震える。
それでも抵抗はしない。
シャツの中から現れたのは、あのリングだった。
「これだけは、どんな高価なものでも替えられないから」
貴聞は微笑みながら、細い指へ鎖を絡める。
元は歪な手作りの指輪。
今ではダイヤが埋め込まれ、中央の石まで揺れる派手なネックレスへ姿を変えている。
貴聞はそれを堀田の喉元へぴたりと当てた。
桜谷も、きいろも、焼きおにぎりへ手を伸ばさない。
ただ静かに、その光景を見つめていた。
貴聞はリングを指先でなぞり、堀田を見上げる。
「僕、堀田が好きなんです」
広間の空気が、わずかに張り詰めた。
「だから、こんなにいろんな人から好かれていると、少し嫉妬してしまって」
艶めいた視線が、堀田の顔を下から覗き込む。
堀田は目を伏せたまま動かない。
従順に首を上げ、その手へ身を任せていた。
静寂の中――
カラン。
きいろのフォークが皿へ落ちた。
乾いた音だけが、大広間へ響く。
「ここで、ずっと一緒にいよう」
貴聞は優しく微笑む。
「吉郎と僕を、これからも見守っていて。そして、いずれ立派な執事になってね」
「……ああ」
堀田は低く答えた。
喉仏が1度だけ静かに上下する。
次の瞬間。
貴聞は、そのリングへそっと口づけた。
誰かへ向けたものではない。
堀田の喉元にある、自分が与えた印へ。
恋人へ触れるようでいて、その仕草は――
まるで所有物へ刻印を押すようだった。
桜谷は静かにワイングラスを置く。
きいろも無言のまま貴聞を見据えている。
2人とも何も言わない。
だが、その沈黙は受け入れたからではなかった。
胸の奥で静かな青い炎だけが、ゆっくりと燃え始めていた。




