第17話「再会」
君野が堀田の元からいなくなって、1か月が経過した。
ゴールデンウィークも過ぎた頃だった。
君野は貴聞との5日間の海外旅行を終え、光沢のある高級車で屋敷へ戻ってくる。
言葉も通貨も異なる異国で貴聞に頼りきりだったせいか、君野はすっかり彼に心を許していた。
出迎える召使いたちの間を、旅行の余韻を残したまま2人で楽しそうに歩く。
赤い絨毯を並んで歩き、手をつないだまま屋敷の大きな玄関へ入った、その時だった。
「君野様、貴聞様。おかえりなさいませ」
目の前で頭を下げる、相変わらずロボットのように完璧な等々元。
その隣には、等々元より5センチほど低い、見慣れない召使いが同じように頭を下げていた。
新米の召使いは深々と礼をし、等々元に合わせるように顔を上げる。
「こちら、本日より屋敷に仕えることとなりました新米の召使い、堀田でございます」
「!!」
その瞬間、君野の体に電気が走ったようにのけぞり、そのまま後ろへ倒れた。
「君野様!!」
「大丈夫?」
コンクリートに尻餅をついた君野へ、等々元と貴聞が駆け寄り、腰を抜かした彼を2人がかりで支える。
目の前に凛と立つ召使いから、震える視線が離せない。
凛々しい顔立ちが、真っすぐこちらを見つめていた。
「ほ……堀田くん……どうして……!」
ついさっきまで旅行を楽しみ、浮かれて歩いていた自分が、ひどく恥ずかしく思えた。
堀田くんはもう新しい人を見つけて、この屋敷には来ない。
そう思い込んでいた。
でも、それは都合のいい解釈だった。
どうして。
なんで召使いとしてここに立っているの……?
「僕……ごめんなさい……堀田くん……」
思わず漏れたその言葉に、貴聞はすぐ主人の顔へ戻り、周囲へ目配せする。
「吉郎を部屋で寝かせて。時差ボケで具合が悪そうだから、すぐ手当てを」
指示を受けた召使いたちがすぐ駆け寄り、君野を抱きかかえていく。
担がれていく君野を、堀田は視界の端で見送った。
その表情は精悍なまま動かない。
その場の空気は等々元を含め、一気に張り詰めた。
そして堀田は、自分の恋人を奪った御曹司と再び向き合う。
貴聞は、旅館の女将のような穏やかな笑顔を浮かべ、丁寧に口を開いた。
「堀田さん、本日からどうぞよろしくお願いします。本来であれば、もう少し時間をかけて研修を行うべきところを、1か月で区切る形となり申し訳ありません。何分、我が家も人手が不足しておりますので……どうか力を貸していただければ幸いです」
「はい。よろしくお願いします。精一杯尽くします」
「住み込みで働くんですよね。生活でわからないことがあれば、等々元や僕に遠慮なく聞いてください。他の皆さんも優しいですから」
貴聞は業務的な口調でそう告げる。
一礼すると、そのまま大階段を駆け上がっていった。
まるで君野を追いかける権利は、自分だけにあると言わんばかりに。
「……」
堀田は追わず、目だけを動かしてその背中を見送る。
あくまでお前は召使いであり、恋敵ですらない。
そんな牽制を受けた気がした。
「……では、堀田さん。まずは厨房の方へ」
等々元は張り詰めた空気を和らげるように穏やかな声をかけ、そのまま堀田を厨房へ案内した。
「うう……ううう……う……」
その頃、君野は召使いから胃薬を飲まされ、部屋で弱々しく唸っていた。
布団にくるまり、小さく震えている。
そこへ、3度のノックが響いた。
「……吉郎?大丈夫?開けていい?」
貴聞の優しい声がドア越しに届く。
君野が何も返せず黙っていると、静かにドアが開いた。
「ごめん。あまりに心配だったから開けちゃった」
ベッドでは、毛布にくるまった君野が雪だるまのように震えている。
その姿に貴聞はくすっと笑い、ベッドへ腕を乗せて顎を預け、その顔を覗き込んだ。
「あれ?貴聞くん……?」
物音ひとつしないことが不安だったのか、君野はカタツムリのように布団から顔を出す。
「わ!」
目が合った瞬間、驚いて布団をかぶったまま亀のようにひっくり返った。
「吉郎は相変わらず、何をしていても面白いね。スノードームに入れて、ずっと見守っていたい」
「ねえ、どうして堀田くんがここにいるの?やっぱり僕を恨んでるのかな……」
「僕が採用したんだ」
「なんで!?」
「彼が面接に来たから。別に断る理由もないなあって」
「あるよ!!だって堀田くんは……」
「吉郎は堀田さんに会いたくなかったの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「おいで」
貴聞は間髪入れず、優しく両手を広げた。
君野は少しだけためらったものの、その胸へ吸い寄せられるように身を預ける。
スーツから漂う上品な香りが、混乱した頭と体を静かに落ち着かせていく。
もう、この匂いに安心してしまう自分がいた。
……もう抗えない。
僕は、罪深いことをしてしまったから。
「堀田さんがあまりにも元気がなかったから。きっとあのアパートで1人きりなのが寂しいんだと思う。人助けっていうほど大げさじゃないけど……このままだと危ない気がして、なんとかしたかったんだ」
「僕のせいだよね……でも、どうしたらいいかわかんない……」
「彼は召使い。この屋敷で働く1人。わかった?だから吉郎は普通にしていればいい」
「……普通に?」
「うん。だから、こうしてわからなくなったら抱きしめてあげる」
「……うん……」
「眠い?疲れた?」
「……寝る」
「うん。部屋着に着替えようか。その方が楽でしょ。僕が着替えさせてあげるから」
そう言って、貴聞は君野の額へそっとキスを落とした。
それすら疑問なく受け入れる君野のシャツのボタンを、1つずつ外していく。
胸元には、相変わらず堀田のリングが下がっていた。
本人を目の前にしても隠せないほど、それはもう彼の一部になっている。
貴聞はクローゼットから、いつもの真っ白なワンピースを取り出し、下着姿になった従順な彼へ頭からかぶせた。
「やっぱり吉郎は、この格好が一番可愛い。これからもずっと一緒だよ」
そう優しく微笑んだ。
一方、堀田は厨房での皿洗いを終え、裏口へゴミ出しに向かっていた。
「クソ……なんだあの野郎……」
誰もいない裏口で、思わずいつもの口調が漏れる。
さっき旅行から帰ってきた吉郎は、本当に楽しそうだった。
もうあの男と、ここで一緒に生きている。
俺が付け入る隙なんてないくらいに――。
美術館の土産を送ってくれたのは、俺へのあおりだったのか。
それとも、あいつの天然だったのか。
生ゴミを運ぶ自分が可笑しくなり、思わず失笑がこぼれる。
俺、今めちゃくちゃ惨めだ。
「この……!!!っと!」
堀田は力いっぱい生ゴミ袋を胸の高さまで持ち上げ、高く積まれたゴミ置き場へ放り投げた。
「うわ!キモ」
足元に、茶色いあの素早い虫が1匹現れる。
いつもなら大絶叫していてもおかしくない。
だが今は、不思議と新品の革靴の周りを行ったり来たりするそいつを眺めていられた。
「そうだ……こいつは俺だ」
こんな惨めな思いをしているのに、不思議なくらい生きている実感がある。
あの1人きりのアパートへ帰るくらいなら、まだこの生ゴミ置き場の方が居心地がいい。
だいぶイカれてる。
でも、それが今の俺の救いだった。
「あの指輪……」
屋敷へ乗り込んだあの日、吉郎の胸にあった俺のリングは、今日もまだそこにあった。
もしかしたら、まだ――。
俺はそれを信じて、ここへ来た。
「おーい!!ボサッとしてないで次運んでくれ!!」
背後で、人使いの荒い召使いの上司が眉をひそめている。
「はい!」
堀田はその声に、不思議とやる気が湧いた。
そして、すぐに厨房へ駆け戻っていった。




