第二十七話(後編): 風呂とアイスと封印扉
五十九階層で人工大理石の試験を終えたエリックたち。
目の前には六十階層へ続く巨大な封印扉。しかしエリックが優先したのは、古代文明の謎ではなく――完成したばかりの風呂と、新しく作る「冷たいスイーツ」だった。
しばらく待った後――。
カチリ。
エリックは床に置いた人工大理石の箱の蓋を静かに開けた。
中から水袋を取り出し、そっと傾けてみる。
……コト。
水袋の中身は完全に氷になっていた。
エリックは満足そうに頷く。
「よし。」
「成功。」
水袋を仕舞うと、エリックはあっさりと背を向けた。
「帰るぞ。」
その一言に、レイナが勢いよく食ってかかった。
「ちょっ、ちょっと待て!!」
レイナは五十九階層の奥――六十階層へと続く巨大な扉を激しく指差した。その扉には、複雑怪奇な文字が並んでいる。
「普通、あの扉を調べてから帰るだろ!」
「それは明日。」
「風呂完成が先。」
「はあ!?」
「材料。」
「揃った。」
「試験も。」
「終わった。」
「だから。」
「帰る。」
「待て待て待て! 魔王現象の手がかりが目の前にあるんだぞ!」
必死に引き留めるレイナに、エリシアも頷いた。
「そうです、エリックさん――」
――グウ〜〜〜〜……。
静かな空間に、腹の虫の音が響き渡った。
エリシアは一瞬で顔を真っ赤にする。
「そう言うエリシアも腹減ってるだろ。」
「た、確かに、そうですが……!」
「魔法陣有るからいつでも来れる。」
エリシアはコホンと咳払いをし、エリックを見つめた。
「明日、必ず調べますよ。」
「わかった。」
「約束です。」
エリシアと約束を交わしたエリックは、今後の予定を指折り数えるように言った。
「風呂完成させて、風呂入る。」
「そしてアイスだ。」
レイナとリシェルが首を傾げた。
「……アイス?」
「アイスとは? 魔法ですか? アイスボルトとかアイスアローとか?」
「いや。」
リシェルが尋ねる。
「では何でしょう?」
「甘くて冷たいスイーツ。」
一瞬の静寂。
「「「スイーツ!?」」」
三人同時に叫んだ。
「エリック!」
「作れるのか!?」
「うん。」
呆れ顔のレイナも、お腹を鳴らしたエリシアも、リシェルも揃って魔法陣へと足を踏み入れる。
エリックが魔力を流すと青白い光が四人を包み込み、一瞬で我が家へと転移した。
帰宅するやいなや、エリックは風呂場へと直行した。
足りていなかった人工大理石を床へ手際よく敷き詰め、ぴたりと嵌め込んでいく。
完璧に仕上がった美しい浴槽と床を見渡し、後ろで見守っていた三人が示し合わせたようにパチパチと拍手を送った。
だが、エリックは照れる様子もなくあっさりと振り返る。
「次。」
「アイス。」
厨房へ移動したエリックは、用意しておいた山羊のミルク、卵、そして風格のある岩を探して森を歩いた時に摘んでおいた深紅のワイルドベリーを取り出した。
鍋に山羊ミルクと少量の砂糖を入れ、弱火でじっくりと温めていく。
別のボウルで卵黄をほぐし、温めたミルクを少しずつ加えて手早く混ぜ合わせた。
そこに、潰したワイルドベリーを惜しみなく投入する。
白いミルクの中に綺麗な赤が広がっていき、あっという間に可愛らしいピンク色へと染まっていく。甘酸っぱい果実の香りが甘い湯気とともに厨房を満たした。
「すごい……綺麗……!」
エリシアが目を輝かせる。
エリックは温まったピンク色の液を素早く冷まし、金属の容器へと移した。
それを、先ほど完成させたばかりの人工大理石の箱――冷気を極限まで閉じ込めた「箱」へと放り込む。
「冷やす。」
「固まる前に。」
「混ぜる。」
「混ぜる……? 放っておくだけじゃダメなのか?」
首を傾げるレイナに、エリックは短く答えた。
「空気。」
「入れないと。」
「カチコチ。」
冷やしては取り出し、フォークで何度も丹念に空気を含ませるように混ぜ合わせる。
それを何度か繰り返すと、シャリシャリとした氷粒と滑らかなミルクが混ざり合い、とろりとした極上のジェラート状に仕上がった。
エリックは満足そうに頷く。
「できた。」
だが。
すぐには食べない。
完成したアイスを箱の中へ戻す。
「待つ。」
レイナが首を傾げる。
「……食べないのか?」
エリックは当然のように答える。
「風呂。」
「先。」
三人は顔を見合わせた。
「……。」
エリックは何でもないように続ける。
「風呂上がり。」
「アイス。」
「これ。」
リシェルが小さく笑う。
「そこまで決めていたんですね。」
エリックは頷く。
「うん。」
「スローライフ。」
そして。
エリックは浴室へ向かう。
「入るぞ。」
「風呂。」
呆れながらも、三人はその後を追った。
火照った体で戻ってくると、エリックは箱を開けた。
冷気がふわりと漏れる。
中から取り出した器を、人数分並べる。
木のスプーンを添える。
「できた。」
「ワイルドベリーの。」
「アイス。」
三人は目を輝かせた。
エリックが並べた器を、三人は恐る恐る覗き込んだ。
白と赤が混ざった、見たことのない冷たい菓子。
「これが……アイス?」
エリシアが小さく呟く。
エリックは頷いた。
「うん。」
三人は木のスプーンを手に取る。
そして。
一口。
「……。」
最初に目を見開いたのはリシェルだった。
「……冷たい。」
「ですが……甘くて……。」
もう一口。
「美味しい……。」
エリシアも静かに味わう。
「こんなもの……初めて食べました。」
「冷たいのに、甘さが広がる……。」
レイナは黙ったまま食べ続けていた。
そして。
「……。」
「これ。」
「危険だな。」
エリックが首を傾げる。
「?」
レイナは真剣な顔で続けた。
「食べる手が止まらない。」
リシェルが笑う。
「レイナさんらしい感想ですね。」
三人が食べ終える頃。
エリシアがふと尋ねた。
「エリックさん。」
「どうして……こんなものを作れるのですか?」
「この冷却方法もそうですが。」
「この味も。」
「普通、十四歳の方が知っているものではありません。」
エリックは少し考える。
そして。
「前。」
「バイト。」
三人が首を傾げる。
「バイト……?」
エリックは頷いた。
「漫画。」
「描いてた。」
「でも。」
「お金。」
「必要。」
「だから。」
「ラーメン屋。」
「スイーツの店。」
「手伝った。」
三人は固まった。
エリシアが目を瞬かせる。
「……つまり。」
「趣味ではなく。」
「生活のために覚えた技術なのですか?」
エリックは頷く。
「うん。」
「でも。」
「資料になる。」
その答えに、三人は妙に納得した。
「……エリックさんですね。」
リシェルが微笑む。
レイナはため息を吐いた。
「世界を救える知識より、まず食生活を充実させる奴か……。」
夕暮れ。
四人は家の外で、沈んでいく太陽を眺めていた。
森を赤く染める光。
遠くから聞こえる風の音。
騒がしい街もない。
戦いもない。
ただ、静かな時間だけが流れている。
リシェルは小さく息を吐いた。
「……。」
「こんな日が。」
「毎日続くと……良いですね。」
その言葉に、エリックが振り返る。
「うん。」
「いい。」
エリシアも夕日を見ながら、静かに頷いた。
「……確かに。」
「魔王現象の調査も大切です。」
「ですが……こういう時間を守るために、私たちは戦っているのかもしれませんね。」
一瞬。
静かな空気が流れる。
その横で。
「待て待て待て。」
レイナが思わず声を上げた。
「お前達。」
「いつからそっち側になったんだ?」
リシェルが首を傾げる。
「そっち側……?」
エリシアも不思議そうに振り返る。
レイナは二人を指差した。
「いや。」
「最初は古代文明だの魔王現象だの言ってただろ。」
「なのに今は……。」
「夕日見ながら、毎日こんな日が続けばいいですねって。」
深いため息。
「完全にエリックに染まってるじゃないか。」
エリックは首を傾げた。
「?」
「いい。」
「大事。」
レイナは頭を抱えた。
「……お前まで言うな。」
その夜。
四人はそれぞれの部屋へ戻り、静かな眠りについた。
翌朝。
《魔力休止域》。
転移魔法陣の光が静かに消える。
六十階層への扉の前に、四人は立っていた。
昨日と変わらず、巨大な扉は静かに佇んでいる。
扉一面には、五十階層の封印扉を遥かに超えるほど複雑な古代文字と術式が刻まれていた。
エリシアはその扉を見上げる。
「……。」
「ここに。」
「魔王現象を終わらせる鍵があるかもしれません。」
レイナが大剣へ手を添える。
「なら、確かめるぞ。」
リシェルも頷いた。
「慎重に調べましょう。」
エリックは一歩前へ出る。
Gペン型の杖を握る。
そして。
「鑑定。」
淡い光が扉を包み込む。
《対象:六十階層封印扉》
《解析開始》
《古代術式確認》
《防護術式確認》
《認証術式確認》
《解析継続》
しばらく沈黙。
《解析完了》
《三重ロック構造》
《確認》
鑑定の声が響く。
「解除しますか?」
エリックは扉を見る。
少しだけ考える。
そして。
「頼む。」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
六十階層の封印扉という大きな謎を前にしながら、まず風呂とアイスを優先するのがエリックらしいところです(笑)。
次回はいよいよ六十階層の封印扉を調査します。古代文明の秘密、そして魔王現象の真実に少しずつ迫っていく予定です。
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