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第一話(前編):田舎を頼んだら魔境でした

皆さま、はじめまして。


『スローライフしたいのに女神様がポンコツだった件

〜漫画家脳で魔境を快適化していたら、魔王現象までハックしてました〜』


を読んでいただきありがとうございます。


本作は、


「スローライフがしたい主人公」



「全然スローライフさせてくれない異世界」


のお話です。


勇者になる気もなく、世界を救う気もない元漫画家が、ただ平和に暮らしたいだけなのに、なぜか周囲がどんどん騒がしくなっていきます。


まずは第一話前編。


異世界転生のお約束から始まるはずだった主人公の生活を、楽しんでいただければ幸いです。

きらびやかな部屋。


も天井も、光そのものを固めたように淡く輝いている。


現実ではありえない空間。

豪華な椅子に座る俺の向かいには、女神。

「――あなたは、死にました」


脳裏に一瞬よぎるのは、横断歩道で飛び出した子どもを助けようとした瞬間。


迫るトラック。考えるより先に体が動いた記憶。


(マジかよ……本当にあったのか、異世界転生って)


ネット小説や漫画の中で、何百回と手垢がつくほど擦られてきた定番の導入部。


まさか自分の人生の最終回が、その『お約束』のネーム通りになるとは思いもしなかった。


女神が静かに問う。


「後悔していますか?」


沈黙。


そして俺の頭に、別の記憶が浮かぶ。

散らかった部屋。


食べかす、空き缶、描きかけの原稿。


締切を3日過ぎたままのネーム。


家賃の催促と、バイトのシフト通知。


うだつの上がらない漫画家としての、すり減るような生活。


だが俺は言う。


「……後悔はしてない」


少なくとも、あの瞬間の作画ポーズは完璧だったはずだ。


女神は少し目を細める。


「では、能力を一つ授けましょう」


「要らない」


「……えっ?」


さらに続ける。


「魔王を討つ、勇者にもなれるのよ」


「ならない」


「えー!?」


完璧だった女神の表情が、ここで初めて美しく崩れる。


「スローライフしたい」


「すろーらいふ……?」


「田舎で、のんびり暮らすやつ。誰にも急かされないやつ」


「いなか……?」


女神は心底不思議そうに首をかしげる。


「本当に何も要らないのですか?」


女神の声は、どこか疑わしさを含んでいた。


戦う力も持たずに異世界へ行くバカがどこにいるのか、とでも言いたげに。


「……あっ、暇つぶしに魔法書は読みたい」


資料を読むのは漫画家の習性だ。少し考えてから付け足す。


「あと、雨風がしのげる丸太小屋」

女神は一瞬だけ間を置き、

「……わかりました」


今度はあっさり頷いた。その口元が、わずかに歪んだのを俺は見逃さなかった。


「年齢は決めさせてあげます。これくらいは特権です」


「良いのか?」


「はい」


あまりに軽い返さに、逆に不安になる。


どうする俺……。


戦う能力を断った以上、肉体年齢だけは一番「動ける」状態にしておくべきか。


少し考えて、自分の全盛期を思い出し、口を開く。


「なら……俺が描いた漫画の主人公と同じ年で。一番ネームが乗ってた時の」


「十四歳」


女神は静かにうなずいた。


「承知しました。あなたの望む通りの環境を用意しましょう」


空間が、ゆっくりと歪む。


光がほどけていくように視界が揺れ、

きらびやかな部屋の輪郭がサラサラと崩れていく。


その直前、女神が小さく呟いた。


「……本当に、それでよろしいのですね」


それは、哀れみのような、あるいは。


歪み。


視界が一気にほどけて、体が落ちるような感覚.

次に目を開けた時には、もう女神はいない。

周りを見渡す。


「……は?」


森の中に、ぽつんと一軒家。


いや、正確には——丸太小屋。


「はぁ?」


思わず声が出る。


「俺、田舎って言ったよね……?」


スローライフの定番である、のどかな農村や親切な村人は見当たらない。


木々はやたらと禍々しく濃く、空気も肌にまとわりつくようにやけに湿っている。


のんびりした畑も、人の営みを感じる村の気配もない。


あるのは見渡す限りの、森。森。森。


そして——


遠く、陽の光すら届かない森の奥から。


「グルルル……」

獣とも人ともつかない、粘り気のある唸り声。


「……いやいやいやいや」

頭を抱える。


「田舎って、こういう意味じゃねぇんだよ……! これ大自然サバイバルとか魔境ってレベルだろ!」


「なんだか違うね」


ぽつりと呟く。


だが、数々の修羅場を越えてきた元漫画家だ。パニックになっても締め切りは伸びない。


「まぁ焦っても仕方ないか……まずは支給品の魔法書でも」


粗末な丸太小屋の中に入り、木製の机に魔法書を置く。


埃っぽいページを開くと、そこには複雑怪奇な幾何学模様――魔法陣。


「……は?」


思わず目を細める。


「これ……」


線の流れ、円の配置、記号の密度。


最初はただの怪しい呪文の羅列に見えた。だが、じっと見つめているうちに、脳内の記憶と完全にリンクする。


「漫画の構図と同じじゃん」


気づいた瞬間、見え方がガラリと変わる。


「この外枠の太い線は背景だろ……こっちの矢印の流れは、読者の視線誘導」


「この中央の大きい円は……一番目立たせるべき“大ゴマ”だ」


「なるほど、ここでエネルギーを集中させて“見せ場”作ってるのか」


理解というより、解釈が完全に“漫画編集脳”になる。

異世界の神秘であるはずのページの魔法陣が、もはや完成されたネームのコマ割りにしか見えない。


「ならコレは、ここをこう弄れば……」


その瞬間。


ぐぅぅぅ……


「……腹ァ」


間の抜けた音。緊迫感より先に、十四歳の若すぎる胃袋が悲鳴を上げた。


食料を探しに外へ出ると、草むらからぴょこん、と現れたのは——


「……うさぎ?」


白い毛並み、長い耳。


ただ一つ違うのは、


「……なんか、でかくないか?」


普通のうさぎより一回り、いや二回りは大きい。


そして、獲物を値踏みするような目が妙に鋭い。


だが、そのうさぎは警戒しつつも、俺が地面に描きかけていた魔法陣の中へ、自らぴょん、と足を踏み入れる。


「今だ……!」


イメージするのは、演出(魔法)の枠からキャラを逃がさない『コマの密閉』。


ギュッ!!


魔法陣の枠線が、意思を持ったように一瞬で締まる。

「……っ!」


うさぎは驚いて暴れるが、見えない壁に阻まれたように逃げられない。


数秒の激しい抵抗のあと、完全に動きが止まる。

静寂。


「……」


茂みの中で固まる。


「……捕れた?」

本当に、指で描いたネーム(構図)の通りに世界が縛られた。


ゆっくり近づく。


魔法陣の中には、確かに身動きの取れなくなった“獲物”。


「……マジか」


捕まえた大きなうさぎを前に、俺は完全に立ち尽くす。


「……これ、どうすんだよ」


まだ息がある。胸が小さく上下に動いている。


「……無理だろ」


手が出ない。


コンビニのパック肉しか見たことのない元現代人に、今さっきまで生きていた獣の息の根を止めるなんて芸当ができるはずもない。


「いや、生きてくには必要なんだけどさ……」


分かってはいる。だが、生々しい肉体の温もりが目の前にあるだけで、どうしても身体が拒絶する。


俺はいたたまれなくなって視線を逸らす。


しばらく、重苦しい沈黙。


「……丸焼き?」

ぽつり。

「いやいやいや」

下処理も何もせずそのまま火に突っ込むのかと、自分でツッコむ。


「……まずは火、か」

現実逃避気味に、手元の魔法書に視線を落とす。

「火の魔法陣……これを地面に描けばいけるか?」

「……いや, いきなりページ全体を使った大ゴマの演出は無理だ」


パニックになりそうな脳を落ち着かせるように、小さく息を吐く。


「まず火、そのものだけを作るか」


しゃげみ込み、地面の土に指で魔法陣を描き始める。


「この線がエネルギーの流れで……ここが“点火”のスイッチ」


完全に漫画のキャラクターを配置するような、ネームの構図で考えている。


「強すぎると火事になるな……演出は控えめ、ページの隅の『小ゴマ』でいい」


描き終え、イメージを流し込む。


ボッ

頼りない音を立てて、小さな赤い火が灯る。


「……おぉ」


ちょっと感動。


本当に自分の描いたコマ割りの通りに、現実の現象がコントロールできた。


でも、すぐに視線が足元のうさぎに戻る。


「……で、本当にどうすんだよこれ」

「……無理だ」

しゃがみ込む。


「俺、無理だわ」


捕まえたうさぎを見る。

まだ生きてる。


「……逃がすか」

そう言って、魔法陣に手をかける。


その時。

ぐぅぅぅぅ……

間の抜けた音で、腹が鳴る。


「……」

手が止まる。


「いや……でも……」


視線が激しく揺れる。

うさぎ → 自分の腹 → うさぎ


「……はぁ」


頭を抱える。


「なんでこんな最初からイベント重いんだよ……!」


葛藤の末、やっぱり「……逃がすか」と魔法陣に手を伸ばした、その瞬間だった。


ガサッ!!


「!?」


影が横から猛スピードで飛び込む。


一瞬。


本当に、一瞬の出来事だった。


うさぎの巨体が、唐突に上空へ持ち上がる。

「え——」


遅れて、俺の魔法陣が空振りのまま収縮する。

ギュッ!!


空を掴むように閉じる陣。


バサッ、と激しく風を切る音。


見上げると、巨大なタカのような影が森の上へ抜けていくところだった。


「……は?」

数拍遅れて、ようやく理解が追いつく。

野生の捕食者に、横から獲物を分捕られたのだ。


コトッ。

乾いた音を立てて、何かが地面に落ちた。


「……」

ゆっくりと視線を落とす。

そこにぽつんと残っている、さっきまで生きていたものの一部。


「……マジかよ」


しばらく動けない。

生々しい弱肉強食の現実だけが、そこにある。


ぐぅぅぅ……

また、間の悪い音が響いた。


「……」


目を閉じる。


「……食うしかないよな」


ゆっくりと息を吐く。


「これからのこと考えたら……ここで日よってたら、次は俺があの鳥の餌だ。慣れないとダメか」


手を伸ばしかけて、少しだけ手が止まる。


「……いや、生は無理だろ」


即座に引っ込め、顔を上げる。


小屋の方を見る。


「火、だな」


丸太小屋の前。


地面に指で線を引く。


「さっきのは小さすぎた……肉を焼くならもう少し火力がいる」


魔法書を開き、手本のページを睨む。

「この円がメインタンク……ここから熱量を流す」


ペンを握っている時と同じ、完全に“作画”の顔。


「でも強すぎると丸焦げだな……」


少し考えて、線の太さと密度を調整する。

「……中ゴマくらいのコマ割りでいいか」


線を引き終える。

一瞬、ためらう。

「……よし」


ボッ!!


「うおっ!?」

思ったより勢いよく火が上がる。

慌てて一歩下がる。

「ちょ、強っ……! 演出過剰だろ!」

だが、火は魔法陣の枠線からはみ出すことなく、その場で安定して燃え続ける。

「……まぁ、使えればいいか」


しばらく火を見つめる。

それから、ゆっくりと視線を落とす。

手の中にある、リアルな野生の“それ”。


「……」

少しだけ目を閉じる。


「いただきます」

現代人のちっぽけな意地を捨て、小さく呟く。


火にかざす。

じゅ、と脂の落ちる音がする。

立ち上る、強烈な焦げる匂い。

「……これで合ってんのか?」

もちろん、誰も答えない。


しばらくして。

「……黒くね?」

味付けも下処理もない肉塊は、あっという間に煤まみれになった。


恐る恐る口に運ぶ。

「……」

意を決して、噛む。


「……」


「……まずくは、ない」

非常に微妙な顔。


「……いや、うまくもないな。塩が欲しい」

野生の臭みがダイレクトに口の中に広がる。


火の前に座り込む。

森は相変わらず静かで、けれど無数の生物の濃厚な気配だけがある。


「……スローライフ、どこ行った」


ポンコツ女神め、ここを“スローライフ可能エリア”に改造してやる

第一話前編を読んでいただきありがとうございました。


田舎でのんびり暮らしたいと言った結果、送り込まれた先はどう見ても魔境でした。


女神様的にはちゃんと希望を叶えたつもりかもしれません。


主人公的には完全に詐欺です。


まだ本人は気づいていませんが、この森は王国でも指折りの危険地帯です。


それでもエリックは、


「どうやって生き残るか」


より先に、


「どうやって快適に暮らすか」


を考えています。


たぶん漫画家の職業病です。


次回、第一話後編。


初めての魔物との遭遇と、スローライフからどんどん遠ざかる生活が始まります。


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