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Ep84. 初めて呼びたかった名前

前世の俺は、そう理解していた。命令する力。説得する力。騙す力。傷つける力。だからこそ言葉は正確でなければならない。曖昧さは害悪だ。そう思っていた。

だが、最近の俺は、別のことを考えている。言葉とは、誰かに届きたいという願いそのものではないのか、と。

   ◇ ◇ ◇

「ルークー」

オリヴィアが笑う。

「見て見て」

今日持ってきたのは、木で作られた小さな人形だった。粗削りだ。腕も少し曲がっている。塗装もない。商品価値は低い。前世の俺なら、そう評価しただろう。

だが。

「お父さんが昔作ったんだって」

その一言で、人形の価値は変わる。思い出。記憶。大切な人との繋がり。そういうものが宿る。

……本当に。この人生になってから、物の見方が変わった。

   ◇ ◇ ◇

「ねえルーク」

オリヴィアが人形を揺らしながら言う。

「早くお話できるようにならないかな」

胸が跳ねた。話したい。俺もだ。言いたいことは山ほどある。薬草の話。魔術の話。いや、そんなことじゃない。もっと単純なことだ。ありがとう。会えて嬉しい。今日も来てくれてよかった。そんなことを、ちゃんと伝えてみたい。

「ルークなら、最初に何て言うのかなあ」

オリヴィアが首を傾げる。

その瞬間、俺の中で一つの答えが浮かんだ。決まっている。今ならわかる。前世なら選ばなかった言葉。だが、今の俺が最初に呼びたい名前は。

――オリヴィア。

その名前だった。

気づいた瞬間、自分でも驚いた。魔術でもない。知識でもない。母親の名前ですらない。最初に呼びたいと思ったのは、いつも笑っていて、いつも話しかけてきて、毎日ここへ来る少女だった。

……重症だな。本当に。

   ◇ ◇ ◇

「るーく?」

覗き込まれる。近い。相変わらず近い。だが、今だけは悪くなかった。

俺は口を開く。まだ無理だとわかっている。発音器官は未熟。舌も動かない。それでも。

「……お……」

違う。足りない。もっとだ。もっと近づけ。

「……り……」

オリヴィアが目を丸くする。

「え?」

惜しい。だが届かない。結局、そこまでだった。悔しい。前世なら複雑な魔術理論を語れたのに、今は一人の少女の名前すら呼べない。情けない話だ。

   ◇ ◇ ◇

「今の、何だったんだろ」

オリヴィアは首を傾げたあと、いつものように笑った。

「また聞かせてね」

その笑顔を見ながら、俺は静かに決意する。もっと話せるようになろう。もっと言葉を覚えよう。魔術のためじゃない。知識のためでもない。ただ、一度だけでいい。ちゃんとその名前を呼びたい。

そう思った時、言葉は初めて、誰かに届くためのものなのだと理解できた気がした。

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