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Ep83. 言葉にならない返事

人は、言葉で理解し合う。

 前世の俺は、そう信じていた。

 正確な説明。論理的な会話。誤解のない伝達。それこそが知性だと。言葉を持たない者は不利だ。表現できない者は損をする。そう思っていた。

 だから、今の状況は本来なら耐え難いはずだった。

 話せない。説明できない。思考の百分の一も伝えられない。

 それなのに、不思議と、以前ほど苦痛ではなかった。

 ◇ ◇ ◇

「ルーク?」

 オリヴィアが覗き込む。今日も近い。相変わらず近い。その距離感はどうにかならないのか、と思う一方で、少し安心している自分がいる。

 ……重症だな。本当に。

「どうしたの?」

 俺は彼女を見る。話したいことはある。たくさんある。その絵本の結末は構成が甘いとか、川辺の薬草はもっと別の使い方があるとか、昨日の擦り傷はもう問題ないとか、言いたいことはいくらでもある。

 だが、口から出るのは。

「……お」

 たった一音。未熟な発声。情けないほど短い返事。それなのに。

「うんうん」

 オリヴィアは満足そうに頷いた。

「そうだよね」

 ……いや。何も伝わっていないだろう。論理的に考えれば、伝達内容は皆無だ。だが、彼女は嬉しそうだった。

 ◇ ◇ ◇

 その時、ふと気づく。

 オリヴィアは、言葉を聞いているんじゃない。俺を見ている。視線。表情。声の調子。反応。そういうもの全部を含めて、会話している。前世の俺が軽視していた部分だ。

 患者もそうだったのだろうか。

 俺は症状だけを聞いた。数字だけを見た。結果だけを求めた。だが患者たちは、もっと別の何かを求めていたのかもしれない。不安を聞いてほしい。怖いと伝えたい。大丈夫だと言ってほしい。そういうものを、俺は見ようともしなかった。

 ◇ ◇ ◇

「ルーク」

 オリヴィアが微笑む。

「今日も元気でよかった」

 それだけの言葉。何の情報もない。何の利益もない。前世の俺なら、そう切り捨てただろう。だが今は違う。その言葉が嬉しい。理由はわからない。論理的説明もできない。それでも、胸の奥が温かくなる。

 俺は小さく手を伸ばした。オリヴィアの指に触れる。言葉の代わりに、今の俺にできる、精一杯の返事。

「……あ」

 短い声。未完成な言葉。それでも。

「ふふ」

 オリヴィアは嬉しそうに笑った。

 通じている。完璧じゃなくても、言葉にならなくても、少しずつ、ちゃんと、通じている。

 その事実が、今日の俺には、何より嬉しかった。

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