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Ep77. 初めての成功

成功とは、冷徹な「結果」の集積である。前世の俺は、微塵の疑いもなくそう信じていた。


どれほど過程が醜悪であろうと、どれほど周囲の人間を踏みにじり、その屍を積み上げようと、最終的に誰もが黙り込むような圧倒的な成果を示せば、それでいい。それが全てだ。病を治せば、俺は神の如く称賛された。死の淵から救えば、有無を言わさずその実力を認められた。


俺が欲していたのは、感謝の言葉でも、救われた者の笑顔でもない。ただ、冷たく無機質な「数字」、積み上げられた「実績」、権威ある「論文」、そして自分を頂点へと押し上げる「評価」。それらだけが、俺にとっての成功の全容であり、生きる意味そのものだった。


だが、今朝の俺は、これまで経験したことのない奇妙な感覚と共に目を覚ました。


窓の隙間から差し込む冬の朝日は、鋭くもどこか柔らかく、俺の小さな視界を白く染め上げている。まだ冷え切った空気の中で、バーバラは既に起き出し、家事を始めていた。台所から聞こえてくる、控えめな水の音。パチパチと爆ぜる薪の音。俺は自分の揺り籠の中で、じっと息を潜め、その音の連なりに耳を澄ませていた。


気になる。気になって仕方がないのだ。

昨夜、俺はこの未熟な赤ん坊の体で、初めての「医魔術」を行使した。バーバラの荒れ果てた、ひび割れた手を救うために。


術そのものは、確かに成功したという確信がある。だが、問題はその「質」と「持続」だ。今の俺は、かつての膨大な魔力も、精密な医療器具も持ち合わせていない。あの微細な治癒術式が、果たして一晩経ってどれほどの効果を残しているのか。術式構築自体は、前世の知識を総動員した完璧なものだった。しかし、この未発達な魔術回路から供給できる魔力量には限界がある。理論上、その持続性は極めて低いはずであり、朝になれば元の痛みに戻っている可能性も否定できなかった。


もし改善が見られなければ、次は周囲に生えている薬草との併用を模索すべきか。あるいは、術式の効率をさらに一パーセントでも高めるために構築を組み直すべきか……。


そんな、かつての「研究者」としての思考が頭を巡っていた時、一瞬、家の空気が止まったような気がした。


「……あれ?」


バーバラの声だった。俺の思考は、その小さな呟きによって強制停止させられた。


「痛くない……?」


その一言が耳に届いた瞬間、俺の小さな胸の奥が、どくりと大きく跳ねた。

揺り籠から見上げる視線の先で、彼女が自分の両手を見つめている。昨夜まで赤く腫れ上がり、指を動かすたびに痛みに顔を歪めていたその手が、今は赤みが引き、深いひび割れも劇的に改善されていた。


成功だ。それも、完全なまでの。

俺の立てた仮説、計算、術式の最適化。それらが全て正解であったことが証明された。いや、それどころか、結果は「理論以上」と言ってもいい。この身体の魔力は、俺が予測していたよりも遥かに高い治癒適性を秘めているようだ。


前世で扱っていた魔力よりも、ずっと繊細で、ずっと柔らかい。まるで細胞の一つ一つに寄り添うように、自然な形で生命そのものへ働きかけている。興味深い。実に興味深い現象だ。このまま彼女の経過を観察し、数値を記録し、比較対象を増やしていけば、この世界の魔術体系における新たな発見が――。


そこで、俺の冷徹な分析は、自分でも驚くほど唐突に終わりを迎えた。

違う。今、俺の心に真っ先に浮かぶべき言葉は、そんな氷のような考察ではないはずだ。


「よかった……」


バーバラが、誰に聞かせるでもなく、小さく、本当に小さく吐き出した独り言。

そこには、自分を誇示するような響きも、俺に対する過剰な期待もなかった。ただただ、長年自分を苦しめてきた「痛み」から解放されたことへの、飾りのない安堵だけがあった。


その無垢な言葉を拾い上げた瞬間、俺の胸の奥に、じんわりとした、説明のつかない熱が広がった。

これが、成功。

前世で得た、どんな名誉ある学会での喝采よりも。どんな権力者から贈られた黄金の勲章よりも。ずっと静かで、ずっと些細な、たった一人の女性の安堵。


それだけなのに、どうしようもなく心が満たされていく。今まで俺が積み上げてきた「成功」の定義が、ガラガラと音を立てて崩れ、全く新しい色で塗り替えられていくようだった。


バーバラがゆっくりと俺のもとへ歩み寄り、愛おしそうに抱き上げる。

「おはよう、ルーク」

頬に触れた彼女の手は、昨日よりもずっと滑らかで、温かかった。その肌の感触が、直接俺の魂に語りかけてくるようだった。そのくすぐったさに、俺は抗うこともできず、思わず目を細める。


「ふふ。今日はとっても機嫌がいいのね」

彼女は微笑むが、それは少し違う。機嫌が良いのではない。

これは、達成感だ。いや、それすらもまだ言葉が硬すぎる。


嬉しい。そう、ただ単純に、嬉しいのだ。


……認めよう。俺は今、打算も虚栄心もなく、ただ「誰かを治せたこと」を、心底から喜んでいる。

それは、前世の俺が決して持ち合わせることのなかった感情。かつての俺にとって、治療とは己の優秀さを誇示するための「証明」であり、患者はそのための「検体」に過ぎなかった。


だが今は違う。目の前のこの人が、少しだけ楽になった。俺の手で、彼女の苦痛を一つ取り除くことができた。ただそれだけの事実が、これほどまでに俺を突き動かす。


成功の意味が、変わった。

結果の先にいる、呼吸をし、感情を持つ「誰か」。その存在の重みを、俺はようやく、この赤ん坊の身体になって意識することができた。医魔術師として、あるいは一人の人間として、あまりにも遅すぎる気づきかもしれない。


だが、もしこの人生が「やり直し」のためのものであるならば。

今からでも、まだ間に合うはずだ。

窓から降り注ぐ冬の陽光に包まれながら、俺はそう確信した。


これが俺の、本当の意味での「初めての成功」だった。

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