Ep07. 慣れは、油断を生む
同じ行動を繰り返せば。
人はそれを「当然」と認識する。
例外ではなくなる。
特別ではなくなる。
ただの現象になる。
——それは、危険だ。
◇ ◇ ◇
「ルークー」
オリヴィアの声。
もはや驚きはない。
予測の範囲内。
時間帯。
頻度。
接近距離。
すべて、ある程度は把握している。
再現性のある現象。
——扱いやすい。
◇ ◇ ◇
俺は視線を向ける。
逸らさない。
これはすでに“習得済み”の行動だ。
視線を合わせることで、相手の反応が改善する。
その結果は、既に確認済み。
ならば継続する。
合理的判断。
◇ ◇ ◇
「今日も元気だね」
オリヴィアが笑う。
反応あり。
表情の変化。
声の柔らかさ。
——良好。
◇ ◇ ◇
問題ない。
想定通りだ。
だから。
もう一歩だけ、進める。
◇ ◇ ◇
俺は、声を出した。
「……ぁ」
短く。
弱く。
だが、意図して。
◇ ◇ ◇
「……!」
オリヴィアが止まる。
わずかに目を見開く。
反応速度、良好。
◇ ◇ ◇
「ルーク……今、呼んだ?」
違う。
呼んではいない。
意味のある音ではない。
ただの発声。
だが。
彼女はそこに意味を見出した。
——人間はそういう生き物だ。
◇ ◇ ◇
ならば。
利用する。
◇ ◇ ◇
「……ぁ」
もう一度。
同じ音。
同じ条件。
◇ ◇ ◇
「ふふ……もう一回言って」
笑う。
明らかに、喜んでいる。
理由は単純だ。
“自分に向けられた”と解釈しているから。
◇ ◇ ◇
なるほど。
単純だ。
極めて単純だ。
だが。
だからこそ、扱いやすい。
◇ ◇ ◇
俺は、さらに続けた。
「……あ」
少しだけ変化を加える。
音の長さ。
間の取り方。
反応を見るための調整。
◇ ◇ ◇
「すごい……ルーク、おしゃべり上手だね」
評価。
肯定。
明確な報酬。
◇ ◇ ◇
成功。
これは成功だ。
低コストで高反応。
極めて効率の良い手段。
◇ ◇ ◇
——なるほど。
これなら。
◇ ◇ ◇
その瞬間。
俺は、少しだけ油断した。
◇ ◇ ◇
「ルーク、好き」
オリヴィアが言った。
唐突に。
何の前触れもなく。
◇ ◇ ◇
……何だ、それは。
◇ ◇ ◇
理解が追いつかない。
文脈がない。
理由がない。
対価もない。
なのに。
結論だけが、そこにある。
◇ ◇ ◇
好き。
◇ ◇ ◇
その言葉は、軽い。
あまりにも軽い。
前世で何度も聞いた。
何度も使った。
何度も、捨てた。
◇ ◇ ◇
だから。
価値はない。
——はずだった。
◇ ◇ ◇
「……ぁ」
声が出る。
意図しない音。
制御不能。
◇ ◇ ◇
心拍が上がる。
呼吸が浅くなる。
思考が乱れる。
——これは。
◇ ◇ ◇
失敗だ。
◇ ◇ ◇
予測していない刺激。
未処理の感情。
防御不能。
◇ ◇ ◇
俺は泣かなかった。
今回は。
だが。
泣かなかっただけだ。
◇ ◇ ◇
代わりに。
何もできなかった。
◇ ◇ ◇
「どうしたの?」
オリヴィアが覗き込む。
いつもの距離。
いつもの表情。
だが。
俺の側が違う。
◇ ◇ ◇
距離は変わっていない。
なのに。
遠い。
◇ ◇ ◇
——なるほど。
◇ ◇ ◇
慣れは。
油断を生む。
◇ ◇ ◇
同じ行動。
同じ反応。
同じ結果。
それが続けば、人は“理解した”と錯覚する。
だが。
人間は、変数だ。
固定値ではない。
◇ ◇ ◇
予測不能の一言で。
すべてが崩れる。
◇ ◇ ◇
「ルーク?」
呼ばれる。
同じ声で。
同じように。
◇ ◇ ◇
だが。
もう同じではない。
◇ ◇ ◇
俺は目を逸らした。
久しぶりに。
意図的に。
◇ ◇ ◇
回避。
後退。
再設定。
◇ ◇ ◇
今の距離は、適切ではない。
調整が必要だ。
◇ ◇ ◇
——理解した。
◇ ◇ ◇
人間関係は。
成功の積み重ねでは、安定しない。
◇ ◇ ◇
たった一つの想定外で。
簡単に崩れる。
◇ ◇ ◇
俺は目を閉じる。
思考を止める。
処理を後回しにする。
◇ ◇ ◇
結論は出ない。
まだ。
◇ ◇ ◇
ただ一つだけ、確かなことがある。
◇ ◇ ◇
これは。
前世の俺が、最も避けてきた領域だ。




