Ep45. 俺のために泣く人
涙は、嫌いだった。
前世の俺は、泣く人間を苦手としていた。
感情的だから。
非効率だから。
話が進まなくなるから。
泣けば許されると思っている人間もいた。
同情を引こうとする人間もいた。
だから俺は、涙を信用しなかった。
……そのはずだった。
「わっ……!」
小さな声と同時に、オリヴィアの身体がぐらりと傾く。
石。
段差。
踏み外した。
転ぶ——そう理解した瞬間、俺は咄嗟に手を伸ばしていた。
届かない。
当然だ。
赤子の腕に、意味などない。
それでも身体が動いた。
——嫌だ。
強く、そう思った。
次の瞬間。
オリヴィアは地面に膝を打った。
「いっ……」
小さな呻き声。
赤い擦り傷。
浅い。
致命傷ではない。
数日もあれば治る。
頭では、ちゃんとわかっていた。
なのに。
胸の奥が、強く締めつけられる。
痛い。
俺が傷ついたわけじゃない。
なのに、痛かった。
「オリヴィア!」
外から近所の女が駆け寄ってくる。
「大丈夫!?」
「う、うん……」
オリヴィアは笑おうとした。
だが、その目は少し涙で滲んでいた。
その瞬間。
胸の奥が、ぐしゃりと潰れる。
……泣くな。
違う。
泣かせるな。
その感情が浮かんだ瞬間、俺は自分で驚いた。
誰に向けた?
石か。
状況か。
世界か。
わからない。
ただ、オリヴィアが泣きそうなのが嫌だった。
前世の俺なら理解しない。
怪我をすれば痛い。
泣くのも自然。
そこで終わる話だ。
だが今の俺は、その涙に胸を乱されている。
「……っ」
気づけば、俺も泣いていた。
大きな声。
止まらない嗚咽。
乱れる呼吸。
胸が苦しい。
「えっ、ルーク!?」
オリヴィアが驚いた顔で俺を見る。
……違う。
お前が泣きそうだから。
俺は——
そこで、オリヴィアが困ったように笑った。
「へへ……だいじょうぶだよ」
膝は赤く、少し血も出ている。
それなのに。
オリヴィアは、俺を安心させようとしていた。
その瞬間。
胸の奥が熱くなる。
苦しいほど、熱かった。
……理解した。
前世で、一度もなかったこと。
誰かが、俺のために涙を止めようとしている。
俺を安心させようとしている。
それが、こんなにも胸を壊す。
呼吸が、うまくできなかった。
——終わりだ。
完全に。
俺はもう、“誰も必要ない人間”には戻れなかった。




