Ep41. 初めての恐怖
死は、怖くなかった。
前世の俺は、本気でそう思っていた。
◇ ◇ ◇
終わるだけだ。
意識が消える。
肉体が止まる。
それだけ。
むしろ、面倒が終わる分、楽ですらある。
だから、自分の命にもあまり執着がなかった。
危険な実験。
無茶な術式。
限界を超える魔力操作。
平気だった。
壊れたら終わり。
それだけの話だ。
◇ ◇ ◇
……なのに。
「最近、風邪流行ってるんだって」
オリヴィアの軽い声。
だが、その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が強く冷えた。
風邪。
病。
前世の俺にとっては、珍しくもないものだ。
軽症なら数日。
重症でも、治療法はある。
恐れるほどではない。
……そのはずだった。
「となりのおじさん、ずっと咳してたの」
咳。
熱。
感染。
思考が、勝手に動く。
症状。
進行。
最悪の可能性。
そして、そこにオリヴィアが結びつく。
——もし。
その瞬間、胸の奥が強く痛んだ。
……何だ、これは。
恐怖。
しかも、自分の死ではない。
オリヴィアが病気になる想像。
それだけで、呼吸が浅くなる。
◇ ◇ ◇
——ありえない。
前世の俺なら、患者の死など何度も見てきた。
当然だ。
医魔術師だ。
救えない命もある。
泣き叫ぶ家族も。
絶望する患者も。
全部、見てきた。
そのたびに、俺は距離を取っていた。
感情移入は、判断を鈍らせる。
だから切り離した。
死を、“現象”として扱った。
その方が合理的だったから。
……だが、今。
オリヴィアに、それができない。
想像しただけで、胸の奥が冷たくなる。
嫌だ。
——強く、そう思ってしまう。
◇ ◇ ◇
「ルーク?」
オリヴィアが覗き込む。
近い。
温かい。
生きている。
その事実だけで、少し呼吸が戻る。
……異常だ。
完全に。
俺は、そこで理解してしまう。
“失いたくない”の、本当の意味を。
来なくなるのが嫌。
離れるのが嫌。
それだけではない。
消えるのが、怖い。
存在そのものが、なくなること。
それが、こんなにも怖い。
前世では知らなかった。
知らないまま、終わった。
誰も特別にしなかったから。
誰の死にも、本当の意味で触れなかったから。
◇ ◇ ◇
「ルーク、なんか変な顔」
オリヴィアが笑う。
その笑顔を見て、胸の冷たさが少しだけ溶ける。
……弱い。
本当に。
致命的なほど。
だが、その弱さを——
もう、完全には否定したくなかった。




