Ep34. 帰ってくる場所
場所には、意味がある。
前世の俺は、そうは思っていなかった。
◇ ◇ ◇
研究室は研究する場所。
家は眠る場所。
病室は治療する場所。
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役割だけ。
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機能だけ。
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そこに感情は必要なかった。
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だから。
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どこにいても同じだった。
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静かで。
効率的で。
無駄がない。
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……空っぽだった。
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「ルークー!」
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オリヴィアの声。
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部屋に響く。
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その瞬間。
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俺は、理解してしまった。
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この部屋は。
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もう、“ただの部屋”ではない。
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オリヴィアが来る場所。
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声が聞こえる場所。
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笑う場所。
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——意味が増えている。
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……厄介だ。
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場所に感情が紐づく。
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前世の俺が、最も避けていた状態。
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失えば。
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場所そのものが変質する。
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だから。
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執着しなかった。
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どこでも生きられるように。
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誰がいなくても変わらないように。
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……なのに。
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今の俺は。
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扉が開くだけで、安心している。
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「今日はね、お母さんに怒られちゃった」
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オリヴィアが話す。
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内容は曖昧だ。
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泥だらけで帰ったらしい。
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どうでもいい。
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前世の俺なら、そう切り捨てている。
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だが。
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今は違う。
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“今日あったこと”を。
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俺に話している。
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その事実が。
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妙に、胸に残る。
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……共有。
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理解した瞬間。
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軽い眩暈のような違和感が走った。
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前世の俺は。
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自分のことを話さなかった。
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必要がないから。
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他人の話も聞かなかった。
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価値がないから。
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だが。
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今の俺は。
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オリヴィアの話を、聞いている。
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内容ではなく。
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“話している”という行為を。
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……非合理だ。
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だが。
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嫌ではない。
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むしろ。
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少しだけ、落ち着く。
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「ルークは、今日なにしてたの?」
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質問。
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答えられない。
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そもそも。
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赤子の一日など、大差ない。
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寝る。
考える。
少し泣く。
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それだけだ。
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だが。
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そこで、ふと思う。
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——待っていた。
◇ ◇ ◇
お前を。
◇ ◇ ◇
……最悪だ。
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口にできるわけがない。
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前世の俺なら、絶対に認めない。
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他人を待つ?
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愚かにも程がある。
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だが。
◇ ◇ ◇
今の俺は。
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それを、否定しきれない。
◇ ◇ ◇
「んー?」
◇ ◇ ◇
オリヴィアが覗き込む。
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近い。
◇ ◇ ◇
だが。
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もう、その距離に慣れてしまっている。
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……変わった。
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本当に。
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少しずつ。
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前世なら、拒絶していたものを。
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今は受け入れている。
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距離。
声。
温度。
存在。
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そして。
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“帰ってくる”という感覚。
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オリヴィアが来ると。
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この部屋は、元に戻る。
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静かすぎた空間に。
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音が戻る。
◇ ◇ ◇
熱が戻る。
◇ ◇ ◇
意味が戻る。
◇ ◇ ◇
……理解した瞬間。
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俺は。
◇ ◇ ◇
ゆっくりと目を閉じた。
◇ ◇ ◇
怖い。
◇ ◇ ◇
やはり、怖い。
◇ ◇ ◇
だが。
◇ ◇ ◇
もう。
◇ ◇ ◇
空っぽだった頃には。
◇ ◇ ◇
戻れない気がしていた。




