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Ep218. 死んだはずの父

「ルーク」


「私だ」


「エドワードだ」


 老人は。


 そう名乗った。


 白衣。


 灰色の髪。


 深い皺。


 俺の記憶にある父とは。


 違う。


 いや。


 そもそも。


 父の顔を。


 俺はほとんど覚えていない。


 だから。


 似ているかどうかさえ。


 分からない。


 だが。


 バーバラは。


 明らかに動揺していた。


「エドワード……」


 母の声。


 震えている。


「そんなはず」


「あなたは」


「死んだ」


「そうだ」


 老人は。


 静かに頷いた。


「エドワード・E・オリバーという人間は」


「死んだ」


「じゃあ」


 俺は尋ねる。


「何?」


 父の姿をした。


 何か。


「保存体?」


 エレナと同じ。


「違う」


 老人は答える。


「私は」


「記憶だけではない」


「なら」


「泉が作った偽物?」


「それも違う」


 ゲイルが。


 俺たちの前へ立つ。


「曖昧に話すな」


「正体を言え」


 老人は。


 ゲイルを見る。


「君は」


「ゲイルか」


 名前まで。


 知っている。


「どうして」


「俺を知っている」


「記録を見た」


「どの記録だ」


「エドワードが」


「死ぬ前まで残したものだ」


 自分を。


 エドワードと呼びながら。


 エドワードの記録を。


 他人のように話す。


「父さんじゃない」


 俺は言った。


 老人が。


 こちらを見る。


「そう思うか」


「うん」


「どうして」


「父さんなら」


「自分のことを」


「そんなふうに言わない」


 少なくとも。


 今まで見た父の記憶。


 手紙。


 言葉。


 そこにいた人間とは。


 違う。


 老人は。


 少しだけ笑った。


「正解だ」


 バーバラが。


 息を呑む。


「なら」


「あなたは誰」


「エドワードが」


「自分の死後に備えて」


「作った」


「人格保存体だ」


 保存体。


 やはり。


 エレナと。


 似た存在。


 だが。


 本人は。


 記憶だけではないと言った。


「何が違う?」


「エレナは」


 老人が。


 隣の銀髪の女性を見る。


「過去の記憶を」


「保存しただけだ」


「私は」


「記憶に加え」


「判断術式」


「思考癖」


「感情反応」


「魔力構造」


「そして」


「魂の模造核を持つ」


 魂。


 模造。


 嫌な言葉。


「父さんを」


「再現した?」


「可能な限り」


「どれくらい?」


「九十二パーセント」


「残り八パーセントは?」


「死者にしか」


「分からない部分だ」


 魂そのもの。


 本人でなければ。


 再現できない。


「じゃあ」


「やっぱり父さんじゃない」


「その通りだ」


 否定しない。


「私は」


「エドワード本人ではない」


「だが」


「彼が」


「どう考え」


「何を恐れ」


「何を望んだか」


「その大部分を持っている」


 母は。


 まだ。


 老人を見つめている。


「声」


「似てる」


「バーバラ」


 老人が。


 母の名を呼ぶ。


「すまなかった」


「やめて」


 バーバラが。


 すぐに言った。


「その言葉を」


「あなたに言われたくない」


 老人の表情が。


 少し止まる。


「エドワードが」


「言いたかったから?」


「それでも」


「あなたは」


「エドワードじゃない」


「そうだな」


 老人は。


 頭を下げた。


「失礼した」


 母は。


 泣かない。


 だが。


 拳を。


 強く握っている。


 死んだ夫に。


 似た声。


 似た仕草。


 似た言葉。


 それでも。


 本人ではない。


 王弟のリディアと。


 同じ。


 死者の影。


 泉が作ったものではなく。


 父自身が作った。


 違いはある。


 だが。


 残された人へ与える痛みは。


 似ている。


   ◇ ◇ ◇


「一人で来いって」


 俺は尋ねる。


「手紙を送ったのは」


「あなた?」


「そうだ」


 老人は。


 迷わず答えた。


 エレナの保存体が。


 少し不快そうに。


 彼を見る。


「私は反対した」


「知っている」


「なのに送った」


「必要だった」


「何が」


 俺が聞く。


「第三鍵の確認だ」


 空気が。


 また重くなる。


「俺が」


「本物かどうか?」


「そうだ」


「一人で来れば」


「何が分かる?」


「誰にも支えられていない状態の」


「君自身の選択を」


「確認できる」


「何のために」


「中央の泉を」


「閉じるためだ」


 やはり。


 俺を。


 鍵として見る。


 父の保存体。


 父が。


 最後に残した言葉と。


 矛盾する。


「父さんは」


 俺は言った。


「俺に」


「中央の泉を閉じるためだけに」


「生きるなって残した」


「知っている」


「なら」


「どうして」


「第三鍵として」


「確認する?」


「閉じるために」


「必ず使うとは言っていない」


「でも」


「確認は必要」


 老人が。


 俺へ一歩近づく。


 ゲイルが。


 すぐに斧へ手をかける。


「そこで止まれ」


「分かった」


 老人は止まる。


「中央の泉は」


「鍵を認識する」


「認識した後」


「開くか」


「閉じるか」


「選ぶのは」


「鍵自身だ」


「俺が?」


「そうだ」


 第三鍵は。


 扉を開くもの。


 そう聞いていた。


「閉じることも」


「できる?」


「正確には」


「中央の泉そのものを」


「存在できなくすることができる」


 全員が。


 黙る。


「どうやって」


「三つの生を」


「完全に分離する」


 泉主。


 前世の俺。


 今世の俺。


 三つの人生。


 同じ魂。


 それが。


 第三鍵。


「完成した後に」


「分離する?」


「そうだ」


「矛盾してる」


「一度」


「完成させなければ」


「中央の泉へ」


「干渉できない」


 つまり。


 最も危険な方法。


 まず。


 俺が。


 完全な第三鍵になる。


 失った記憶も。


 泉主の記憶も。


 全部。


 一つに戻す。


 中央の泉が。


 俺を認識。


 扉が開く。


 その瞬間。


 三つを。


 再び分ける。


 泉主。


 前世。


 今世。


 完全に。


 切り離す。


「失敗したら?」


 ノアが尋ねる。


「中央の泉が」


「完全に開く」


「ルークは?」


「三つの人格が」


「一つへ融合する」


「戻せる?」


「ほぼ不可能」


「じゃあ」


 オリヴィアが。


 強い声で言う。


「そんな方法」


「使えない」


「その通りだ」


 老人が答える。


 意外。


「勧めないの?」


「勧めない」


「父さんなら」


「どうした?」


「使わなかった」


 即答。


「エドワードは」


「最後に」


「この方法を破棄するつもりだった」


「なのに」


「残した?」


「私が残した」


 老人。


 父の保存体が。


 自分で。


 父の意思へ逆らった。


「どうして」


「私は」


「エドワードではないからだ」


 九十二パーセント。


 残り八。


 そこに。


 違い。


「私は」


「彼の恐怖も」


「責任感も」


「知識も持っている」


「だが」


「死への恐怖がない」


 保存体。


 死者ではない。


 生者でもない。


「だから」


「合理的に判断できる」


「ルーク一人の危険と」


「中央の泉が開く危険」


「比較すれば」


「答えは明確だ」


 前世の俺なら。


 同じことを言った。


 数。


 効率。


 犠牲。


 合理性。


「それ」


「父さんじゃない」


 俺が言う。


「知っている」


「だから」


「私は」


「エドワードではなく」


「零号と呼ばれている」


「零号?」


「第零研究室の」


「最後の管理体だ」


 父の保存体。


 零号。


 目的。


 中央の泉を。


 どんな犠牲でも。


 管理する。


「マティアスとは」


「どういう関係?」


 アーヴィンが尋ねる。


「元同僚」


「現在は敵対」


「彼も」


「この場所を知ってる?」


「知っている」


「来る?」


「すでに」


 零号が。


 壁を見る。


「こちらへ向かっている」


「どうして分かる」


「第零研究室の」


「監視網に」


「彼の魔力が入った」


「距離は」


「半日以内」


 マティアス。


 俺たちより。


 遅れて。


 この礼拝堂へ。


 向かっている。


「なら」


「ここを離れる」


 ゲイルが言う。


「王都へ」


「地下道を進む」


「待て」


 零号。


「なぜ」


「この研究室は」


「王都へ続いていない」


 何。


「父さんの地図には」


「地下道」


「王都の方向へ」


「途中までは」


「続く」


「だが」


「三十二年前の事故で」


「先が崩落した」


「通れない?」


「物理的には」


「不可能」


 隠し道。


 使えない。


「じゃあ」


 ノアが言う。


「ここに来た意味」


「ある?」


「ある」


 エレナの保存体が。


 初めて。


 こちらへ近づいた。


「王都へ入る」


「別の道を」


「教える」


「何?」


「地下水路」


「泉の道じゃない?」


「違う」


「古い排水路」


 王城の増築前。


 廃棄された。


 人が通れる。


 大きな水路。


「入口は?」


「王都北西」


「墓地の外」


「セオドアの」


「北門案内とも合う」


 東を避け。


 北から。


 さらに。


 城門を通らず。


 排水路。


「それなら」


「使える」


 ゲイルが。


 地図を確認する。


「ただ」


 エレナが続ける。


「一つ問題」


「何?」


「第零研究室へ」


「直接つながる」


「王城地下西区画」


 異常反応が。


 出ている場所。


「マティアスの目的地?」


「おそらく」


 つまり。


 安全な入口は。


 敵の目的地へ。


 直結している。


「どっちにしても」


 俺は言う。


「行くなら」


「そこ」


「身体は?」


 母。


「まだ」


「完全じゃない」


「なら」


「今日出発はしない」


「うん」


 全員が。


 少しだけ。


 驚いた顔。


「そんなに」


「意外?」


「前なら」


 オリヴィアが笑う。


「今すぐ行くって」


「言ってた」


「今も」


「少し思った」


「でも?」


「皆と」


「相談してから」


 零号が。


 俺を見つめる。


「変わったな」


「父さんの記憶?」


「いや」


 老人は。


 少しだけ。


 本当に。


 嬉しそうに笑った。


「エドワードが」


「望んでいた方向へ」


「変わった」


 その言葉。


 父本人ではない。


 それでも。


 少し。


 胸に残る。


   ◇ ◇ ◇


 研究室。


 机。


 古い資料。


 俺たちは。


 マティアスが来る前に。


 必要な情報だけ確認する。


「第三鍵を」


「完成させない方法」


 俺が尋ねる。


「今のまま」


「記憶を戻さなければいい?」


「基本はそうだ」


 零号が答える。


「泉主の記憶」


「どこにある?」


「中央の泉」


「全部?」


「大部分」


「一部は」


「第一と第二の根へ」


「分散していた」


「今は?」


「封鎖時に」


「中央へ戻った」


 俺の中。


 泉主の断片は。


 ほぼ消えている。


 前世の記憶。


 保存器。


 知識だけ。


 金色の白石にも。


 一部。


「ノアの白石」


「危険?」


「見せろ」


 金色の白石を。


 零号へ近づける。


 老人が。


 手をかざす。


「人格反応なし」


「知識のみ」


「第三鍵には」


「影響しない」


 良かった。


 ノアが。


 息を吐く。


「じゃあ」


「医術知識は」


「使える?」


「使える」


「お前が」


「ルークになることもない」


「……よかった」


 その時。


 零号の表情が変わる。


「何?」


「マティアス」


「速度が上がった」


「どれくらい」


「三刻」


 半日から。


 三刻。


 近い。


「泉の強化?」


「違う」


「転移術式」


「そんなもの」


「王都から?」


「第零研究室が」


「かつて使った」


「緊急移送術式」


「マティアスが」


「まだ使えるのか」


 場所を。


 知っているだけではない。


 第零研究室の。


 権限も。


 持っている。


「ここにいたら」


「まずい」


 ゲイルが。


 即座に判断する。


「戻るぞ」


「礼拝堂から出て」


「村へ」


「待て」


 零号が言う。


「奴の目的は」


「ルークではない」


「何?」


「では」


「何を」


「私だ」


 零号。


 父の保存体。


「どうして」


「私は」


「第三鍵完成術式を」


「全て知っている」


 マティアスは。


 本物の第三鍵。


 俺を。


 今すぐ奪う必要はない。


 まず。


 完成方法。


 それを知る。


 零号を。


 捕らえる。


「なら」


「一緒に来て」


 俺が言う。


「研究室を出る」


「できない」


「どうして」


「私は」


「この施設と」


「つながっている」


 身体に見える。


 だが。


 保存体。


 研究室そのものが。


 器。


「移動できない?」


「この部屋から」


「百歩以上離れれば」


「消える」


「じゃあ」


 置いていけば。


 マティアスに。


 奪われる。


「自分で」


「消せる?」


「可能だ」


「なら」


「消して」


 零号が。


 目を細める。


「迷わないのか」


「あなたは」


「父さんじゃない」


「でも」


「利用されて」


「誰かを傷つけるのは」


「望んでないでしょ」


「そうだ」


「なら」


「消えるのが」


「一番安全」


 合理的。


 だが。


 それだけではない。


「嫌?」


 俺は尋ねる。


 保存体。


 死への恐怖がないと。


 言っていた。


 だが。


「少し」


 零号は答えた。


 意外。


「怖くないって」


「言ってた」


「死は怖くない」


「だが」


「消えれば」


「エドワードの記憶が」


「一つ失われる」


 父の記憶。


 まだ。


 俺が知らないこと。


 母が。


 知りたいこと。


 あるかもしれない。


「全部」


「移せる?」


「どこへ」


「保存器」


「危険」


「記録だけ」


「人格は入れない」


 零号が。


 俺を見る。


「できる可能性はある」


「時間は?」


「一刻」


「マティアスまで三刻」


 間に合う。


「やる?」


 俺は。


 皆を見る。


 一人で決めない。


 バーバラ。


 ゲイル。


 ダグラス。


 オリヴィア。


 ノア。


 アーヴィン。


「人格は保存しない」


 母が。


 最初に言う。


「エドワードの姿のまま」


「残さないで」


「うん」


「記録だけなら」


 ダグラスも頷く。


「研究に必要だ」


「マティアスへ」


「渡すよりいい」


「決まり」


 俺が零号を見る。


「記録を移す」


「その後」


「消える?」


「そうしよう」


 零号は。


 静かに笑った。


「ただ」


「その前に」


「一つ」


「ルークへ」


「渡したい記憶がある」


 全員が。


 警戒する。


「第三鍵に」


「関係ある?」


「ない」


「泉主?」


「違う」


「なら」


「何」


 零号は。


 バーバラを見る。


 そして。


 俺へ。


「君が生まれた日だ」


 俺の。


 今世。


 父。


 母。


 失っている記憶。


「エドワードが」


「最も大切にしていた」


「一日だ」


 第三鍵には。


 関係ない。


 医術にも。


 泉にも。


 封印にも。


 ただ。


 父が。


 息子の誕生を見た日の記憶。


「見る?」


 零号が。


 尋ねる。


 今までなら。


 迷わず。


 見た。


 だが。


 記憶を戻すこと。


 第三鍵。


 危険。


 たとえ。


 一つだけでも。


 影響が。


 絶対にないとは言えない。


「先に」


「安全か調べる」


 俺は答えた。


 零号が。


 少し驚き。


 それから。


 笑った。


「やはり」


「変わったな」


 その時。


 研究室の奥。


 赤い警告灯が。


 突然点いた。


『不正権限』


『第零研究室へ接続』


 零号の顔から。


 笑みが消える。


「マティアス?」


「違う」


「では誰」


 壁。


 古い魔術盤。


 そこへ。


 名前が浮かぶ。


『権限者』


『セオドア・グレイン』


 王立医術院長。


 味方だと思っていた。


 セオドア。


 彼が。


 第零研究室の。


 最上位権限を使い。


 こちらへ。


 直接接続しようとしていた。


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