Ep214. 王都への招集
『王城地下に異常反応』
『マティアスは』
『王都へ向かった可能性が高い』
伝令板の文字が静かに消えると、部屋には重い沈黙が流れた。
「やっぱり」とゲイルが呟く。「逃げる先は王都か」
「中央の泉は」と俺は尋ねる。「閉じたんじゃ」
「閉じた」――返答はセオドアから続いた。
『中央泉扉』
『閉鎖維持』
『異常は』
『王城地下西区画』
中央の泉そのものではない。王城地下の、別の場所だ。
「地下西区画」ダグラスが眉をひそめる。「古い研究棟か」
「知ってる?」
「昔、王立医術院が使っていた場所だ」
医術院、父、エドワード、研究――そう並べただけで、嫌な予感しかしない。
「父さんも使ってた?」
「可能性は高い」
研究資料、逆封鎖、第三流路。全て、あそこに残っていてもおかしくない。
「マティアスは何を探してる」俺が考えを口にすると、
「第三鍵」とノアが答えた。「それか、エドワードさんの研究」
「あるいは」ダグラスが続ける。「両方だ」
中央の泉は閉じた。なら次は、父の残した研究を奪う。それが自然な流れだった。
セオドアの光がゆっくりと明滅し、地下西区画の見取り図らしき線が壁面に浮かび上がる。誰もが無言でそれを見つめた。古い研究棟の輪郭は、記憶よりもずっと入り組んでいる。かつて何が行われていたのか、今となっては誰にも分からない。
「行くにしても、準備がいる」ダグラスが低く言った。「地図も、装備も、何より人手も足りていない」
「分かってる」俺は答える。「だから急がない。でも、目を逸らすつもりもない」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ引き締まった。
◇ ◇ ◇
「ルーク」バーバラが静かに俺を見る。「王都へ行くつもりですか」
「……うん」迷いはあった。身体は限界に近いし、セラもリアもノアも、休まなければならない。それでも、マティアスを放置すればまた誰かが巻き込まれる。
「すぐじゃない」俺は続けた。「皆が回復してから」
母は少しだけ安心した顔をする。「それなら反対しません」
「いいの?」
「今のあなたは、一人で行くとは言いませんから」
「うん」
父の記録の一言を思い出す。『一人で決めるな』――もう、一人では行かない。
「私も行く」ノアが言う。
「駄目」ダグラスが即答した。
「ええっ」
「お前も患者だ」
「元気」
「元気なら立ってみろ」
ノアが立つ。一歩、二歩、三歩目でふらついた。
「ほら」
「……元気じゃなかった」
「自覚したな」
部屋に少しだけ笑いが戻る。
「僕も、回復してから行く」
「それならいい」ダグラスが頷く。
「私も」リアが言う。
「駄目」今度は全員が同時だった。
「えぇ……」
「あなたは」セラが笑う。「まだ歩けないでしょう」
「お姉ちゃんも歩けない」
「だから」セラは困ったように笑う。「今回は引き分け」
「引き分け?」
「二人とも留守番」
リアは少し考えて、頷いた。「分かった。でも紫の石は持ってく」
共同所有になった第三流路。それを王都へ持ち込む。
「危険だ」ゲイルが言う。
「でも」俺は考える。「置いていってもマティアスが狙う。なら持ってる方が守りやすい」
ダグラスも静かに頷いた。「護衛を増やす。それが一番だ」
◇ ◇ ◇
その日の夕方、村の広場には避難していた村人たちが集まっていた。井戸は元通り、畑も大きな被害はない。皆が少しずつ笑顔を取り戻している。
「ルーク坊!」トムが駆け寄ってくる。「聞いたぞ!大丈夫だったか!」
「うん。トムも?」
「俺は平気!」
元気だ、本当に。その笑顔を見て、少し安心する。
「リアちゃん!」「セラさん!」村の女性たちが二人の周りへ集まる。無理に励まさない。ただ、
「帰ってきてくれて良かった」
そう言ってくれる。セラは泣きそうな顔で、何度も頭を下げた。「ありがとう」――それしか言えない。でも、十分だった。
夕暮れの光が広場の石畳を橙色に染め、子供たちの笑い声が久しぶりに響く。誰もが、失われかけた日常を取り戻そうとしていた。それはささやかで、けれど確かな光景だった。
井戸端では老女たちが洗濯物を干しながら、避難していた間の苦労話を笑い交じりに語り合っている。畑の脇では若者たちが崩れた柵を直し、子供たちはその周りを駆け回っていた。誰かが歌い出すと、いつの間にか小さな輪ができていた。
俺はその光景を少し離れた場所から眺めていた。ここに帰ってこられて良かった、と心から思う。同時に、この日常を守るためにも、王都へ向かわなければならないのだと改めて感じた。
「ルーク」ゲイルが隣に立つ。「良い顔をしてるじゃないか」
「そう?」
「安心した顔だ。悪くない」
短い会話だったが、それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
夜。薬師小屋。皆が眠った後も、俺だけが起きていた。
「眠れない?」バーバラが温かいお茶を持ってくる。
「少し」
「考え事?」
「父さん。マティアス。王都。全部」
母は俺の隣へ座る。「怖いですか」
「うん」正直に答えた。
「前なら、怖くないって言ってた」
「前は嘘ついてた」
前世の俺なら、恐怖を認めない。今の俺は違う。
「怖い。でも、逃げない」
バーバラは微笑んだ。「それで十分です」
「十分?」
「怖いからこそ考えられます。相談もできます。無茶もしません」
父にはできなかったこと。前世の俺にもできなかったこと。今なら、できる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
静かな夜。虫の声。村へ、本当の静けさが戻っていた。湯気の立つお茶をすすりながら、俺はしばらく言葉もなく、ただ母の隣にいた。それだけで、少し肩の力が抜けていく気がした。
その時だった。
――コン。
小さく、窓が鳴る。誰かが石を当てたような音。
「誰?」俺が窓を見る。外には誰もいない。だが、窓枠へ一羽の白い鳥が止まっていた。足には細い筒。伝書鳥だ。
「王都?」ゲイルの物ではない。王家の紋章もない。知らない印。
鳥は俺を見ると、静かに筒を落とした。中には一枚だけ紙。短い文章。
『エドワードの息子へ』
その一行で、空気が変わる。差出人の名前はない。だが最後に、見覚えのない紋章――円の中に三本の枝。そして文字。
『王立医術院・第零研究室』
ダグラスが、その紋章を見るなり表情を変えた。
「……まさか」
「知ってるの?」
「もう三十年以上前に解散したはずだ」
存在しない研究室。そこから、今になって届いた手紙。紙の裏には、もう一行だけ。
『エドワードの残した真実を知りたければ』
『一人で来い』
王都。第零研究室。マティアスとは別の誰かが、俺を待っていた。
薬師小屋の空気が、ふいに冷たく張り詰める。ダグラスは紙を何度も見返し、記憶の底を探るように黙り込んだ。バーバラは俺の肩にそっと手を置いたまま、何も言わない。ただその手の温もりだけが、今の俺を現実に繋ぎ止めていた。
「一人で来い、か」ゲイルが低く呟く。「随分と都合のいい話だな」
「罠かもしれない」
「でも」俺は紙を見つめたまま言う。「父さんの名前が出てる時点で、無視はできない」
ダグラスが小さく息を吐いた。「第零研究室というのは、医術院の中でも特に閉鎖的な部署だったと聞く。表向きの記録にはほとんど残っていない。もし本当にまだ存在しているなら――」
「エドワードさんと繋がりがある」ノアが続けた。「マティアスとは、別の目的で動いてる可能性がある」
「敵か味方か、分からない」
「分からないからこそ」俺は紙を折りたたみながら言う。「確かめないと」
バーバラは何も言わず、俺の顔をじっと見ていた。心配と、それでも止めないという静かな覚悟が、その表情に浮かんでいる。
「一人では行かせません」やがて母がそう言った。「手紙にはそう書かれていても、私たちがついていくことまでは止められないはずです」
「うん」
窓の外では、白い鳥がまだじっと佇んでいた。まるで返事を待っているかのように。俺はもう一度手紙に目を落とし、そこに記された紋章――円の中の三本の枝を、指先でそっとなぞった。
父が遺した真実。マティアスの狙い。第零研究室という、存在しないはずの場所。すべての糸が、王都という一点に向かって静かに絡み合っていくのを感じた。
「行こう」俺は言った。「皆が回復したら、王都へ」
誰も反対しなかった。ただ、それぞれの覚悟を確かめるように、静かに頷いただけだった。
夜はまだ深く、虫の声だけが変わらずに続いている。けれどその静けさの奥で、何かが確実に動き始めていた。




