Ep202. 逆封鎖
「母さんを待てない」と俺は言った。「逆封鎖を、今すぐ始める」
「駄目よ」オリヴィアが反対する。「鎮静薬に必要な灰眠草が、まだ届いていないでしょう」
「三刻後には、第一と第二の接続痕がつながる」
胸から伸びる冷たい線。右腕から伸びる熱い線。二本は俺の身体の中央へ向かい、少しずつ距離を縮めている。
「薬を待っている間に、統合が始まるかもしれない」
アーヴィンが遠隔筆記器へ質問を送った。『鎮静薬なしで逆封鎖は可能か』
王都からセオドアの返答が届く。『実行可能。ただし感情固定者を五名以上確保せよ。切断対象を孤立させるな』
今いるのはダグラス、オリヴィア、アーヴィン、警護官二人。ちょうど五人。
「始められる」
「人数だけでは足りん」とダグラスが言った。「感情固定者は、泉主に惑わされたお前を現実へ引き戻さなければならない」
「警護官の人たちは、俺を知らない」
「なら」オリヴィアが三人の警護官を見る。「今から知ってもらいます」
彼女は俺を指さした。「ルークは口が悪くて、自分が一番頭がいいと思っています」「実際に頭はいい」「そこで認めないで」「事実だから」「それから、困っている人を見ると面倒そうな顔をします」「面倒だから」「でも、最後には必ず助けます」「合理的に必要なら」「こうやって、素直に認めません」
アーヴィンが僅かに笑った。「危険なことも、一人でしようとします」「最近は相談してる」「最近だけです」
「では」若い警護官が言う。「我々は、一人で決めさせなければよいのですね」「そうです。泉主が、自分だけ犠牲になればいいと囁いたら、全員で否定してください」
もう一人の女性警護官が俺を見る。「生き残った後の予定は?」
「朝ご飯を食べる。母さんの煮込み。村の祭りへ行く」オリヴィアが加える。「冬には自分の足で外を歩きます。王都の薬草園も見学する」アーヴィンも言った。「それから?」
問われて、少し考える。「医術を学ぶ」
「今世でも?」とオリヴィアが尋ねる。「医術師になるかは、まだ決めてない。でも、人を治す方法は知りたい」
「なら」女性警護官が言う。「私が怪我をした時には、治療してください」「治療費は取る」「院長へ請求します」「セオドアが怒る」
小さな笑い。知らない人たちまで、俺の未来に加わった。
◇ ◇ ◇
「準備するぞ」ダグラスが俺を寝台へ寝かせる。泉主に身体を奪われた場合に備え、手足を革帯で固定。胸へ第一鍵の保存器。右腕の横へ太陽の黒石を置く。
「逆封鎖の手順は?」
遠隔筆記器の文章をダグラスが読み上げる。「第一鍵で第一接続痕を活性化。太陽の黒石で第二接続痕を活性化。二本が重なる直前に、お前が両方を拒絶する。同時に第一鍵を閉じる」
「早すぎれば?」「接続痕が残る」「遅ければ?」「二つの根が統合する」
判断するのは俺。失敗すれば、第一と第二の根が俺の身体を橋としてつながる。
「ルーク」オリヴィアが革帯の外から俺の左手を握る。「戻ってくる?」「絶対に戻る」「約束よ」「うん」
ダグラスが保存器の白石を外した。箱の表面には父の文字。『一人で開くな』。今は一人ではない。
蓋が開く。中から第一鍵が現れた。小さな銀色の器具。ダグラスがそれを俺の胸へ置く。
『第一接続先、再接続開始』
冷たさが胸から全身へ広がる。部屋の景色が薄れ、水音が聞こえた。
『戻ってきた』第一の泉主。『お前は私の接続先だ』
答えない。
「祭りでは」オリヴィアが話し始める。「焼き菓子を食べる」「甘すぎる」「半分だけあげる」「少しなら」「冬は雪の上を歩く」「転ぶ」「私が支える」
現実の声を聞きながら、泉主の声を無視する。
「黒石を当てるぞ」ダグラスが太陽の黒石を右腕へ押し当てた。激しい熱。銀の線の中央を金色が走る。
『第三接続先、接続率三』
第二の泉主の声も頭の中へ流れ込んだ。『自分から二つの根を呼んだのか』
第一と第二、二つの声が重なる。『お前は守られるだけの子どもだ』『お前は誰より優れた医術師だ』
何もできない赤ん坊。何でもできた前世の天才。二つの泉主は正反対の自分を見せてくる。
『両接続痕、接近。統合率十二』
胸の線と右腕の線が、身体の中央へ伸び始めた。
『お前には誰も必要ない』第二の声。『前世では一人で全てできた』
「嘘」俺は言った。「一人だったから、失敗した」
「その通りだ」ダグラスの声。「お前は一人にすると、すぐ無茶をする。今後も止める」
「ずっと?」
「必要な間はな」
『統合率二十八』第一の声が囁く。『お前は愛されていない。利用価値があるから守られているだけだ』
「ルーク」女性警護官が言った。「あなたが医術師にならなくても、朝食には参加してください」
「俺を知らないのに?」
「先ほど知りました。口が悪く、素直ではなく、危険なことをする少年です」
「悪いことしか言ってない」
「ですが、春には王都へ来るのでしょう? 薬草園へ。その予定を見届けたいと思いました」
能力を見せなくても、未来に席がある。第一の声が僅かに遠ざかった。
『統合率四十七』今度は第二の泉主が父の記憶を見せる。若い父。第一鍵。逆封鎖の失敗。
『お前が選ばれたのは父の失敗だ。生まれる前から、人生を壊された』
父の失敗で俺は泉に見つかった。それは真実。
「ルーク」オリヴィアの声。「何を見せられてる?」
「父さん。俺の人生を壊したって」
「そう思う?」
「失敗したのは本当」
「それだけ?」
父は失敗した。だが、罪を隠さず、最後まで泉を止めようとした。
「王都へ行ったら」オリヴィアが言う。「父さんを知ってる人から続きを聞こう。怒るか、許すかは、生きてから決めればいい」
今、答えを出す必要はない。
「うん、生きてから決める」
『統合率六十一』二本の線が鎖骨と肩へ達する。冷たさと熱が混ざり、激しい痛みが走った。
「未来を続けろ!」ダグラスが叫ぶ。
「王都の薬草園へ行きます」
「村の祭りにも参加します」
「冬には自分で歩きます」
「母上の煮込みを食べます」
五人の声が次々に重なる。
『統合率七十五』泉主たちが今度は前世の俺の身体を見せた。自由に歩ける脚。完成した魔力路。大人の手。
『私たちを受け入れれば、以前の姿を返す』
一瞬、心が動く。
『第三接続先、接続率四』
「戻りたい?」オリヴィアが尋ねる。
「少し」
「前世の身体に戻ったら、母さんに成長するところを見せられる?」
言葉が止まる。初めて歩く日。初めて自分で食べる日。母はそれを待っている。
「戻らない」俺は言った。「今の身体で生きる」
『不完全だ』「知ってる」『弱い』「知ってる」『時間がかかる』「時間はある」
夜明けを越えれば、これから先の時間がある。
『統合率八十七』二本の線が身体の中央で、あと僅かまで近づく。
「まだ閉じるな」俺は言う。「早すぎれば接続痕が残る。判断を誤るな」
ダグラスが第一鍵を握る。
『お前は私たちのものだ』二つの泉主が同時に叫ぶ。『生まれる前から選ばれていた』
「それでも、選ぶのは俺だ」
二本の線が身体の中央で触れた。冷たさと熱が一点で衝突する。
「今!」
「俺は、どちらも受け入れない!」
ダグラスが第一鍵を保存器へ戻す。同時に、太陽の黒石が右腕へ強く押し当てられた。箱の蓋が閉まる。
『統合率九十九』百になる直前で、数字が止まった。
『開けろ!』『受け入れろ!』二本の線が全身へ広がろうとする。
「戻ってきて!」オリヴィアが叫ぶ。「朝食! 祭り! 冬! 王都! 薬草園! 医術!」
未来の声。一人ではない。
「俺は」息を吸う。「夜明けを越える!」
重なりかけた線が身体の中央で割れた。銀と金の光が細かな粒になり、胸と右腕から剥がれていく。
『第一接続痕、切断』『第二接続痕、切断』『第三接続先、登録解除』
水音が消える。冷たさも熱もなくなる。最後に第二の泉主が囁いた。『鍵はもう一つある』
意味を尋ねる前に、意識が現実へ戻った。
◇ ◇ ◇
「ルーク?」オリヴィアが顔を覗き込む。「私は誰?」
「オリヴィア」
「朝は何を食べる?」
「母さんの煮込み」
彼女が大きく息を吐いた。胸にも右腕にも、銀色の線はない。保存器から静かな声が響く。『第三接続先、登録解除』
成功した。
その直後、扉が開く。灰眠草を抱えたバーバラが息を切らして入ってきた。
「ルーク!」「終わった」「何が?」「逆封鎖」
母の顔が固まる。「薬を待たずに、やったの?」「三刻しかなかったから」
母は俺の胸と腕を確かめ、最後に強く抱き締めた。
「無事なの?」「うん」「泉の声は?」「聞こえない。接続も切れた」
怒られると思った。だが、母はしばらく俺を離さなかった。
「苦しい」「少し我慢して」「どうして」「生きているから」
それなら仕方ない。
遠隔筆記器へセオドアからの報告が届く。『逆封鎖成功を確認。国王陛下、接続率十二まで低下。王弟殿下、接続解除。第二封鎖室、再封鎖完了』
国王も王弟も第二の根から離れた。封鎖室も閉じられた。
「終わったの?」オリヴィアが尋ねる。「第二の根は封じられた」
だが、泉主の最後の言葉が残っている。
「鍵は全部で二つ?」
俺が聞くと、ダグラスが眉を寄せた。「父親の記録ではな」「泉主が、もう一つあるって言った」「不安を残すための嘘かもしれん」
その時、遠隔筆記器へ新たな文字が現れた。『緊急報告。マティアス・レイン、確保失敗』
第二鍵を盗んだ男。封鎖室から地下水路へ逃げた。
『逃走直前の発言。第一と第二は扉を守る二つの錠だ。二つの錠が揃えば中央の泉へ至る』
第一と第二の根は、それ自体がもっと大きな何かを封じている。
さらに最後の報告。『マティアスが第三鍵を所持している可能性あり』
第二の根は封じた。俺の接続も切れた。国王と王弟も助かった。
だが、泉主の協力者は第三の鍵を持ち、王都の地下へ消えた。
そして二つの根の先には、まだ誰も知らない中央の泉が眠っていた。




