Ep199. 滅亡を見せる泉
王弟の接続率が下がる一方で、国王の数字は急速に上がっていた。
「王弟に伝えられない?」バーバラが尋ねる。
「今は無理」俺は、焼けるように痛む右腕を見る。ダグラスが魔力路を一時的に塞いだ。銀色の線は肘の下で途切れている。王弟との道も、第二の根との道も、今は閉じている。無理に開けば、塞いだ場所を自分で壊すことになる。
「王弟は」「侍従を呼べたはず」泉主の夢を拒絶する直前、王弟は現実の部屋で魔力を使い、物を割った。侍従が入ってきた。国王の危険を伝えようとしていた。
「間に合うかしら」母の言葉に、誰も答えられない。国王は評議会の最中、北井戸の水を飲んだ。すでに夢層へ移行している。身体が王弟と同じように動かなくなっている可能性。周囲の者は疲労、失神、病、そう判断する。まさか王都の地下から伸びた根が王の意識へ入り込んでいるとは誰も思わない。
「保存器を開ければ」オリヴィアはいない。ゲイルもいない。今この場にいるのは俺、バーバラ、ダグラス、三人だけ。一人で決めない、約束。
「国王の夢を」「見ることはできる」俺は言った。母が、すぐに首を横へ振る。
「駄目」「見るだけ」「見るだけで済まなかったでしょう」
その通り。王弟の夢を見た時、泉主はこちらへ気づいた。第一鍵を通じ、俺へ接続した。
「でも」「国王が何を見せられてるか分かれば」「止め方も」
「提示内容は分かっている」ダグラスが言う。「王国の滅亡だ」
「詳しい形が必要」
「なぜだ」
「国王が」「何を恐れてるか」「知るため」王国の存続。広すぎる。戦争、飢饉、疫病、内乱、魔力災害。泉主は国王が最も信じやすい滅亡を見せる。そして泉だけがそれを防げると思わせる。
「相手は国王だ」俺は続けた。「自分一人を犠牲にして」「国を救えるなら」「受け入れる可能性が高い」王弟は妹を取り戻すため泉へ手を伸ばした。個人的な望み。だから本物の妹なら望まない、そう伝えられた。だが国王は違う。自分ではなく国を守るため身体を差し出す。その選択を正しい責任だと考えるかもしれない。
「王の責任感を」「泉主は使う」
「なら」「責任ではないって」「伝えないと」
「誰が伝える」
「王弟」
「その王弟へつながる道を」ダグラスが俺の腕を見る。「今しがた塞いだばかりだ」再び開けば魔力路が損傷する。右腕が動かなくなる可能性。それだけではない。第二の根が今度こそ胸まで伸びる。
「手紙」バーバラが言った。「オリヴィアたちが間に合えば」「セオドアへ届く」「でも今日中には」「無理」宿場町まで半日。伝令鳥がどれほど速くても、王都へ到着するのは早くて夜。国王の接続率はすでに十七。王弟の時より上昇が速い。王が滅亡の未来を信じれば、十倍になる。
「保存器を」俺は見る。「開けない」
母が言う。「開けるなら」「ゲイルとオリヴィアが戻ってから」
「それでは遅い」
「あなたが死ぬよりはいい」
「国王が泉口になれば」「王都の人が」「何万人も」
「だからといって」母の声が強くなる。「あなた一人が」「何万人の代わりに」「差し出されていいことにはならない」
命を数で比べるな。ダグラスにも言われた。それでも被害を減らすなら、俺が危険を引き受ける方が合理的。前世の俺なら迷わなかった。自分に能力があるなら自分がやる。周囲の感情など非効率な妨害。そう考えた。今も同じ考えがすぐに浮かぶ。
「ルーク」母が俺の顔を覗き込む。「今」「一人で決めようとしたでしょう」約束。俺は視線を逸らす。
「少し」
「少しじゃない」
「でも」「他に方法が」「探し切っていない」
ダグラスが言った。「第一鍵」「保存器」「お前の接続」「それ以外にも」「情報を送る道はあるかもしれん」
「例えば?」
「父親の記録だ」机の上、帳面、紙。父が王都から持ち帰ったもの。泉を調べ、鍵を扱い、王弟の妹を診た。父なら遠く離れた接続先へ干渉する方法も考えていたかもしれない。
「全部はまだ読んでない」バーバラが言う。「あなたが眠っている間も」「途中までしか」
「探す」保存器を開くより安全。だが、時間。
『副接続先』『接続率』『二十』箱の中から赤い声が上がった。警告は第一鍵をつながなくても聞こえる。
「急ごう」俺たちは父の記録を机へ広げた。
◇ ◇ ◇
目的を絞る。遠隔、夢、接続、第二の根、国王。その言葉を探す。父の文字は整っている頁と乱れた頁がある。王都時代、村へ来た後、病が進んだ後、時期によって筆圧が違う。
「これは?」バーバラが小さな紙片を見つける。
『根は水のみを通らない』『記憶』『夢』『血縁』『強い感情』『同じものを共有する者の間にも道ができる』
血縁、王弟、国王、兄弟。同じ妹を失った記憶。第二の根は北井戸の水だけでなく、二人の間にある感情を利用している。
「王弟の接続を」「国王へ使える?」俺は紙を見る。
「どういう意味だ」
「二人は」「同じ根につながってる」「王弟から」「国王の夢へ入れるかも」俺が王弟へ伝える必要はある。だが国王へ直接向かうより、王弟に兄を救わせる。その方が泉の誘惑へ対抗できるかもしれない。国王が見る滅亡の未来。弟なら偽物だと分かる要素を知っている可能性。
「問題は」ダグラスが言う。「王弟へどう伝えるかだ」俺の腕、封鎖。再接続は危険。
「他の道」紙片の続き。
『強い感情は』『接続を深める』『同時に』『異なる方向へ道を曲げる』『対象を泉ではなく』『人へ向けられれば』『根は通信路となる』
父は根を、ただ切るのではなく、人と人をつなぐ道へ変えようとしていた。
「感情を」「泉じゃなく」「人へ向ける」王弟は妹への執着を泉へ向けていた。だが今は妹を見送った。次に兄を救いたいという感情を強く持てば、根の流れが国王へ向かう。
「王弟が」「自分で気づけば」「俺は何もしなくていい」
「気づかなければ?」
「間に合わない」続き。紙片の裏、小さな図。三つの円。一つ目、根。二つ目、接続先。三つ目、観測者。観測者から接続先へ矢印。
『外部から方向を与える場合』『声では弱い』『共有された記憶を使う』
「共有された記憶」俺と王弟が共有しているもの。父、エドワード。王弟が父へ謝りたかった記憶。俺は父の帳面を読んだ。王弟は父との過去を知る。同じではない。だが父という人間を通じて道ができている。
「父さんの記憶を」「王弟へ送る」
「どうやって」
「俺の中に」「父さんの記憶はない」父が死んだ時、俺は幼い。ほとんど覚えていない。保存器には父の記憶がある。だが開ければ第二の根に見つかる。
「記録は?」母が言う。
「記憶じゃない」「父さんが書いた言葉」「それを」「俺が覚えて」「王弟へ送る」文字、意味、父の考え。完全な記憶ではない。だが王弟が知る父と重なるものがあれば道を曲げられる可能性。
「どの言葉を使う」ダグラスが尋ねる。帳面、最後の頁。
『次に鍵を使う者が』『一人でないことを願う』
これは俺へ向けた言葉。王弟へではない。他の頁。告発された後、王都を離れる前。小さな走り書き。
『エリアス殿下は』『妹君を見捨てたのではない』『恐怖の中で』『間違ったものを信じただけだ』『人は恐怖の中で誤る』『だから』『誤りの後に何を選ぶかが』『その人を決める』
父は王弟を責めていなかった。ただ次の選択を信じていた。
「これ」俺は言う。「王弟へ送る」
「また接続するのか」
「声じゃない」「記憶」
「方法が分からない」父の図。観測者、共有記憶、方向を与える。必要なのは接続を開くことではない。すでに俺の中に王弟との道が残っている。銀色の線。魔力路は塞いだ。だが線そのものは指先から肘の下まで消えていない。
「魔力を流さず」「思いだけ」「送る」前世なら馬鹿げていると言った。感情は測れない。術式に使えない。だが泉は感情を道にしている。なら同じ仕組みを逆に使う。
「どうすればいい?」バーバラが尋ねる。
「俺一人だと」「泉へ向くかもしれない」「だから」「父さんを知ってる母さんが」「一緒に思い出して」母の記憶。父の姿、声、暮らし。俺にはないもの。それを言葉にしてもらう。俺が王弟へ送る。
「危険は?」
「分からない」
「分からないなら」「止めるべきだ」ダグラス。
「でも」「保存器を開けるよりは」「たぶん安全」
「たぶんで決めるな」
「じゃあ」「他の方法」老人は黙る。ない。時間も。
『副接続先』『接続率』『二十四』四上昇。間隔が短くなっている。
「やるなら」ダグラスが言う。「魔力を流すな」「線が伸びたら即座に中止」「白石は外さない」
「うん」
「王弟の返事を求めるな」「送るだけ」
「うん」
「一度だけだ」
「分かった」寝台へ座る。右腕を机の上へ置く。白石は巻いたまま。母が左手を握る。
「父さんのこと」「話して」バーバラは目を閉じる。
「お父さんは」「口数が少なかった」
「うん」
「優しい言葉を」「言うのが下手だった」
「うん」
「心配している時ほど」「難しい顔をした」父、俺の中に顔はほとんどない。母の言葉から輪郭を作る。
「薬草を干す時は」「いつも端を揃えた」「少しでも曲がっていると」「全部やり直した」
「細かい」
「あなたと同じ」
「俺はそこまでじゃない」
「同じよ」母が少し笑う。父の姿、薬草小屋、棚、夕方の光。
「村の子が怪我をすると」「怒った顔で治療した」
「どうして怒るの?」
「心配だから」
「面倒」
「あなたと同じ」
「違う」だが少しずつ、父が人になる。記録の中の研究者ではない。王都を追われた医術師でもない。母が愛した人。俺を守ろうとした父。
「お父さんは」「誰かが間違えても」「すぐには責めなかった」「その人が」「次にどうするかを見ていた」父の言葉。
『誤りの後に何を選ぶかが』『その人を決める』
俺はその一文を強く思う。王弟。父を信じなかった。告発した。妹を失った。その誤りを何年も抱えた。今、泉主を拒絶した。次は兄を救う。
「エリアス」声には出さない。銀色の線へ思いを向ける。冷たさ、ない。魔力も流さない。ただ父の言葉を渡す。
『人は恐怖の中で誤る』『だから』『誤りの後に何を選ぶかが』『その人を決める』
線が淡く光る。伸びない。痛みもない。代わりに遠くで何かがこちらへ触れる。王弟。返事ではない。感情。驚き、悲しみ、そして決意。道が俺から王弟へ、王弟から別の場所へ曲がる。国王、兄、二人の間、同じ根、同じ妹、同じ王国。銀色の線が一瞬だけ金色へ変わった。
「届いた」俺は呟く。
「分かるの?」
「王弟が」「兄へ向いた」第二の根への執着ではない。人へ、国王へ。助けたいという感情。根が通信路になる。箱の中から赤い声。
『第二接続先』『接続方向変更』『主接続先から』『副接続先へ干渉』
成功。王弟が国王の夢へ入った。
◇ ◇ ◇
景色は見えない。声も聞こえない。だが保存器が状態だけを告げる。
『副接続先』『夢層維持』『提示内容』『王都崩壊』『主接続先』『干渉開始』
王弟が国王の見ている夢へ入り込んだ。
「何が起きてる?」母が尋ねる。
「分からない」今度は本当に見る手段がない。保存器を開けば夢を表示できる。だが開かない。王弟へ任せる。父の言葉。一人で全部決めない。
「信じる」俺は言った。それは前世の俺が一番苦手だったこと。自分が見ていない場所で他人が正しい選択をする。そう信じる。
『副接続先』『接続率』『二十七』まだ上がる。王弟の干渉は間に合わないのか。
『受容反応』『継続』国王は泉主の見せる滅亡を信じている。王弟がどんな言葉をかけても、国を失う恐怖の方が強い。
「王は」ダグラスが言う。「国を守るためなら」「弟の言葉でも退けるだろう」
「どうするの」母が尋ねる。俺は答えられない。今、王弟の夢へ追加の言葉を送ることはできる。だが一度だけと約束した。何度も使えば道が広がる。
「待つ」俺は拳を握る。「王弟が考える」
『副接続先』『接続率』『三十一』数字が上がる。王弟は失敗したのか。泉主に押し返されたのか。俺の中に再び、自分が入るべきだという考えが浮かぶ。一人で決めるな。任せる。信じる。
「まだ」母が言う。「終わっていない」
「うん」箱の中、保存器が新しい変化を告げる。
『主接続先』『共有記憶を展開』
王弟が何かを国王へ見せ始めた。共有記憶。妹、リディア。王都崩壊の夢へ、死んだ妹の記憶を重ねる。
『副接続先』『受容反応』『低下』
初めて変化。
『接続率』『三十一』『三十』
下がった。王弟の言葉が届いた。俺たちは息を止めたまま数字を見る。
『二十九』『二十八』
国王が泉主の未来を疑い始める。だがその直後、
『警告』
保存器の声が鋭くなる。
『泉主』『提示内容を変更』
王都の崩壊では国王をつなぎ止められない。泉主は別の未来を見せる。
『新規提示内容』『王弟の死』
今、自分を救おうとしている弟が泉を拒絶した結果、死ぬ。そう見せる。
『副接続先』『受容反応』『急上昇』『接続率』『三十四』
国を守る責任ではなく、家族を失う恐怖。王弟が妹の次に失いたくない人、兄。国王にとっても弟は最後に残った家族。泉主は国王へ選択を迫る。泉を受け入れるか、弟を死なせるか。
『接続率』『三十九』
五上昇。
「駄目」母が呟く。王弟が国王を助けようとしたことで、今度は王弟自身が餌にされた。
「王弟は」俺は銀色の線へ意識を向ける。返事を求めない。見るだけ。微かな感情。驚き、怒り、そして覚悟。王弟は泉主が何を見せたか気づいている。なら国王へ、自分が死んでも受け入れるなと言う。だが国王が、それを選べるか。
『副接続先』『接続率』『四十五』
王弟の時を越えた。
『自発接続』『成立準備』
泉主が国王へ手を差し出す。見えなくても分かる。王が弟を救うため、その手を取ろうとしている。
その時、家の外から馬の音。一頭ではない。複数、速い。村へ入ってくる。
「ゲイル?」バーバラが窓へ向かう。だが戻るには早すぎる。宿場町へ着く前のはず。蹄の音が家の前で止まる。扉が強く叩かれた。
「王都からの緊急伝令だ!」知らない男の声。「エドワード・E・オリバーの家族を探している!」
俺たちは顔を見合わせる。王都。まだこちらの手紙は届いていない。それなのに向こうから父の家族を探している。バーバラが扉を開ける。王家の紋章をつけた三人の騎手。先頭の男は馬から降りるなり、一通の封書を差し出した。
「王立医術院長」「セオドア・グレイン殿からだ」
封には三本の線と小さな円。父とセオドアだけの印。バーバラが震える指で封を切る。中の紙、短い文章。
『エドワードの息子へ』『第二の根が目覚めた』『王弟殿下の拒絶により』『次の接続先は国王陛下となる』『陛下が泉を受け入れる前に』『王都へ来てはならない』
来いではない。来るな。そして最後の一文。
『第二鍵はすでに』『王家霊廟から失われている』
俺が夢で見た場所。リディアの遺体。そこにあるはずの鍵。だがすでに誰かが持ち去った。保存器の声が再び響く。
『副接続先』『接続率』『四十九』『自発接続成立まで』『推定』『一刻未満』
王都へ向かう時間はない。第二鍵もない。そして泉主はあと一刻もせず、国王の身体を手に入れようとしていた。




