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Ep195. 夢の中の王弟

## 接続率


## 二十一


数字が跳ね上がった瞬間、保存器の中で青い人影が王弟エリアスの手へ触れた。


夢の中、王弟の前に一人の女が現れる。淡い金色の髪、白い衣服。年齢は二十代ほど。穏やかな顔。王弟は、その姿を見た途端、膝をついた。


『リディア……』


彼が失った人の名前だった。女は王弟へ微笑む。


『お久しぶりです』『兄さま』


妹――王弟が生き返らせたいのは、亡くなった妹だった。


「これは本物?」オリヴィアが尋ねる。


「違う」俺は答えた。泉が王弟の記憶を読み、作った姿だ。声も、仕草も、すべてが本人の記憶から作られている。だから王弟には、本物と見分けられない。


『接続対象』『受容反応』『上昇』


保存器の数字が『二十四』へ変わる。王弟は震える手で妹の頬へ触れた。


『冷たい』


『死者ですから』女が答える。『ですが、泉へ戻れば、再び温かくなれます』


『泉へ?』


『私を呼んだ方を、受け入れてください』


女の背後に、青い泉主が姿を現す。王弟は警戒するように顔を上げた。


『お前は何者だ』


『失われたものを戻す者』


『代償は?』


王弟の問いに、泉主はすぐには答えない。代わりに妹の姿が一歩近づく。


『兄さま。私は、あの日からずっと水の中で待っていました』


王弟の表情が歪む。あの日の記憶が夢の中へ広がる。雨、王宮、白い石廊下、担架で運ばれる少女、血、医師たち、泣き叫ぶ王弟。


『助けろ! 王家の医師だろう! 何のためにいる!』


誰も答えない。少女の胸は動かない。事故か、病か、映像だけでは分からない。ただ、王弟は妹を救えなかった。


『私が』泉主が言う。『あの時そこにいれば、死なせなかった』


『嘘だ』


『ならば』


泉主が女の身体へ触れる。青い光が流れ込む。冷たかった頬へ赤みが戻る。女の胸が上下する。息――生きているように見える。


『兄さま』王弟が息を呑む。『リディア?』


『帰りたい』女が手を差し出す。『私を、こちらへ戻してください』


『接続率』『三十一』


また大きく上がる。


「このままじゃ」バーバラが保存器へ手を伸ばしかける。「何かできないの?」


「第二鍵がない」俺は答える。保存器は見ることしかできない。声を届けるには第二鍵が必要だ。それは王都の医術院にあり、今ここにはない。


「映像を止めた方がいい」ダグラスが言う。「見ているだけで、ルークへ影響が出る」


確かに、夢の映像を見ていると胸の奥へ冷たい感覚が戻る。泉主の声は俺へ向けたものではない。それでも考えを揺らす。死者を戻せる――前世の患者、救えなかった人間、名前の出てこない顔。もし本当に戻せるなら。そんな考えが一瞬浮かぶ。


違う。泉が戻すのは本人ではない。記憶と魔力で作った、似た何かだ。


「閉じる」俺が言う。だがその前に確認しなければならない。王弟が何を選ぶか。接続率がどこまで上がるか。王都へ向かう猶予はあるか。


『代償を言え』夢の中で王弟が繰り返す。泉主は笑みを浮かべた。


『あなたの身体を、水の通り道として少し貸していただくだけです』


『身体を?』


『痛みはありません。失うものもありません』


嘘だ。第一の根で泉口になれば、身体も意思も泉へ取り込まれる。


『お前を受け入れれば、リディアは生き返るのか』


『はい』泉主は迷わず答えた。『必ず』


「嘘だ」俺は声に出した。夢の王弟には届かない。だが、保存器の中の泉主がこちらを見た。王弟へ向いていたはずの顔が、一瞬、俺へ向く。


『嘘ではない』


声が部屋へ響いた。保存器の中、閉じ込めた断片が話している。ゲイルがすぐに箱へ手を伸ばす。


「閉じるぞ」


「待って」俺は止めた。「何を戻す?」


『記憶』『姿』『声』『魔力』『王弟が妹と認識するために必要な全て』


「本人の魂は?」


沈黙。


「戻せない」


『魂とは、記憶の連続性だ』


「違う」


『では何だ』


答えられない。魂――俺は一度死に、自分自身へ転生した。前世の記憶、今世の身体。さらに泉主と同じ魂かもしれない。魂が何か、俺にも分からない。だが、記憶を再現しただけの存在を本人とは呼べない。


「王弟へ、それを言ってない」


『尋ねられていない』


「欺いてる」


『望みを叶える。そのために理解しやすい言葉を使っただけだ』


泉主に罪悪感はない。王弟が戻ってきた妹だと信じれば、それでいい。その代わりに身体を奪う。


「閉じろ」今度は俺が言った。


ゲイルが白石を戻す。保存器の光が弱くなる。最後に表示だけが見えた。


『接続率』『三十六』


上昇は止まっていない。箱の蓋が閉じられる。夢の映像、泉主の声、すべて消えた。


   ◇ ◇ ◇


「四日もかけられない」最初に口を開いたのはオリヴィアだった。「今の増え方なら、今日中に七十へ行くかもしれない。自発接続が成立すれば十倍」


「王弟はまだ完全には受け入れてない」俺は言う。


「でも妹を目の前に出された」バーバラが苦しそうに言う。「断れる人の方が少ないわ」


亡くした家族にもう一度会える。触れられる。声を聞ける。それが偽物かもしれないと分かっても、拒めるか。俺なら、どうする。父、前世の母、救えなかった患者――もし目の前へ現れ、今度こそ救えると言われたら。以前の俺なら、泉を利用しようとしたかもしれない。自分なら制御できると、そう考えた。


「王都へ先に知らせる方法」ゲイルが言う。「手紙では遅い。早馬でも一日以上かかる」


「魔術通信は?」オリヴィアが尋ねる。


誰もすぐには答えない。この村に遠距離通信の設備はない。大都市、軍、王宮――そういう場所なら使われることがある。だが俺たちが利用できるものではない。


「街道の監視所」バーバラが言った。「王都と地方をつなぐ、緊急伝令用の鳥がいるはず」


「ここから一番近いのは?」


「東の宿場町。荷車で半日」


そこまで行き伝令鳥を使えれば、人が移動するより早い。


「誰宛てに送る?」ゲイルが聞く。


「王立医術院」俺は答えた。「セオドア・グレイン。生きていれば、第二鍵を確保してもらう」


「王弟へは?」


「直接送れば、周りに止められる」


王弟本人が夢の影響下にある。泉を救いと信じ始めている可能性がある。彼へ直接知らせても、拒まれるかもしれない。


「国王へ送る?」オリヴィアが言う。


王弟の兄、現在の王。妹を亡くしたのなら同じ悲しみを持つ。だが、王弟が泉へ接続していると伝えれば、拘束、処分、政治的混乱――何が起きるか分からない。


「まず医術院」ゲイルが決める。「父親の知り合いなら事情を理解する可能性がある。手紙には王弟の名は書かない。『北井戸の水を止めろ』『第二鍵を確保しろ』『エドワードの息子が向かう』――最低限」


「保存器の印を」俺は言う。「父さんが、セオドアにしか分からない符号を残してない?」


バーバラが父の古い記録を思い出そうとする。「手紙の最後に、いつも変な印を書いていた。三本の線と小さな円」


第一の根の紋章とは違う。父とセオドアだけの確認符号かもしれない。


「それを書く」バーバラが机へ向かう。


だが手紙を完成させ、宿場町まで運び、伝令鳥を飛ばしても、すぐ王弟の夢を止められるわけではない。


「王弟を夢から起こす方法」俺は保存器を見た。第二鍵があれば声を送れる。だが第二鍵は王都にある。代わりに、第一鍵では本当に何もできないのか。同じ泉の管理端末、第一と第二の違いは対象となる記憶層だけだ。


「第一鍵を第二記憶層へ無理につないだら?」


ダグラスの顔がすぐに険しくなる。「その発想を捨てろ」


「聞くだけ」


「答えも分からんのに、勝手に試す顔をしている」


図星だった。俺は第一鍵を保存器へ接続した時の流れを思い出す。第二記憶層は部分開放できた。なら、一方向の通信だけ作れる可能性がある。


「保存器へ聞く」


「開くな」ゲイルが止める。「泉主の声を聞けば、また影響される」


「白石を残す。質問だけ。一人では答えない」


皆を見る。ゲイルはしばらく考えた。


「一問だけだ」


「王弟へ声を送れるか。それ以外は聞かない」


「うん」


保存器の箱を完全には開けない。白石を残し、第一鍵だけを外側へ近づける。青い線が弱くつながる。


『第二記憶層』『制限閲覧』


「第一鍵から第二接続先へ、声を送れる?」


『通常通信』『不可』


「通常以外は?」


ゲイルが俺を睨む。一問だけだったはずだ。だが答えが「通常は不可」なら、例外があるということだ。


『緊急干渉』『可能』


「条件は?」


ゲイルが額を押さえる。俺が勝手に続けたからだ。だが今は止めない。


『第一鍵使用者が、第二接続先の夢へ一時進入』


夢へ入る。王弟のいる、泉主が作った夢へ。


「危険性」


『第一鍵使用者の記憶が、第二記憶層へ流出する可能性』『泉主との再接続率』『高』


当然だ。王弟を救うため俺がまた泉の夢へ入る。封鎖室で切った接続を、自らつなぎ直すことになる。


「駄目」バーバラが言った。即答だった。「絶対に駄目」


「でも」


「あなたは昨日、やっと戻ってきたのよ。まだ記憶も戻っていない。魔力もほとんどない。そんな状態で、もう一度泉へ入ったら」


今度こそ帰れない。それは俺も分かっている。


「他の人が入る」オリヴィアが言う。


「第一鍵使用者だけ?」


『使用権限移行』『可能』


全員が保存器を見る。


「どうやって?」


『第一鍵へ、新規使用者の魔力と記憶を登録』


「登録したら何が起きる?」


『旧使用者との権限共有。新規使用者も泉接続対象となる』


俺の代わりに誰かが泉へつながる。


「私が行く」オリヴィアが言った。


「駄目」俺は即座に止めた。


「どうして」


「俺より泉を知らない」


「だから」


「泉主に騙される」


「でもルークより元気。魔力もある。記憶も失ってない」


条件だけならオリヴィアの方が耐えられる可能性がある。だが泉主の仕組みを知らない。夢の中では最も強い欲望を使われる。オリヴィアが何を望んでいるか、俺は知らない。彼女自身も自覚していないかもしれない。


「誰も入らない」ゲイルが言った。「王弟一人を救うために、別の接続先を増やすのは間違ってる」


「でも」バーバラが保存器の箱を見る。「王弟が泉口になれば、王都全体が危険になる」


「だから本人へ任せる」


ゲイルの言葉は冷たく聞こえる。だが間違ってはいない。俺たちは王弟の人生を知らない。妹への思いも、泉主の嘘へどこまで気づくかも。今できることは、王都へ警告を送り、準備をして向かう、それだけだ。


「保存器を閉じる」ゲイルが言う。


俺は第一鍵を離した。その瞬間、保存器の中から別の声が響く。泉主ではない。男――王弟エリアスだ。


『誰だ』


全員が動きを止める。


『今、私を見ている者がいる』


王弟がこちらに気づいた。夢の中で第一鍵との接続を感じたのだ。


『答えろ。お前は泉の使いか』


通信は完全には閉じていない。俺は第一鍵へ手を戻す。


「違う」


バーバラが俺の腕を掴む。「ルーク」


「話すだけ。夢へ入らない」


今は声が届いている。向こうから呼びかけている。なら答えられる。


『子ども?』王弟の声。『なぜ私の夢へいる』


「泉を受け入れないで」


『泉?』


「目の前の男、妹を戻すって言ってる。嘘」


沈黙。その後、王弟の声が低くなる。


『リディアを知っているのか』


「知らない」


『なら、なぜ嘘だと分かる』


「泉は死者を戻せない。記憶から似たものを作るだけ」


『証拠は』


ない。今、王弟へ見せられる証拠はない。第一の根、泉主、俺の記憶――すべて説明には時間がかかる。


「俺も身体を奪われかけた。第一の根で、泉口に」


『第一の根』


王弟の声が僅かに変わる。知っている。


「知ってる?」


『その名を、どこで聞いた』


「父さん。エドワード・E・オリバー」


向こうで何かが倒れる音。


『エドワード……』


王弟は父を知っている。


『お前は、あの男の息子か』


「うん」


『生きていたのか』


何。俺が生きていた――王弟は俺の存在を以前から知っていた。


「俺を知ってる?」


『話せ』王弟が急に苦しそうな声を出す。『時間がない。あれが戻ってくる』


泉主だ。通信に気づき、王弟の夢へ戻ろうとしている。


『エドワードの息子、第二鍵を医術院で探せ』


「分かってる」


『違う。表にある物ではない。地下の』


声が途切れる。青い雑音。泉主の声が割り込む。


『見つけた』


保存器が激しく震えた。


『余計な道をつないだな』


「切る!」俺が叫ぶ。第一鍵から手を離そうとする。だが指が動かない。青い線が腕へ絡んでいる。泉主が王弟側から第一鍵を掴んだ。


『今度は、お前から来た』


胸の奥、消えたはずの線が冷たく光る。


『接続率』『一』


俺の新しい接続だ。第二の根へ。


バーバラが俺の手を第一鍵から引き離す。ゲイルが白石ごと箱を閉じる。青い線が切れる。胸の冷たさもすぐに消えた。


保存器の表示が最後に二つ浮かぶ。


『第二接続先』『接続率』『四十一』


王弟はまだ完全には受け入れていない。だが時間はほとんど残っていない。そして俺の腕、消えたはずの銀色の線が指先に一本だけ、再び現れていた。

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