Ep194. 王都へ向かう前に
## 『第二の根』
保存器に浮かんだ赤い文字を、誰もすぐには理解できなかった。
『接続率』『九』——第一の根は、六十を越えてから俺を泉口へ変えようとした。第二の根はまだ九。数字だけ見れば低い。だが、誰に接続しているのか、何をきっかけに増えるのか、分からない。
「王都まで、どれくらいかかる?」俺が尋ねると、ゲイルが答えた。「馬車でも数日だ。道が良ければ三日。今の季節なら四日は見た方がいい」
四日。第一の根は一日で大きく接続率を上げた。第二の根も同じなら、到着する前に七十を越える。「急がないと」——身体を起こそうとした瞬間、強い眩暈が来た。視界が傾き、バーバラが俺を抱き止めた。
「今のあなたでは無理よ」
「でも」
「王都へ行く前に」ダグラスが割って入る。「まず村へ戻る。保存器を調べる。第二の根が本当に王都にあるのか、誰へ接続しているのか。それを知らずに向かっても何もできん」
正しい。場所だけ知っても、第一封鎖室のような設備があるとは限らない。第二鍵、別の白石、封鎖方法。必要な情報はすべて保存器の中にある可能性が高い。
「この小屋に残るのは危険だ」ゲイルが床下を見る。銀色の針は崩れ、青い水も止まった。だが、一度泉に侵入された場所だ。再び狙われるかもしれない。
「持ち帰れる?」オリヴィアが透明な筒を指差す。
「持ち方を間違えなければ」俺は答えた。戻った医魔術の知識は、泉主と一緒に抜かれたことでまた薄くなっている。それでも、保存器を直接魔力へ触れさせてはいけない、その程度は分かる。
「白石で囲う。第一鍵とは別にする。水へ近づけない」
「分かった」
ゲイルが木箱を二つ用意した。一つには第一鍵、もう一つには保存器。保存器の周囲を白石の破片で囲い、布を重ねる。箱を閉じる前、赤い文字がもう一度浮かんだ。『第二の根』『接続率』『十』。増えた。わずかな時間で一上がった。
「泉との接続は切ったんじゃないの?」オリヴィアが言う。
「保存器が接続してるんじゃない」俺は答える。「保存されてる情報が、第二の根の状態を記録してる」
父の保存器は、泉へつながらずに根の状態を観測できる。どういう仕組みか、今は分からない。だが、情報が更新されるなら、王都へ向かう途中でも接続率を確認できる。
「誰につながってるかも見られる?」
「たぶん」
「村へ戻って調べる」ゲイルが箱を閉じた。「急ぐぞ」
◇ ◇ ◇
帰りの荷車は、行きよりも速かった。揺れが強く、ダグラスが何度も速度を落とせと言う。ゲイルは危険にならないぎりぎりを選びながら進んだ。俺は毛布に包まれ、バーバラの膝へ頭を預けている。
「眠っていいのよ」母が言う。
「保存器、村まで開けない?」
「分かってる」
「なら休んで」
眠るのが怖い。夢に泉主が出るかもしれない。意識の断片は保存器へ移し、頭の中から声は消えた。それでも、泉と接続した記憶は身体のどこかに残っている。
「母さん」
「なに?」
「寝てる間に変わってたら」
「何が?」
「俺が」
泉主の考え方、傲慢さ、人を支配しようとする感覚。自分では気づけないかもしれない。「起きた時、変だったら言って」
「どんなふうに?」
「分からない」
母は少し考え、俺の額へ手を置いた。「あなたが一人で全部決めようとしたら、止める」
「うん」
「誰かを役に立つかどうかだけで見たら、怒る」
「うん」
「私を母さんと呼ばなくなったら」声が僅かに揺れた。「何度でも呼び直させる」
俺は母の服を掴む。「母さん」
「ここにいる」
その返事を聞き、ようやく目を閉じた。夢は見なかった。目を開けると、村の家へ戻っていた。寝台、窓、薬草の匂い。バーバラが隣にいる。
「母さん」呼ぶと、母はすぐに振り向いた。「おかえり」
目覚めただけなのに、その言葉を使う。帰ってきた。俺は、まだ俺。
「気分は?」
「少しいい」
起き上がろうとする。腕へ力が入る。昨日よりは身体が動く。それでも、一人で座るのが限界。ダグラスが診療所側から入ってくる。「熱なし。脈も昨日よりましだ。魔力は?」
胸へ意識を向ける。小さな火種。ほとんど消えていた魔力が、僅かに戻っている。「少し」
「使うな」
「分かってる」
「本当に分かっている顔ではないな」
ダグラスが睨む。俺は視線を逸らした。そこへゲイルとオリヴィアも来た。机の中央には、白石に囲まれた保存器の箱。
◇ ◇ ◇
「開ける前に確認する」ゲイルが言う。「今日は情報を見るだけだ。記憶は戻さない。保存器を壊さない。泉主へ話しかけられても、ルーク一人では答えない」
「うん」俺は頷く。
「それから」オリヴィアが指を立てる。「前世の恋愛記憶を見つけても、勝手に隠さない」
「関係ない」
「あるってことね」
「今は第二の根」
バーバラが呆れた顔でオリヴィアを見る。だが、部屋の緊張が少しだけ和らいだ。
「開けるぞ」ゲイルが箱の蓋を上げ、白石を一つずつ外す。透明な筒、内部の金色の糸。その中心には、小さな青い人影——泉主の断片。動かない。保存器の表面へ赤い文字が浮かぶ。『第二の根』『接続率』『十二』。小屋を出た時は十だった。村へ戻る間に二上がった。
「速すぎる」ゲイルが呟く。
「接続対象を表示できる?」俺が尋ねる。
金色の糸がゆっくり動く。『第二記憶層』『閲覧権限を確認』『第一鍵を接続してください』。第一鍵——別の箱にある鍵を、保存器とつなげなければ詳しい情報を見られない。
「また汚染されない?」バーバラが尋ねる。俺が保存器へ同じ問いを投げる。『外部汚染率』『零』『第一鍵接続時』『泉通信経路は開放されません』。
「信用できるか?」ゲイルが言う。道具の声は事実だけを伝える。だが、その事実が泉主の意図で歪められていない保証はない。
「白石を残したまま」俺は言う。「接続時間を短くする。情報を見たらすぐ切る」
ダグラスが俺の脈を取る。「異変があれば中止だ」
第一鍵を保存器の隣へ置く。二つの間に青い線が伸び、白石が同時に淡く光った。『第一鍵』『確認』『第二記憶層』『部分開放』。透明な筒の上へ光の地図が現れた。広い都市、高い城壁、中央に王宮——王都。地図は地上から地下へ沈んでいく。水路、貯水槽、古い坑道、さらに下、白い岩盤。そこへ銀色の根が眠っている。第一の根より細い。だが長い。王都の地下全体を囲うように伸びている。
「こんなに広いのか」ゲイルの顔が強張る。第一の根は採石場を中心に村へ伸びていた。第二の根は、すでに王都全域へ枝分かれしている。
「起動前から?」
「眠ってる間に根だけは伸びてた」俺は答える。泉の魔力を流す道が、長い年月をかけ、人に気づかれない深さで王都の水路へ近づいた。
「接続対象は?」地図の中央、王宮の地下に一つの青い光——人の形。顔は見えない。『第二接続先』『選定済み』『識別情報を表示』。文字が浮かぶ。『エリアス・ヴァン・ローデン』。誰だろう。俺には分からない。だが、ゲイルとバーバラが同時に息を呑んだ。
「知ってる?」
「王弟殿下」ゲイルが答える。「国王の弟だ」
王族。王宮。第二の根は、王都の住人ではなく王弟を泉口に選んだ。「どうして王弟を?」オリヴィアが尋ねる。保存器へ問う。『第二の根』『接続条件』『広域水路への権限』『高魔力量』『王家血統』。王弟なら王都の地下水路へ近づける。魔力も高い。王家の血にも何か意味があるらしい。
「接続はいつ始まった?」
『第一の根封鎖から』『三刻後』。俺たちが採石場から村へ戻る前、すでに第二の根は王弟へ接続していた。
「本人は気づいてる?」
『自覚段階』『未到達』
「何で接続してる?」
地図が変わる。王宮の一室、机、銀色の杯。その中の水が青く光っている。『接続媒体』『王宮北井戸の水』。王弟はその水を飲んだ。あるいは日常的に使っている。
「井戸を止めれば接続も止まる?」
『否』『接続成立後』『媒体遮断のみでは解除不可』
第一の根と同じ。一度つながれば、水を止めても身体の中に根が残る。
「第二封鎖室は?」俺が尋ねる。
『存在』——希望。
「場所」
地図が王都の南へ移る。城壁の外、古い地下墓所、そのさらに下。『第二封鎖室』
「必要な物は?」
『第二鍵』『太陽の黒石』『接続先』
第一は第一鍵、月の白石。第二は第二鍵、太陽の黒石。「第二鍵はどこ?」
『最後の使用者』『エドワード・E・オリバー』
父。また。「父さんが持ってた?」
『使用後』『王都に残置』
「場所は?」
光の地図が王宮の西側を示す。大きな建物、塔、紋章。「ここは?」ゲイルが目を細める。「王立医術院だ」
医術院。父は王都で第二鍵を使った。「父さんは第二の根も封じた?」
『否』『第二封鎖室』『未到達』『第二鍵のみ回収』
父は、根を封じる前に鍵だけを見つけた。そして王立医術院へ残した。「どうして持ち帰らなかった?」
『追跡回避』『第二鍵を移動させた場合』『第二の根起動可能性あり』
父は鍵を動かせば根が起きると知っていた。だから王都へ残した。今、根はすでに起動している。鍵を回収しても状況は悪化しない。
「太陽の黒石は?」
『王家宝物庫』
王弟を救うために必要な物が、すべて王都にある。だが、俺たちはただの村人。王宮へ入り、王弟に会い、宝物庫から黒石を出し、王立医術院から第二鍵を回収しなければならない。
◇ ◇ ◇
「王弟に知らせるには?」オリヴィアが言う。「手紙を送っても信じてもらえないよね。泉、根、接続率——証拠がない」
保存器は証拠になる。だが、王都まで持っていき、誰に見せる。「父さんに」俺はバーバラを見る。「王都の知り合い、いた?」
母はすぐには答えなかった。「一人だけ」
「誰?」
「王立医術院の院長」
全員が驚く。「父さんは王都にいた頃、その人の助手だったと聞いている」
「今も院長?」
「分からない」
父が亡くなってから何年も経っている。人事は変わっているかもしれない。だが、手がかりだ。「名前は?」
「セオドア・グレイン」
俺の頭で、その名が僅かに響いた。知っている。前世ではない。今世、父の記録のどこかで見た。「保存器、父さんの記憶、セオドア。検索できるか」
『該当情報』『あり』
光が一つの記憶を映す。父、若い男、白い服、王立医術院の廊下。向かいに灰色の髪をした男。『エドワード』『これ以上、地下を調べるな』『お前一人で触れていいものではない』
セオドア。父を止めた男。『なら、手を貸してください』『できない』『王家が関わっている』『知られれば、医術院ごと消される』
記憶はそこで途切れた。セオドアは泉を知っていた。少なくとも、王都地下の異変を父と共に調べていた。「この人なら」ゲイルが言う。「話を信じる可能性がある」
「生きてれば」オリヴィアが続ける。「会う」
俺は言った。「王都へ行く」
ダグラスが厳しい目を向ける。「今すぐとは言わんだろうな」
「準備して、今日中に出る」
「無理だ」
「接続率、十二」
「四日かかる」
「途中で上がる。だからこそ」
ダグラスは言う。「お前が倒れれば終わる。第二の根を封じるには、接続先だけでなく泉を理解している者が必要だ。今のところ、それはお前しかいない」
俺が途中で動けなくなれば、王都へ着いても何もできない。「馬車を借りる」ゲイルが言う。「村の荷車では遅い。街道の宿場まで行けば早馬も使える。準備に半日は必要だ」
半日。接続率はさらに上がるかもしれない。「保存器で増え方を見ながら行く」俺は言う。「急に上がったら、その時考える」
「一人で?」バーバラが聞く。
「皆で」
母は頷いた。「私も行く」
「当然だ」
「オリヴィアも」
「もちろん」
ゲイル、ダグラスも同行する。村を守る者も必要だ。第一の根が本当に再起動しないか、監視を残さなければならない。ゲイルが村人たちの顔を思い浮かべる。「トムの父親に任せる。採石場へ近づかない。井戸を毎日確認する。異変があれば南へ避難」
決めることが次々と増える。馬車、食料、宿、王都へ入る方法、セオドアへの接触、王弟へ近づく方法、太陽の黒石、第二鍵。
「まず」ゲイルが言う。「王都へ送る手紙を書く。先にセオドアへ知らせる」
「届くまで、俺たちより遅い」
「それでも、着いた時に門前で追い返されるよりましだ」
手紙は誰が書く。バーバラが父との関係を証明する。保存器の存在、第一鍵、第二の根——全てを書くのは危険だ。途中で誰かに読まれる可能性がある。
「父さんの名前だけ」俺は言う。「薬師小屋、第二鍵、この三つ。分かる人なら会う」
バーバラが頷く。「私が書く」
オリヴィアは王都までの道を確認する。ゲイルは馬車と護衛。ダグラスは俺の薬と、移動中の診察道具。皆が動き始める。俺は保存器を見る。赤い文字。『第二の根』『接続率』『十三』。また上がった。だが、続けて別の表示が現れる。
『接続対象』『睡眠状態』『第一夢層へ移行』
夢。第一の根も、俺の記憶と恐怖へ触れた。第二の根は、王弟の夢へ入ろうとしている。「何が起きる?」
『接続対象の』『最重要欲求を探索』
「最重要欲求?」
『根は』『受け入れを得るため』『対象が最も望むものを提示する』
俺には、母を救う力。前世の知識。一人で全てを解決できる力。それを見せた。王弟は何を望んでいる。王位、家族、権力、病の治療——分からない。だが、泉主はその欲望を使い、自ら接続を受け入れさせる。
『自発接続が成立した場合』『接続率上昇速度』『十倍』
十倍。王弟が夢の中で泉を受け入れれば、十二や十三では止まらない。一気に七十へ近づく。「起こせない?」俺が尋ねる。
『遠隔干渉』『不可』
「保存器から声を送る」
『第二鍵が必要』
第二鍵は王都の医術院にある。間に合わない。『接続対象』『夢内選択を開始』
保存器の光が王宮の一室を映す。寝台、眠る男、黒い髪——王弟エリアス。その傍らに、青い水でできた人影が立つ。泉主だ。男は眠る王弟へ手を伸ばす。
『提示内容』『死者の蘇生』
王弟の望み。死んだ誰かを生き返らせること。泉主が、最も危険な餌を見つけた。映像の中、王弟がゆっくり目を開ける。夢の中で青い人影へ尋ねた。
『本当に』『彼女を戻せるのか』
泉主は笑った。『私を受け入れれば』『望む者を』『泉から返そう』
王弟の手が差し出される。保存器の数字が、十三から一瞬で——
『二十一』
へ跳ね上がった。




