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Ep187. 泉に見つけられた者

最初に戻ってきたのは、音だった。遠くで誰かが話している。低い声、高い声、何度も俺の名前が呼ばれている。

「……ルーク」「まだ起きない?」「呼吸は安定しています」「でも、もう朝よ」「魔力を使い切ったんだ。すぐには目を覚まさないこともある」

言葉の意味を理解するまで少し時間がかかった。身体が重い。まぶたを開けようとしても力が入らない。胸の奥は空だった。魔力がない。完全に失われたわけではなく、ごく僅かに小さな火種のようなものが残っている。だがそれ以上に、身体そのものが疲れていた。幼い魔力経路へ無理に力を流した反動だ。前世で魔力枯渇した時とは違う。筋肉、神経、心臓、すべてが一晩中走り続けた後のように重い。

「ルーク」近くでバーバラの声がした。その声に引かれるように、俺はゆっくり目を開けた。白い天井。見慣れた寝室。窓から朝の光が入っている。

「ルーク!」母の顔が視界を塞いだ。目の下に濃い影ができている。眠っていない。俺が倒れてから、ずっとそばにいたのだろう。

「分かる? 私が誰か分かる?」

何を、当然だ。そう言いたかったが声が出ない。喉が乾いている。俺は僅かに頷いた。バーバラが両手で口元を覆う。泣きそうになった顔を隠そうとしている。

「よかった……」その言葉と同時に、後ろから幾つもの息を吐く音が聞こえた。オリヴィア、ゲイル、トムの父、それから見慣れない老人。いや、村の北に住む元薬師のダグラスだ。何度か診療所へ来たことがある。今は腰を痛め、ほとんど仕事をしていない。

「目を覚ましたか」ダグラスが寝台の横へ来た。「顔を見せてみろ」俺のまぶたを指で持ち上げ、瞳を確認する。手首へ触れ脈を取る。胸へ耳を当て呼吸音を聞く。

「魔力切れと疲労だな」老人は静かに言った。「今のところ、魔力経路が壊れた様子はない」

今のところ。その言葉に、バーバラの肩が僅かに揺れた。

「後から悪くなることは?」

「無理をすればな」ダグラスは俺を見る。「しばらく魔力を使わせるな。歩かせるのも最低限。食べられるようになったら、少しずつ栄養を取らせろ。それから」老人の目が細くなる。「二度と、あんな量の魔力を幼い身体から引き出すな」

責める声ではなかった。だが強い警告。俺は目を逸らさず僅かに頷いた。

「理解しているならいい」ダグラスは立ち上がる。「ただし、理解していても、またやる顔だな」

なぜ分かる。俺が眉を寄せると、老人は鼻で笑った。「昔、お前の父親も同じ顔をしていた」

父。その言葉で記憶が一気に戻った。白石。乳白色の術式。森へ戻る青い水。父の声。『次は、泉を探すな』『泉の方から、お前を見つける』そして最後に現れた紋章。青い雫を囲む三本の銀色の根。

俺は身体を起こそうとした。「駄目!」バーバラがすぐに肩を押さえる。「起きないで」

だが確認しなければ。白石、診療所、村の水、銀色の花。あれからどうなった。俺は必死に診療所の方向を指差した。

「大丈夫」バーバラが言う。「診療所の花は消えたまま。瓶の中も空になっています。村の井戸も水路も、もう光っていないわ」

俺は次に白石を示す仕草をした。「石もある」「ゲイルさんが触れないよう、木箱をかぶせてくれた」「新しく出た印も消えていない」

よかった。証拠が残っている。俺が見たものは魔力枯渇による幻ではない。

「今は診療所へ入らない方がいい」ゲイルが言った。「床が水浸しだ。箱も棚も壊れてる。それに、一度全部調べた方がいい」

正しい。花が消えたからといって完全に安全とは限らない。青い砂、糸、見えない欠片。どこかに残っている可能性がある。

「村の水は?」声を出そうとしたが掠れた息しか出ない。オリヴィアが俺の口元へ耳を寄せた。「水?」俺は頷いた。

「井戸は、まだ使わせてない」ゲイルが答える。「朝になってから、村中の井戸と水路を確認した。見た目に異常はない。匂いも色も変わってない。だが、安全だと分かるまでは飲ませない」

それでいい。表面上元に戻ったように見えても、水の中に青い粒が残っているかもしれない。採取し、静置し、変化を確かめる必要がある。最低でも数日は。

「水はどうしてるの?」バーバラが俺の疑問を先回りする。「昨日までに汲んでいた分を使ってる。足りなくなったら、東の丘にある古い湧き水まで取りに行くことになったわ」

森の岩清水とは別の水脈。なら少なくとも今は安全だろう。村の対応は俺が眠っている間に進んでいる。一人で何とかしなければ、そう思っていた前世とは違う。俺が倒れても周囲の人間が考え、判断し、動いている。頼ることは自分が何もしなくなることではない。自分が動けない時に誰かが続きを担ってくれること。その意味を俺は今さら理解し始めている。

「今日は何も考えなくていい」バーバラが濡らした布で俺の額を拭く。「寝ていて」

考えるな。それは無理だ。眠っている間にもあの紋章の意味を探していたような気がする。夢の中で青い水が流れていた。暗い地下。銀色の根。その奥に誰かが立っている。顔は見えない。だがこちらを見ていた。あれはただの夢だったのか。それとも泉の側から俺を見つけたということなのか。

父の言葉をそのまま受け取るなら、今後俺が森へ行かなくても、泉に関わる何かがこちらへ来る。今回の水脈のように。あるいは人の姿で、魔物、植物、病気、魔力現象。どの形で現れるかは分からない。だが父は警告していた。『泉を探すな』探すなと言うなら父自身は探した。そして何かに見つかった。だからあの白石へ術式を刻み、水を持ち帰った者へ警告を残した。

父の死。今まで病によるものだと聞いていた。長く身体を壊し、治療法も見つからず亡くなった。だが本当に病だったのか。泉と関わった結果、何かを受けたのではないか。魔力を吸われた。身体の中に青い砂が生まれた。あるいは泉から持ち帰った何かが父を見つけた。

俺はバーバラを見た。聞きたい。父が亡くなる前、どんな症状だった。何を言っていた。森へ行っていたか。白石をいつ持ち帰った。だが声が出ない。今、母へ父の最期を尋ねれば必要以上に不安にさせる。それに身体を休めろと言われたばかり。焦る必要はない。白石は残っている。父の記録帳も標本も逃げない。今は魔力を戻す。それが最優先だ。そう考え俺は目を閉じた。

だが眠りへ落ちる直前、胸の奥で何かが動いた。残っていた小さな魔力。それが自分の意思とは関係なく僅かに揺れる。一定の間隔。一度、休み、二度、また休む。花の中心にあった青い雫と同じ明滅。呼びかけ。俺は目を開けた。

「どうしたの?」バーバラがすぐに気づく。胸を押さえる。痛くはない。苦しくもない。だが俺の魔力の中に以前とは違う流れがある。花に吸われ、白石の術式へ流し、森の水脈へ触れた。その時、何かが混ざった。俺の魔力へ泉の魔力が、ほんの僅か残っている。

俺は自分の指先を見る。動かすつもりはなかった。それなのに右手の人差し指へ青白い光が集まった。「ルーク?」バーバラが息を呑む。光は爪の先ほどの大きさ。弱い。だが俺が生み出した魔力ではない。俺の魔力ならもっと温かい。僅かに金色を帯びる。今指先へ現れたのは冷たい青。岩清水と同じ。

俺は力を止めようとした。だが光は消えない。指先から離れ小さな雫の形になる。空中へ浮かぶ。「水……?」オリヴィアが言う。青い雫は俺の指先から寝台の上へ落ちた。布へ染み込むと思った。しかし雫は布の上で形を保ったまま小さく震えた。そしてゆっくりと移動を始める。寝台の端へ、床へ、診療所の方向へ。

「動いてる」ゲイルが顔を硬くする。雫は床へ落ちる直前で止まった。空中に浮かび、俺の方へ向きを変える。水滴に目などない。それでもこちらを見ている、そう感じた。雫の表面に細い銀色の線が浮かぶ。三本、根のように広がり青い中心を囲う。白石に現れた紋章と同じものだ。

バーバラが俺を抱き寄せる。「触らないで」誰も動けなかった。青い雫はしばらく俺の前で浮かんでいた。それから突然形を崩した。水ではない、光へ変わる。細い青白い筋となり窓へ向かって伸びた。硝子を通り抜ける。外へ。村の北。森とは反対の方角へ。

「森じゃない」ゲイルが呟く。そうだ、岩清水がある森は村の西。だが雫が示したのは北。村の外れ、古い墓地と使われなくなった採石場がある方角。なぜ泉の印がそちらを指す。光はすぐに消えた。後には何も残っていない。だが俺の胸の中にある青い魔力はまだ北へ向かって揺れている。呼ばれている。いや、違う。場所を教えている。

「今のは何だったの?」バーバラが尋ねる。答えは分からない。ただ父の言葉だけは正しかった。俺たちは泉を探していない。森へ行こうともしていない。それでも泉に関わる何かが俺の身体へ印を残し、次の場所を示した。泉の方から俺を見つけた。

   ◇ ◇ ◇

その日は結局、俺は寝室から出ることを許されなかった。水を飲み、薄い粥を少し食べ、何度も眠った。目を覚ますたび胸の奥の青い魔力を確かめる。消えていない。増えてもいない。ただ一定の間隔で北へ向かうように揺れる。

夕方、ゲイルが寝室へ来た。手には布へ包まれた白石。「石を持ってきた」バーバラがすぐに顔を上げる。「ここへ持ってきても大丈夫なの?」「木箱ごと運んだ。今のところ変化はない」

ゲイルは寝台から離れた机へ木箱を置く。蓋を開ける。白石は昨日と同じ、親指ほどの小さな石。表面には青い雫と三本の銀色の根。

「朝から何度か光った」ゲイルが言う。「光るたび、印の向きが変わった。最初は森を向いていた。昼前から、少しずつ北へずれて、今は完全に北を向いてる」

紋章の銀色の根、三本のうち一番長い線が確かに北側へ伸びている。俺の胸の揺れと同じ。

「それだけじゃない」ゲイルは別の布包みを出した。中には診療所の床から拾った小さな木片、壊れた隔離箱の一部。木の表面に青い染みがある。「昼には何もなかった。ついさっき、片づけている時に気づいた」

青い染みはただの色ではない。細い線が集まり一つの形を作っている。地図。俺はそう直感した。中央に村を示す丸。西に森。北に伸びる線。そして線の先に三角形の印。採石場。村の北にある山肌を削った古い場所。今は崩落の危険があり誰も近づかない。その三角形の下に小さな文字が浮かんでいる。父の字ではない。白石の術式に使われていた古い魔術文字。

俺は形を追った。一文字、次、意味を組み立てる。『第一の根』第一。ということは他にもある。三本の銀色の根、第一、第二、第三。それぞれ別の場所へつながっている。泉は一つではない。森の岩清水は全体の一部。地中を伸びる巨大な根の先。そして村の北にある採石場には、その第一の根がある。

「何て書いてあるの?」バーバラが問う。俺は声を出そうとした。今度は掠れながらも僅かに音になった。「……ね」「根?」俺は頷く。「根があるの?」木片の三角形を指差す。「採石場に?」頷く。

バーバラはすぐに首を横へ振った。「行かないわよ」当然。俺が起き上がることさえ許していない。「少なくとも、あなたが元気になるまでは絶対に行かない」

元気になっても危険なのは変わらない。だが調べないわけにはいかない。第一の根。父の警告。泉に見つけられた俺。すべてが採石場を示している。ただし今すぐではない。準備が必要だ。父の記録、採石場の過去、白石の術式、村の古い地図。先に調べられることは多い。

「俺が採石場のことを調べる」ゲイルが言った。「昔、あそこで働いていた人間に話を聞く。地図も探す。今夜は誰も近づかせない」

頼れる。俺は小さく頷いた。

「ルーク」ゲイルが俺を見る。「今度は、お前一人で先に行くなよ」

俺は眉を寄せた。今の身体で一人で採石場へ行けるわけがない。そう言いたかったが、ゲイルは真剣だった。「身体のことじゃない。頭の中で、一人だけ先へ進むな。分かったことを隠さず話せ」

見透かされている。俺は自分が理解したことをすべて言葉にしない。幼い身体で話せない、それもある。だが誰かに説明するより自分で考えた方が早い、そう思う癖がまだ残っている。今回も父の病と泉の関係、紋章の意味、三本の根。頭の中だけで組み立てていた。一人で何とかしない、母と約束した。それは魔力を借りる時だけではない。考えることも危険も共有する。

俺は木片の地図を指差し、次に父の記録帳を書く仕草をした。「記録を調べたいのね」バーバラが言う。頷く。さらに父、胸、苦しむ仕草。母の顔が僅かに強張った。「父さんが病気になった時のこと?」俺は頷いた。

部屋が静かになる。バーバラはすぐには答えなかった。机の上にある白石へ目を向け、それから俺の顔を見る。「あなたも」母の声が低くなる。「父さんの病気と、この泉が関係していると思ってるのね」

俺だけではない。母もすでに疑っていた。バーバラはゆっくり寝台の横へ座る。「今まで、あなたには話さなかったことがある」俺は身を起こそうとした。母が背中へ枕を入れ、少しだけ身体を起こしてくれる。

「父さんが亡くなる少し前、身体に」バーバラの指が自分の胸元をなぞる。「青い線が出ていたの。血管みたいに、胸から腕へ伸びて、夜になると薄く光っていた」

俺の胸の奥で青い魔力が強く揺れた。

「父さんは、病気のせいだと言っていた。誰にも話すなって。村の人を怖がらせるだけだからって」

病気ではない。少なくとも普通の病ではない。

「それから」バーバラは言葉を続けることを迷った。だがやがて覚悟したように息を吸う。「亡くなる三日前、父さんは何度も同じことを言っていた。北へ行かせるな。根を起こすな。もし、自分が戻れなくても、子どもだけは泉に見つからせるなって」

俺の呼吸が止まる。子ども。俺。父は俺が生まれる前から、泉が俺を見つける可能性を知っていた。

「でも」バーバラの目に涙が浮かぶ。「もう、見つかってしまったのね」

否定できない。胸に残る青い魔力。浮かんだ雫。北を指す印。第一の根。すべて俺を選んで現れている。俺は父の警告を守れなかった。いや、知らされていなかった。母が悪いわけでもない。父の記録が不十分だった。それでももう起きてしまった。なら今度こそ逃げるだけでは終わらせない。何に見つけられたのか。なぜ俺なのか。第一の根とは何か。父が何を隠していたのか。調べる。ただし一人ではない。

俺はバーバラの手を取った。幼い指で強く握る。「ルーク?」俺は母、ゲイル、オリヴィア、全員を順に見た。そして木片の地図へ指を伸ばした。今度は一人で先へ行かない。皆で準備して第一の根を調べる。そう伝えようとした瞬間、白石が突然青く光った。

紋章の三本の根、そのうち一番長い線がゆっくり赤へ変わる。警告。木片の地図にある採石場の印も同じ赤へ染まった。そして村の北から地面を叩くような低い音が響いた。ごうん。一度、間を置き、もう一度。ごうん。石の奥で巨大な何かが目を覚ましたような音。

ゲイルが窓へ走る。「採石場の方だ」

白石から父とは違う声が流れた。男でも女でもない。水の中から響くような声。

『第一の根』 『接続を開始』

胸の中の青い魔力が強く北へ引かれた。まだ俺たちは何もしていない。調べにも行っていない。それなのに第一の根は、こちらから来るのを待たず、自ら動き始めていた。

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