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Ep178. 森の外へ

持ち出す。ただ水を。瓶へ入れ、家まで運ぶ。それだけのことだ。だが今回だけは意味が違う。父が森の中でしか保てなかったもの――月雫草を薬草たらしめている、目に見えない力。それを、初めて森の外へ運ぶ。もし成功すれば研究は次の段階へ進む。失敗すれば、また方法を考えればいい。分かっている。分かっているが、朝食の間、俺の視線は何度も棚の上へ向かっていた。そこには昨日試した、口の狭い瓶が置かれている。栓、蜜蝋、白い布。必要なものはすべて揃えてある。

「ルーク」 バーバラが匙を置いた。 「ちゃんと食べて」

食べている。いや、確かに手は止まっていた。

「森へ行くのは」 「朝ごはんが終わってからです」

分かっている。俺は少し冷めた粥を口へ運んだ。

「そんなに急がなくても」 「水は逃げないわよ」

昨日も同じようなことを言われた。だが、水は逃げなくても時間は逃げる。一日でも早く結果を知りたい。その考えが顔へ出ていたのだろう。バーバラは少し呆れたように笑った。

「お父さんも」 「何かを思いついた朝は」 「そんな顔をしていたわ」

また父と同じ。以前なら、誰かと似ていると言われることを嫌っただろう。俺は俺だ、他の誰とも違う――そう思っていた。今は嫌ではない。むしろ、少しだけ父へ近づけたような気がした。

   ◇ ◇ ◇

朝食を終え、出発の準備をする。今回は瓶を一本だけ持っていくわけではない。栓をして保存する瓶、開けたまま持ち帰る瓶、さらに普通の小川の水を入れる瓶。三本。比較対象が必要だ。岩清水を封じたものだけを調べても、保存が成功したかどうかは判断しにくい。開放した岩清水、普通の水――その二つと比べることで、初めて差が分かる。

バーバラは三本の瓶へ細い紐を結びつけた。一つ目は紐を一重、二つ目は二重、三つ目は三重。

「これなら中身を入れても間違えないでしょう?」

俺は頷いた。見た目が同じ瓶なら印が必要だ。今回はさらに条件が増える。

「一重が、栓をして持ち帰る岩清水」 「二重が、開けたまま持ち帰る岩清水」 「三重が、小川の水ね」

バーバラは記録帳にも同じ内容を書きつけた。

「これで大丈夫?」

俺は瓶と記録を見比べる。問題ない。そこへ入口の扉が勢いよく開いた。

「おはよう!」

トムだ。その後ろからオリヴィアも入ってくる。

「もう準備終わった?」 「まだ出発するとは言ってないわよ」バーバラは苦笑する。 「でも今日行くんだろ?」 「行きます。ただし、今日はいつも以上に慎重にね」

トムはいつになく真剣な顔で頷いた。

「瓶は俺が持つ」 「駄目よ」即答だった。 「なんで?」 「前に薬草の籠を落としたでしょう?」 「もう落とさないって!」 「そうね」バーバラは少し考えた。「では、空の瓶を一つだけ森まで持ってもらいましょう」

トムの顔が明るくなる。

「ただし、水を入れた後は私が持ちます」 「分かった」

任せないのではない。できる範囲で任せる。失敗したからと、二度と何もさせないわけではない。母らしい判断だ。前世の俺なら、一度器具を壊した助手には重要な仕事を任せなかっただろう。失敗する人間は使えない――そう切り捨てた。だが失敗したからこそ、次は気をつけられることもある。やり直す機会がなければ成長もない。

「オリヴィアには記録帳をお願いしてもいい?」 「うん」オリヴィアは胸の前で記録帳を抱えた。「絶対に濡らさない」 「そこまで緊張しなくても大丈夫よ」バーバラは笑った。

役割が決まり、俺たちは家を出た。

   ◇ ◇ ◇

村の朝はすでに動き始めていた。パン屋の煙突から白い煙が上がっている。道の向こうでは桶を抱えた女たちが井戸へ向かっている。羊の鳴き声、荷車の軋む音、誰かの笑い声。いつもの朝だ。だが俺には、少し違って見えた。

もし岩清水の力を森の外でも保てるなら、この村の診療所でも月雫草をより長く扱える。薬を必要とする者が、すぐ森へ行けない時でも備えておける。町へ運べる可能性もある。この村だけでなく、もっと遠くの患者へ届くかもしれない。まだ何も成功していない。それでも可能性を考えるだけで足取りが早くなる。

「ルーク、また先へ行こうとしてる」

オリヴィアに服の背を掴まれた。今の俺の歩幅では先へ行くどころか皆より遅い。だが気持ちだけは確かに前へ出ていたらしい。

「転んだら危ないよ」

俺は不満を込めてオリヴィアを見上げる。

「そんな顔しても駄目」

なぜ皆同じことを言う。俺は自分の足元を見た。小さな靴、短い足。仕方ない。前世の感覚では歩けないのだから。

   ◇ ◇ ◇

森へ入る。木々の間を抜け、最初に向かったのは小川だった。比較用の水を先に採る。流れの弱い場所ではなく、水が常に動いている場所――底の泥が混ざらないように、瓶を流れへ向ける。

「三重の紐の瓶ね」バーバラが確認する。

オリヴィアは記録帳を開いた。「小川の水……朝……」そこまで言って、困った顔でバーバラを見る。「何て書けばいい?」 「私が書くわ」

バーバラは瓶をトムへ預け、記録帳を受け取る。

『朝、森の東側を流れる小川より採水。水量は瓶の肩まで。採水時、濁りなし』

記録は簡潔だが、必要なことが書かれている。

「次は?」トムが尋ねる。 「岩壁へ行きます」

小川からさらに森の奥へ進む。道が細くなり、地面の湿り気が増す。月雫草が生える場所へ近づくにつれ、俺は地下を流れる魔力をより強く感じ始めた。昨日まで、意識しなければ見逃してしまうほどの流れだった。だが一度存在を知れば追うことができる。地面の下、深い場所を水と共に流れている。まるで森の血管だ。幾つもの細い流れが一つへ集まり、岩壁の周辺へ向かっている。いや、向かっているのか、そこから広がっているのか、まだ判断できない。魔力の流れを正確に調べるには、もっと広い範囲を見なければならない。今は水の保存が先だ。目的を増やしすぎるな。一度に一つずつ。

岩壁へ着くと、月雫草は変わらず花を咲かせていた。昨日二本を採った場所には短い茎が残っている。それを見たトムが少し寂しそうに言った。

「二本ともう枯れちゃったな」 「そうね」バーバラが答える。「だから採ったことを無駄にしないように、最後まで調べないといけないの」

薬草は道具ではない。実験に使えば命を一つ消費する。前世の俺は素材の損失を費用でしか考えなかった。高価か、安価か、希少か、量産できるか。だが母は、採ったことそのものへ責任を持とうとしている。これも忘れてはならない。

「まず一重の瓶からね」

栓をして蜜蝋で封じる瓶。バーバラは瓶の口を岩壁から落ちる雫へ近づけた。この場所の水は大量には流れていない。一滴、一滴。瓶へ溜めるには時間がかかる。

「ずっと持ってるの?」トムが聞く。 「交代しながらね」

岩壁の下へ瓶を固定できればいい。だが足場は不安定だ。瓶が倒れれば最初からやり直しになる。バーバラが持ち、次にオリヴィア、トムも両手で瓶を持った。

「動かすなよ」自分へ言い聞かせるように小さく呟いている。

俺はその横で瓶へ溜まる水を見ていた。雫が落ちるたび、水の中の魔力が少しずつ濃くなる――いや、濃くなるというより量が増える。一滴ごとの濃度はほぼ一定。ということは、水へ混ざる魔力は偶然入り込んでいるのではない。一定の仕組みによって供給され続けている。岩か、地層か、地下水脈か。あるいはもっと別の何か。知りたい。だがまだだ。今は保存できるかを確かめる。

やがて瓶の肩まで水が溜まった。

「ここまで?」トムが尋ねる。

俺は頷く。瓶を満杯にすれば空気へ触れる面積は小さくなる。しかし栓を差し込んだ時、水が溢れる可能性がある。肩までなら十分だ。ここからは素早さが必要になる。水を採り終えてから封をするまで、空気へ触れる時間をできるだけ短くする。

「栓」バーバラが言う。オリヴィアが布に包んでいた木栓を渡す。栓の周囲にはあらかじめ柔らかくした蜜蝋が塗られている。バーバラは瓶の口へ栓を強く押し込んだ。木栓の端から蜜蝋が少しはみ出す。その周囲をさらに蜜蝋で覆う。隙間を完全に塞ぐ。

俺は瓶の中へ意識を向けた。水の魔力はまだ残っている。封をする間にもほんの少し失われた。だが大部分は瓶の中にある。成功。少なくとも採取までは。

「できた?」オリヴィアが小声で尋ねる。 「できたわ」バーバラも声を抑えて答えた。

大声を出せば瓶が割れるわけでもない。それでも全員が自然と慎重になっている。

二本目、紐が二重の瓶へ同じ量の岩清水を入れる。こちらは栓をしない。口へ埃が入らないよう粗い布だけを被せる。空気は通す、異物だけを防ぐ。

これで三本の水が揃った。一重・封をした岩清水。二重・開放した岩清水。三重・小川の水。

バーバラが記録帳へ書き込む。

『岩清水を同量ずつ二本へ採取。一重は採取直後に木栓と蜜蝋で封止。二重は布のみをかぶせ、空気に触れる状態とする。採取時刻、環境、量に大きな差なし』

最後の一文、大きな差なし。完全に同じではない。雫を集める以上、採取の時間には僅かなずれが出る。瓶にも目に見えない差があるかもしれない。完璧な実験ではない。だが今の環境でできる最善だ。

「帰ろう」トムが言った。早く結果を見たいのだろう。俺も同じだ。

「慌てないの」バーバラは三本の瓶を厚い布で包み始めた。「持ち帰るまでが採取です」

その通り。瓶を入れた籠へ柔らかな布を詰める。瓶同士がぶつからないように、栓へ余計な力が加わらないように。さらに籠の上から布をかける。日光、温度――それらが魔力の消失へ影響する可能性もある。今はできるだけ条件を変えない方がいい。

「私が持ちます」バーバラが籠を持ち上げる。

   ◇ ◇ ◇

帰り道、全員が来た時より静かだった。トムは足元の枝を見つけるたびに先回りして除ける。オリヴィアは後ろから籠が傾いていないかを見ている。俺も何度も瓶の中の魔力へ意識を向けた。

一重・封じた瓶。魔力はほとんど変わっていない。二重・開放した瓶。こちらはすでに微かに減り始めている。森の中にいる間でも、瓶へ採った水からは力が失われる。つまり森そのものの魔力が水を外から保っているわけではない。岩の内部、地下を流れている間に何かが水へ溶け込む。そして一度外へ出た瞬間から、それは失われ始める。

新しい情報だ。父の記録にはそこまで書かれていなかった。俺は早く記録へ残したかった。だが俺にしか見えない変化を、どう伝える。今説明すれば不自然すぎる。一歳の子どもが魔力の消失を言葉で語る――あり得ない。前世の知識を知られるわけにはいかない。少なくとも今はまだ。なら、目に見える結果が出るまで待つ。月雫草が違いを示してくれる。俺が語らなくても花が証明する。

村へ戻る。家まではあと少し。その時、道の先から荷車が現れた。乾いた道を車輪が大きく跳ねる。荷台には積み上げられた薪。御者はこちらに気づき、手綱を引いた。

「悪い! 道を空けてくれ!」

道幅は狭い。バーバラは籠を胸へ抱え、道の端へ寄った。俺たちも続く。荷車が近づく。その瞬間、馬が道端の鳥へ驚いた。

「うわっ!」

馬体が横へ大きく動く。荷車の車輪が深い轍へ落ちた。がくん――地面が揺れたような大きな衝撃。バーバラの身体が僅かに傾く。籠が腕の中で滑った。

「お母さん!」オリヴィアが声を上げる。

バーバラは籠を抱え直した。落ちてはいない。だが中からかすかな音がした。こつ。瓶同士が触れた音。全身が冷える。

「大丈夫?」トムが籠を覗こうとする。 「触らないで」バーバラが止めた。

荷車を通し、道が静かになってから籠を地面へ置く。一枚ずつ布を外す。三本の瓶。割れてはいない。水も漏れていない。トムが大きく息を吐いた。「よかった……」俺も息をつく。だがまだ確認することがある。

一重の瓶。栓の周囲、蜜蝋に細い亀裂が入っていた。衝撃で表面が割れた。完全に栓まで届いているかは分からない。俺は瓶の中の魔力を見る。減っている。僅かに、だが確実に。亀裂から空気が入ったのか、あるいは衝撃そのものが魔力へ影響したのか。分からない。

せっかく条件を揃えたのに、これでは一重の瓶だけ余計な変化が加わった。実験が台無しになる。胸の奥へ苛立ちが湧く。何のためにここまで慎重に準備した。採取する量、時間、容器、封。すべて揃えたはずだった。たった一度荷車が通っただけで、俺の中に前世の感情が顔を出す。邪魔をされた、無駄になった、最初からやり直しだ。苛立ちのまま何かを叩きつけたくなる。

その時。

「記録しておきましょう」バーバラが言った。怒っていない、焦ってもいない。

「え?」トムが不安そうに母を見る。「失敗したの?」 「まだ分からないわ」バーバラは蜜蝋の亀裂を見ながら答えた。「ただ、一重の瓶だけ途中で衝撃を受けた。そのことを忘れないように書いておくの」

失敗ではなく条件の変化。結果を捨てるのではなく、何が起きたかを残す。

「帰ったら蜜蝋の上から、もう一度封をしましょう。それでも最初から何もなかった瓶と同じにはならないけれど」

そうだ。起きたことをなかったことにはできない。だがだからといって、すべてが無駄になるわけでもない。亀裂の入った状態でどれだけ力が残るのか。再び封じたあと変化が止まるのか。そこから別の情報が得られるかもしれない。予定とは違う。しかし予定外も観察すれば結果になる。

前世の俺は予定から外れた結果を嫌った。仮説に合わない数字を誤差と呼び、期待した結果が出るまで条件を変えた。だが本当に見るべきだったのは、そうした都合の悪い変化だったのかもしれない。

俺は蜜蝋の亀裂を指差した。次に記録帳を指差す。

「書くのね?」バーバラが聞く。俺は頷いた。母はその場で記録帳を開いた。

『帰路、荷車を避けた際に籠へ衝撃あり。一重の瓶を覆う蜜蝋表面に細い亀裂を確認。瓶の破損、水漏れはなし。帰宅後、再封止を行う予定』

書き終え、バーバラは俺を見た。「これで何が起きたか忘れないわ」

俺はもう一度頷いた。苛立ちはまだ少し残っている。だがそれに任せて、すべてを壊さずに済んだ。

   ◇ ◇ ◇

家へ戻ると、すぐに一重の瓶を机へ置いた。バーバラが蜜蝋を温める。亀裂の周囲へ新しい蜜蝋を重ねる。古い蜜蝋を剥がしてはいけない。剥がす間に栓が動けば、さらに空気が入る。上から覆う。柔らかい蜜蝋が細い亀裂へ入り込み、冷えて固まる。

「これでどうかしら」

俺は瓶の中へ意識を向ける。魔力の流出は止まっている。完全かどうかは時間を置かなければ分からない。だが少なくとも今は、瓶の中へ留まっている。俺は頷いた。

三本の瓶を窓から離れた棚へ並べる。直射日光を避け、温度変化の少ない場所。一重・封をした岩清水。二重・開放した岩清水。三重・小川の水。今日すぐに月雫草を入れるわけではない。一日置く、三日置く。保存した後に水の違いを比べる。そのためには明日、新しい水をまた採る必要がある。採取したばかりの岩清水を基準にするためだ。

「また明日も森?」トムが嬉しそうに聞く。 「明日は私とルークだけで行きます」バーバラが答えた。 「なんで?」 「毎日、診療所の仕事を放って全員で森へ行くわけにはいかないでしょう?」

確かに。研究だけが生活ではない。患者、薬草の整理、薬の調合、家事。やることはいくらでもある。

「トムは今日採った水を、勝手に触らないように見ていてくれる?」 「見張るの?」 「ええ、大切な仕事よ」

トムは少し考え、胸を張った。「分かった。誰にも触らせない」 「誰かが近づいたら、怒鳴るのではなく理由を説明してね」 「……分かった」

少し不満そうだ。だがこれも必要なことだ。研究の成果は自分たちだけで抱えていればいいものではない。何をしているのか、なぜ触れてはいけないのか。周囲へ説明する。

前世の俺は説明を嫌った。理解できない者へ話すだけ無駄だと決めつけていた。その結果、俺の研究は誰にも理解されず、誰にも止められなかった。もしあの時、誰かへ説明していたら。危険を共有していたら。事故は防げたのだろうか。答えは出ない。だが今度は同じことをしない。

   ◇ ◇ ◇

午後、診療所の仕事を手伝いながら、俺は何度も棚の瓶を見た。見た目に変化はない。透明な水、三本。しかし俺の目には、すでに違いが見えていた。

二重の瓶、開放した岩清水。魔力は森を出た時よりさらに薄くなっている。三重、小川の水。最初からほとんど魔力を含んでいない。そして一重、封をした岩清水。衝撃を受け一度わずかに力を失った。だが再び封をしてからは、ほとんど変化していない。蜜蝋の封は効いている。少なくとも数時間の保存には成功している。

胸が静かに高鳴る。父が何度試しても持ち帰れなかったもの。それが今、森から離れたこの家の棚に残っている。まだ半日だ。結論には早い。それでも俺は確信し始めていた。この方法なら水の力を残せる。

そしてその夜、皆が眠ったあと。封をした瓶の中で、俺は新たな変化を見つけた。魔力が、ただ残っているのではない。水の中で、ゆっくりと一つの形へ集まり始めていた。

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