Ep170. 似ている草、違う草
薬師に必要なのは、知識だけではない。迷った時に、立ち止まれる勇気だ。
◇◇◇
「みんな、そのまま動かないで」
バーバラは穏やかな声で言った。しかし、その表情は真剣だった。子どもたちも異変を感じたのだろう、誰一人として近寄らない。草原に吹く風の音だけが、やけに大きく聞こえた。
バーバラはゆっくり膝をつき、その植物を観察した。土に手をつき、顔を近づけ、まるで古い友人と対話するかのように、じっと葉の一枚一枚を見つめている。しばらくして、彼女は顔を上げた。
「よく見つけたわね、ケント」
そう言ってから、少し困ったように眉を寄せる。
「でも、これは違う植物よ」
「え?」
子どもたちが一斉に驚く。声が重なって、まるで小鳥の群れが一斉に羽ばたいたようだった。
「同じに見える!」
一番前にいた女の子が、身を乗り出しながら言った。誰の目にも、それは見慣れた熱冷ましの薬草にしか見えなかったのだろう。
「そうね。本当によく似ているもの」
バーバラは笑みを浮かべながら頷いた。決して子どもたちの驚きを笑ったりはしない。むしろ、その驚きこそが学びの入口だと知っているかのように、丁寧に相槌を打つ。
彼女は、本物の熱冷ましの薬草と、見つかった草を並べて地面に置いた。二つの草は、まるで双子のように似通っていた。葉の大きさも、色合いも、ぱっと見ただけでは区別がつかない。
「ルーク」
名前を呼ばれ、俺は顔を上げる。
「違いが分かる?」
俺はしゃがみ込み、二つの葉をじっくりと見比べた。
葉の形。大きさ。色。どれも似ている。素人目には、いや、多少知識のある者が見ても、一瞬で見分けるのは難しいだろう。
だが、よく目を凝らせば、確かに違いがあった。
葉脈だ。
本物は、中央の葉脈から左右へ均等に枝分かれしている。まるで木の幹から等間隔に伸びる枝のように、左右対称の美しさがあった。
こちらは、片側へ少し曲がっている。ほんのわずかな歪みだが、一度気づいてしまえば、もう見間違えることはない。
さらに、俺は葉を裏返してみた。
白い産毛がない。
本物の葉裏には、うっすらと白い産毛のようなものが生えている。日の光にかざすと、銀色に光って見えるほどだ。しかし、こちらの葉には、それがまったく見られなかった。
俺はその二つの違いを指差した。
「正解」
バーバラが微笑む。まるで俺の答えを待っていたかのような、満足げな声だった。
「もう一つあるわ」
彼女はそう言うと、見つかった草の茎を軽く折った。
すると、白い汁がにじみ出た。粘り気のある、乳白色の液体だった。日の光を受けて、わずかに光沢を放っている。
「この草は」
バーバラは慎重な手つきで、その茎を子どもたちに見せた。
「この汁が肌に付くとかぶれることがあるの」
「だから素手では触らない」
ケントが青ざめた。さっきまで得意げに草を見せていた顔が、みるみるうちに強張っていく。
「危なかった……」
震える声で、彼はそう呟いた。もし何も知らずに触っていたら、今頃どうなっていたか。想像しただけで、俺自身も背筋が冷たくなる。
「でも」
バーバラは、そんなケントの肩にそっと手を置いた。
「ちゃんと聞いてくれたでしょう?」
そう言って、彼女は優しく笑う。
「それが一番大事なの」
続けて、彼女は子どもたち全員の顔を見渡しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「分からない時は採らない。分からない時は食べない。分からない時は聞く」
まるで呪文のように、その三つの言葉を繰り返す。
「これだけ守れば、大きな失敗は防げるわ」
俺は静かに息を吐いた。
前世なら、こんな場面で師匠はきっとこう言っただろう。「こんな違いも分からないのか」と、呆れたように、あるいは苛立たしげに。知識を持たない者を叱ることで、覚えさせようとする教え方だった。それが当たり前だと思っていたし、実際、それで多くのことを学んできた。
だが、母は違う。
間違えそうになったことを責めない。むしろ、気づけたことを褒める。
だから、子どもたちは怖がらずに質問できる。分からないことを、分からないままにしておかない。恥ずかしがることも、萎縮することもなく、素直に「これは何?」と聞くことができる。
それがどれほど貴重なことか、俺は今になってようやく理解し始めていた。知識を教えることと、学ぶ姿勢を育てることは、似ているようでまったく違う。バーバラがやっているのは、間違いなく後者だった。
その時、バーバラは周囲をぐるりと見渡した。草原に生い茂る草花の一つ一つを、まるで確認するかのように目で追っていく。
「実はね」
彼女は、先ほどの毒草を指差しながら言った。
「この草も、ちゃんと使い道があるのよ」
「えっ?」
皆が目を丸くする。ついさっきまで「危険な草」として扱われていたものが、急に別の顔を見せたのだから、驚くのも無理はない。
「薬じゃないの?」
誰かが尋ねる。
「薬にも毒にもなるわ」
バーバラは、その茎をそっと手のひらに乗せながら答えた。
「使い方を知っていれば、だけどね」
その言葉に、俺の胸が高鳴った。
この世界には、まだ俺の知らない薬草学がある。前世で培った知識だけでは足りない、この土地ならではの植物の性質、使い方、そして人々の経験に裏打ちされた知恵が、まだまだ眠っている。
医魔術師としての本当の学びは、今、ようやく始まろうとしていた。




