Ep134. 村の診療所
診療所というものは便利だ。前世ではそう思っていた。薬が揃う。器具が揃う。患者も集まる。だがこの村には診療所がない。あるのは母の家だけだった。
◇ ◇ ◇
数日後、朝食を食べ終えた頃だった。
コンコン。扉が鳴る。
「バーバラさん、ちょっといい?」
近所のおばさんだった。左手を押さえながら立っている。
「指を切っちゃって」
母はすぐに椅子を勧めた。「座って。見せてもらえる?」
布を外す。俺も覗き込んだ。包丁だ。指先を浅く切っている。出血はしているが深くはない。縫合は不要だと分かった。
バーバラは傷を洗い、薬草をすり潰して塗り、清潔な布を巻いた。「今日は水仕事は少し控えてね。布が濡れたら取り替えて」
「ありがとう」おばさんは安心した顔で帰っていく。
だが、終わらなかった。すぐ次の客が来た。
「膝が痛くてね」
次。「咳が止まらないんだ」
次。「湿布を分けてもらえる?」
昼までに五人、午後にも四人。想像以上に忙しかった。
◇ ◇ ◇
そしてその日、俺はあることに気づいた。
母は患者ごとに、薬を出すだけではない。「ちゃんと眠れてる?」「最近畑は忙しい?」「食欲はある?」生活を聞く。家族を聞く。仕事を聞く。病気だけ診ていない。人を診ている。それは前世の俺が最後まで苦手だったことだった。
◇ ◇ ◇
夕方、ようやく最後の患者が帰った。
「ふぅ……」バーバラが肩を回す。疲れている。それでも笑顔は消えない。
俺は薬草の入った籠を持ち上げた。まだ重い。両手で抱えるのが精一杯だ。よいしょ、と棚まで運ぶ。途中で少しよろけたが、落とさなかった。
「ありがとう」バーバラが籠を受け取った。「ルークがいてくれると助かるわ」
その一言に、胸が少し熱くなる。
助手。まだ本当に小さな助手だ。だが、役に立てている。前世では人に頼られることはあっても、誰かを支える喜びをこんな形で知ることはなかった。小さな一歩、小さな手伝い。だが医術とは、案外そんな小さな積み重ねから始まるのかもしれなかった。




