Ep128. 受け継がれるもの
才能とは何だろう。
前世の俺は、知識を覚える速さ、技術を磨く速さ、そういうものだと思っていた。だが今は少し違う気がする。
◇ ◇ ◇
ある日、バーバラは朝から薬草を仕分けていた。乾燥させた葉、細かく刻んだ根、花びら。机いっぱいに並んでいる。
「今日は仕込みの日ね」
独り言のように呟きながら、手を動かしている。俺は隣へ座った。
観察を始める。
バーバラの手つきは丁寧だ。驚くほど。乾燥具合を確かめ、香りを嗅ぎ、指で砕いて状態を見る。ただ混ぜているだけではない。一枚一枚、品質を確認している。
「これは少し乾き過ぎたわね」
分ける。
「これはまだ使える」
さらに分ける。
俺は黙って見続けた。経験。知識。勘。全部が混ざっている。バーバラの手の中で、長い年月をかけて積み上げられたものが、何気ない動作として滲み出ていた。
「ルークもやる?」
薬草を一枚差し出された。俺は受け取る。
香り。色。手触り。
前世の知識と照らし合わせる。似ている。だが少し違う。世界が違う。植物も違う。同じ理屈では判断できない。だから俺は、自分の目と指先だけを頼りにして、慎重に良品の山へ置いた。
「あら」
バーバラが少し驚く。
「こっちだと思ったの?」
頷く。バーバラは薬草を持ち上げ、少し眺めて、笑った。
「正解」
ほう。
「よく分かったわね」
偶然ではない。観察した。比較した。推測した。それだけだ。
「この子、本当に見るのが好きね」
バーバラは笑った。
見る。確かに、その表現が一番近い。患者も、薬草も、村人も、俺はまず見る。そこから始める。見ることが、俺にとっての出発点だ。
前世でも、それは変わらなかった。症状を観察する。患者の顔色、呼吸の仕方、声のかすれ具合、体の強張り。問診票に書かれた文字よりも、目の前の人間が語りかけてくるものを、俺はいつも先に読もうとしていた。それが正しいやり方かどうかは分からなかったが、身体がそう動いた。
見ることへの欲求は、教わったものではなかった。生まれつきそうなのか、あるいは気づかないうちに染み込んだものなのか、今となっては判別できない。ただ確かなのは、それが俺の医術の土台になっていたということだ。
この世界に転生してからも、その習性は変わらない。むしろ、前世の知識が直接使えない分だけ、観察に頼る割合が増した。知識というのは地図のようなものだ。地形を大まかに示してくれるが、目の前の道の細部まで教えてはくれない。実際に歩いて、足裏で感じて、初めて分かることがある。
バーバラの仕事ぶりを見ていると、それをあらためて思う。
彼女が持っているのは、書物に書かれた知識だけではない。何千回と繰り返した手つき、何百種類もの薬草を触り続けた指先の記憶、失敗と成功を積み重ねた末に培われた感覚。それらが一体となって、今の彼女を作っている。
俺には、まだそれがない。
前世の医学知識はある。解剖学も、薬理学も、診断の論理も、ある程度は頭に入っている。しかしこの世界での経験は、まだ薄い。だから俺は見る。バーバラが何を見て、何を判断しているのかを、できる限り観察して、自分の中に積み上げようとしている。
◇ ◇ ◇
そのとき、玄関を叩く音がした。
「バーバラ!」
「いるかい!」
また患者だ。
バーバラは立ち上がる。疲れた様子は見せない。
「はーい」
玄関へ向かう背中を見送りながら、俺は静かに考えた。
どんな患者だろう。足を引きずる音がしたか。声のトーンに焦りがあったか。呼びかける言葉に、どれほどの切迫感が込もっていたか。無意識にそういうことを拾ってしまうのは、癖というより性分なのだろう。
バーバラはもう扉を開けて、相手と言葉を交わし始めている。声が届く。落ち着いた口調だ。急患ではないらしい。経過を見にきた誰かか、あるいは軽い相談事か。
俺は机の上に残された薬草に目を戻した。
仕分けの途中だ。バーバラが戻るまでの間、続けるべきかどうか迷って、結局手を伸ばした。一枚取り上げる。香りを確かめる。乾燥が均一ではない。端の方が少し湿っている。これはどちらに分けるべきか。
バーバラならすぐに判断するだろう。長年の経験がそうさせる。俺にはまだその積み重ねがないから、少し時間をかけて考える。湿りの程度、他の薬草との兼ね合い、最終的にどんな薬に使われるか。用途によっては、多少の状態の差は問題にならないかもしれない。
そこまで考えて、俺は手を止めた。
用途を、俺はまだ正確に把握していない。
見ることはできる。比較することもできる。だが判断するためには、その薬草が何に使われて、何を求められているかを知らなければならない。観察だけでは足りない。知識と観察が組み合わさって、初めて意味のある判断になる。
それもバーバラから学ぶことだ。
薬草を元の場所に戻しながら、俺は思った。前世の俺には、優れた師がいた。医術を教えてくれた人たちがいた。大学の教授、病院の上司、先輩医師たち。彼らから受け取ったものは大きかった。
しかし今。
俺の最初の師匠は、もしかすると、この母なのかもしれない。
台所で煮炊きをする姿、患者に向き合う声のトーン、薬草を選り分ける手つき、それらすべてが、何かを伝えようとしている。意図してかどうかは分からない。ただそこにある。俺が見ようとすれば、見えるものとして。
それは前世では、決して認められなかった事実だった。
前世の俺の母は、医者ではなかった。ごく普通の仕事をして、ごく普通に生きていた人だ。俺が医師になることを喜んでくれたが、医術そのものを教えられる立場ではなかった。師匠というのは、書物の向こうにいるか、白衣を着て廊下を歩いているかのどちらかだと、俺はずっとそう思っていた。
この世界では違う。
師匠は、毎朝隣で薬草を刻んでいる。疲れた顔も見せずに患者の声に応じ、手を止めることなく仕事を続けている。その背中の中に、俺が学ぶべきものが詰まっている。
見ることから始まる。
それが俺の才能なのかどうかは、まだ分からない。しかしもし才能というものが、速さや鋭さだけではなく、飽きずに見続けられる根気のことでもあるとしたら、俺にはひとつ、当てはまるものがある。
玄関の方から、バーバラの笑い声がした。患者も笑っている。場が和んでいる。
それもまた、技術だと俺は思った。
医術というのは、薬の調合だけではない。声のかけ方、間の取り方、相手が何を不安に思っているかを察する力。バーバラはそのすべてを持っている。書物には書かれていないものを。
俺はまた、見ることに戻る。
薬草の並んだ机を眺めながら、次にバーバラが戻ってきたとき、どんな順番で仕分けを再開するかを予測しようとした。右の山から手をつけるか、左からか。乾燥度の高いものを先に処理するか、後回しにするか。
たぶん、右から。乾燥が進んでいる方を先に確認して、使えるかどうかを判断してから、状態の良いものへ移る。効率よりも、問題のある素材を先に見極める方を優先するはずだ。それがバーバラのやり方に見えた。
当たっているかどうかは、彼女が戻れば分かる。
それを確かめることも、観察の一部だ。
俺は静かに待った。




