Ep125. 母と息子の診察
医者は万能ではない。
前世の俺は何度もそれを思い知らされた。知識があっても、技術があっても、道具がなければできないことがある。
だから、頼れる者には頼るべきだ。
そして今、頼るべき相手は母だった。
◇ ◇ ◇
「どこ!?」
オリヴィアが戻ってきた。その後ろにはバーバラ。かなり急いできたらしく、少し息が上がっている。
「犬?」
バーバラがしゃがむ。イッキは警戒した。だが逃げない。
「大丈夫よ」
母は優しく声をかけた。ゆっくり、本当にゆっくり、その手が前脚へ伸びる。イッキの身体が強張る。だが、噛まない。良い犬だ。
「本当ね」
バーバラが眉をひそめた。
「大きな棘が残ってる」
診断一致。少しだけ嬉しくなる。
「取れる?」とオリヴィアが聞く。
「取れると思う。でも痛いわね」
イッキが耳を伏せる。言葉は分からなくても、雰囲気は伝わるらしい。
「頑張ろうね」
◇ ◇ ◇
バーバラは家へ戻り、布と薬草と小さな道具を持って帰ってきた。準備が良い。
俺は観察する。完全に、医者の目で。
「トム、頭を撫でていてくれる?」
「おう」
トムがしゃがむ。ぎこちない手つきで、それでも「大丈夫だからな」と声をかける。イッキは不安そうだ。だが逃げない。信頼している。それが分かった。
バーバラが棘を掴む。
一瞬。
「キャン!」
イッキが鳴いた。子供たちがびくっとする。だが、バーバラは止まらない。優しく、だが迷いなく。
そして、長い棘が抜けた。
「うわあ……」
誰かが呟く。本当に大きかった。あれが刺さっていたのか。イッキは呆然としている。痛みが消えたことを理解できていないらしい。
バーバラが傷を洗い、薬草を塗り、布で軽く巻く。処置終了。
「これで大丈夫」
子供たちがほっと息を吐く。
◇ ◇ ◇
イッキが立ち上がった。一歩、二歩、止まる。もう一歩。前より自然だった。
「歩いてる!」
オリヴィアが叫ぶ。まだ完治ではない。だが改善している。確実に。
その時、イッキが振り返った。バーバラを見る。トムを見る。オリヴィアを見る。
最後に、俺を見た。
そして、ゆっくり近づいてくる。子供たちが静かになる。イッキは俺の前で止まり、鼻先をそっと押しつけた。
温かい。
ほんの一瞬、それから尻尾を大きく振った。初めてだった。
子供たちの歓声が上がる。
俺は何も言わなかった。言えなかった。だが、胸の奥が少しだけ熱かった。
前世で救った患者たちから感謝されたことは何度もある。それなのに、どうしてだろう。この犬の小さな仕草の方が、ずっと嬉しく感じられた。




