Ep114. 最初の一歩
人間は歩く。
当たり前のことだ。前世の俺はそう思っていた。
だが、自分で立てない期間を経験すると分かる。歩くというのは奇跡に近い。
身体を支える。重心を保つ。倒れず進む。実に高度なことだ。
◇ ◇ ◇
その日、俺は椅子に掴まっていた。最近の日課である。
「頑張れー!」
オリヴィアの声が飛ぶ。
「もう少しね」
バーバラが静かに言った。
見世物ではない。だが、二人とも本気で応援している。
俺は椅子から手を離した。
立つ。ぐらつく。踏ん張る。
以前ならここで終わりだった。だが今日は違う。
一歩、前へ。右足。続いて左足。
成功。
「え」
オリヴィアが固まった。
「えええええ!?」
うるさい。
「歩いた!バーバラさん、歩いた!」
いや。まだ二歩だ。
三歩目を出そうとして、盛大に転んだ。
どすん。
一瞬の沈黙が落ちた。
「大丈夫!?」「ルーク!」
大丈夫だ。医者だから分かる。この程度は問題ない。
しかし、抱き上げられた。頭を撫でられ、頬を擦り寄せられる。過保護である。
「すごいわ」
バーバラが笑った。目が少し潤んでいた。
「本当に大きくなったのね」
その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。
前世では、誰かが俺の成長を喜ぶことはなかった。成果は評価された。能力も認められた。だが、成長そのものを喜ばれた記憶はない。
だから、少しだけ不思議だった。二歩歩いただけだ。それなのに、こんなに嬉しそうにする。
理解はできない。だが、悪くない。
◇ ◇ ◇
その日の夕方、俺は一人で立ち上がった。
壁に手を添えて、歩く。一歩、二歩、三歩、四歩。
転ばない。
見える景色が変わる。窓の高さ、机の高さ、棚の高さ。世界が広がる。
その時、窓の外でオリヴィアが手を振った。
「ルーク!」
笑っている。
「今度は一緒に外歩こうね!」
外を、自分の足で。
胸が少し高鳴った。
ようやくここまで来た。長かった赤子の時代。守られるだけの日々。
だが、もう終わりだ。
これからは、俺自身が歩く。俺自身が見る。俺自身が選ぶ。
新しい人生の本当の始まりは、きっとここからだった。




