Ep113. 春の匂い
季節の変化というものは、数字では測れない。
前世の俺はそういう考え方が嫌いだった。気温。湿度。降水量。数値化できる。それで十分だと思っていた。
だが、今なら少し分かる。春には匂いがある。
◇ ◇ ◇
朝、窓が開いていた。柔らかな風が部屋へ入ってくる。雪の冷たさが薄れている。湿った土の匂い。若い草の匂い。まだ小さいが、確かに冬とは違った。
「暖かくなってきたわね」
バーバラが洗濯物を干しながら言う。
俺は窓際に座って外を見る。最近のお気に入りの場所だ。
村人たちが行き来する。子供たちが走る。畑の準備も始まっていた。ガルドもいる。肩はまだ気になるが、昨日よりは少し動きが良い。薬草が効いているのか、それとも偶然か。情報不足。観察継続。
◇ ◇ ◇
「ルーク!」
元気な声。オリヴィアだ。勢いよく家へ飛び込んできて、俺の手を掴んだ。
「来て!」
何だ。またユキまるか。
「すごいの!」
すごい。この少女の言うすごいも信用できない。だが、今回は少し違った。
◇ ◇ ◇
家の裏手。雪が消えた地面の、その隅に、小さな緑が顔を出していた。
「ほら!」
オリヴィアがしゃがみ込む。
「出てきた!」
芽だった。名も知らぬ植物の、小さな芽。前世なら見向きもしなかっただろう。珍しい薬草でもない。魔法植物でもない。だが、オリヴィアは本当に嬉しそうだった。
「春だね!」
その言葉に、俺は芽を見る。雪の下で生きていた。寒さに耐えていた。そして、今ようやく顔を出した。少しだけ、自分と重なった。
◇ ◇ ◇
この一年、何もしていないようで、実際には違った。身体は育った。言葉も増えた。人を知った。家族を知った。友達もできた。そして、もうすぐ歩ける。ようやく、本当の意味で世界へ出られる。
「るー」
オリヴィアが俺を見る。
「春になったらいっぱい遊ぼうね」
春になったら。夏になったら。大きくなったら。この少女はいつも未来の話をする。昔の俺は、そんな話を信じなかった。だが今は、少しだけ楽しみだった。
芽吹いたばかりの緑を見つめながら、俺は静かに思う。冬は終わった。次に来るのは成長の季節だ。そして、俺の人生もまた、新しい章へ進もうとしていた。




