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Ep100. 春まで残るだろうか

前世の俺は、未来を予測するのが得意だった。


症状から病状を読む。実験結果から失敗要因を探る。数字から確率を導き出す。未来は計算できる。そう思っていた。実際、多くの場合は正しかった。


だが、人間だけは違う。感情だけは違う。最近ようやく理解してきた。


 ◇ ◇ ◇


翌日、オリヴィアは朝から上機嫌だった。


「直った!」


開口一番それである。雪だるまの話だろう。分かっていた。


「ユキまる完全復活!」


完全復活らしい。雪だるまが。俺はまだ言葉を持たない。喃語しか出てこない口で、それでも何かを伝えようとするように、オリヴィアの顔を見つめる。彼女は俺の視線に気づいて、ぱっと顔を輝かせた。赤ちゃんに話しかけるときの、あの少し高くなった声で、「ルークも聞いてる?ユキまるね、また元気になったんだよ」と言う。


前世の記憶がある俺には、その言葉の意味が十分に分かる。だが今の俺には返す言葉がない。ただ彼女の笑顔を眺めることしかできない。それがもどかしいような、それでいて不思議と悪くないような、奇妙な感覚だった。


「今度こそ春まで残るかなあ」


その言葉に、俺は心の中で首を振った。無理だ。構造的に。気候的に。物理的に。雪だるまは春まで残らない。断言できる。この地域の平均気温の推移、積雪の融解速度、日照時間の変化。そういったデータを前世の記憶から引き出せば、答えは明白だ。「ユキまる」とやらが春を越えられる確率は、限りなくゼロに近い。


「どうかなあ」とバーバラが笑う。「難しいかもね」


正しい。極めて正しい。バーバラはいつも落ち着いている。この家の中で唯一、俺と似た温度感を持っている人間だと思う。感情に流されず、でも冷たくもなく、ちょうどいい距離感でオリヴィアに接している。彼女が育児書を読みながら眉をひそめるとき、俺はひそかに共感する。そうだ、その子はそういうことを言う子なのだ、と。


 ◇ ◇ ◇


だが、オリヴィアは気にしなかった。


「じゃあ大きくする!」


何故そうなる。


「もっと大きくすれば長持ちするもん!」


理屈としては間違っていない。熱容量は体積に比例するから、大きい雪だるまのほうが溶けにくい。だが誤差の範囲だ。春には溶ける。結局は。気温が上がれば、大きかろうと小さかろうと、雪は雪だ。


それでも彼女は楽しそうだった。未来を諦めていない。無理だと言われても、やってみようとする。その姿は、前世の俺とは正反対だ。俺なら最初に成功率を計算する。無理だと分かったら切り捨てる。効率が悪いから。時間は有限で、使える資源にも限りがある。感情で動くことは合理的ではない。そう信じていた。


だがオリヴィアは違う。結果より先に行動する。失敗するかもしれない。それでもやる。そして失敗したとき、彼女は泣くこともあるが、次の日にはまた同じように走り出している。前世の俺には理解できない思考回路だった。非効率だ。無駄が多い。けれど今は、不思議なことに、最近はその考え方が嫌いじゃなかった。


どうしてだろう、と俺はぼんやり考える。天井を眺めながら、モビールがゆっくり回るのを目で追いながら。オリヴィアの行動様式は、前世の俺の基準では評価できない。彼女は成功率を計算しない。リスクを測定しない。ただ「やりたい」という気持ちで動く。それはある意味で、俺が前世でずっと切り捨ててきたものだった。


非合理的な衝動。感情的な動機。そういうものに振り回される人間を、俺はどこか軽く見ていた。データに基づかない判断は間違いを生む。感情は思考を曇らせる。そう教わったし、そう信じていた。


でも。


オリヴィアが雪だるまを作るとき、彼女の顔には計算がない。計画もない。ただ雪が好きで、丸めることが楽しくて、できあがったものを見て嬉しい。そのシンプルさが、俺には少し眩しかった。


 ◇ ◇ ◇


バーバラが俺を抱き上げる。窓際に連れて行かれると、外の景色が広がった。庭の隅に、小ぶりな雪だるまが立っている。目のところに石が二つ。鼻には細い木の枝。昨日の夜に降った雪で、少し分厚くなっている気がした。


ユキまる。


俺はその名前を心の中で繰り返す。オリヴィアが名前をつけた存在。春には消える運命にある、ただの雪の塊。だが彼女にとっては仲間か、友人か、それに近い何からしい。崩れたと聞いて泣いた。直ったと知って喜んだ。雪が降るたびに外に出て確認する。


前世の俺は、そういう感情的な執着を理解しなかった。


いや、正確には——理解しようとしなかった。


人間の感情は複雑系だ。変数が多すぎる。予測が難しい。だから俺は感情を扱うのが苦手で、代わりに数字と向き合い続けた。患者の顔より検査値。実験の意義より再現性。人の声より統計。そのほうが楽だったし、そのほうが「正確」だと思っていた。


でも今、この体で、この目で、オリヴィアがユキまるを見る顔を見ていると、何かが違う気がしてくる。感情は非効率じゃない。感情は、人間が何かを大切にするための仕組みだ。大切にするから、崩れたら悲しい。直ったら嬉しい。そしてまた大切にしようとする。


それは非合理じゃない。それは、とても人間的な合理性だ。


 ◇ ◇ ◇


「ルークも見に来る?」


オリヴィアが聞く。もちろん、俺には行けない。歩けない。まだ立てもしない。首がやっと据わってきたくらいで、体を動かすといえば手足をばたつかせることくらいだ。赤ちゃんというのは、これほど何もできないのかと、転生してから毎日驚いている。


前世では当たり前のように立って歩いて、手を使って実験して、口で言葉を話していた。それがどれほど高度なことか、失ってみて初めて分かる。


「来年なら行けるかもね」とバーバラが笑う。「その頃には走り回ってるかもしれないわよ」


来年。


その言葉に、少しだけ想像する。


歩く自分。話す自分。雪の上を走る自分。オリヴィアと並ぶ自分。


以前なら、そんな未来はどうでもよかった。成長は手段だ。研究を再開するための。力を取り戻すための。前世でやり残したことを続けるための。それだけだった。この体で生きることに、それ以上の意味を見出していなかった。転生なんて、ただのやり直しのチャンスだ。もっと効率よく、もっと早く、もっと遠くまで。そういう発想しかなかった。


だが今は違う。


歩けるようになりたい。話せるようになりたい。誰かと並んで笑いたい。


その願いは、研究よりもずっと幼稚で、ずっと個人的で、そして、ずっと温かかった。


どこからきたのだろう、この感情は。前世の俺にはなかったものだ。いや、あったのかもしれないが、押し込めていたのかもしれない。効率のために。合理性のために。感情を持つことを、どこかで弱さだと思っていた。


でも今は違う。この小さな体の中で、俺は確かに何かを感じている。バーバラに抱かれると安心する。オリヴィアが笑うと、つられるように口元が緩む。これは反射じゃない、と思う。少なくとも、ただの神経反応ではない。


 ◇ ◇ ◇


窓の外では雪が降り続く。ユキまるは今日も立っているだろう。春には消える。たぶん間違いなく。


それでも。


もし奇跡が起きて残ったなら、それは少し面白い。


そんな風に思えるくらいには、俺も少しずつ、未来を楽しみにできる人間になっていた。前世の俺が聞いたら鼻で笑うかもしれない。何が奇跡だ、確率を計算しろ、と言うかもしれない。でも今の俺は、その笑いに少しだけ反論できる気がする。


奇跡を楽しみにすることは、無駄じゃない。


起きなくても、楽しみにした時間は確かにあった。オリヴィアがユキまるを見て笑った顔は、春が来て雪が溶けても消えない。感情は、出来事が終わっても残る。記憶になって、人を作っていく。


それを俺は、この小さな体で、少しずつ学んでいる。


バーバラがカーテンを少し引いて、庭の雪だるまをもう一度見せてくれた。白い、丸い、小さな存在。石の目が、こちらを向いている気がした。


来年の冬、俺は歩いてあそこまで行けるだろうか。オリヴィアと一緒に雪を丸めて、また新しいユキまるを作れるだろうか。今年のユキまるはいなくなっても、来年また作ればいい。それがオリヴィアの発想だろう。失ったものを嘆くより、次を作る。


悪くない考え方だ、と思った。


前世の俺なら絶対に言わなかった言葉が、今は自然に浮かぶ。それが少し、不思議で、そして悪くなかった。

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