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Ep10. 守れないという事実

力がない、という状態は。


 想像以上に、腹が立つ。


   ◇ ◇ ◇


 昼。


 外は騒がしかった。


 いつもより、人の気配が多い。


 足音。

 声。

 笑い声。


 それらが混ざり合って、落ち着かない空気を作っている。


   ◇ ◇ ◇


 俺は布の中で、それを聞いていた。


 聞くしかなかった。


 見に行くことも。

 確認することも。

 止めることもできない。


 赤子とは、そういう存在だ。


   ◇ ◇ ◇


「……バーバラさん、ちょっと」


 声。


 外から。


 近い。


   ◇ ◇ ◇


 バーバラが出ていく。


 足音でわかる。


 少しだけ重い。


 ためらいのある歩き方。


   ◇ ◇ ◇


 扉の向こうで、会話が始まる。


「最近、あまりよろしくない噂がね」


 男の声。


 落ち着いている。


 だが。


 冷たい。


   ◇ ◇ ◇


「……」


 バーバラは答えない。


 沈黙。


   ◇ ◇ ◇


「子供もいることだし、少しは慎んだ方がいいんじゃないかな」


   ◇ ◇ ◇


 ——正論だ。


   ◇ ◇ ◇


 否定はできない。


 論理的に見れば、正しい。


 子供がいる。

 周囲の目がある。

 ならば行動は制限されるべきだ。


   ◇ ◇ ◇


 だが。


   ◇ ◇ ◇


「……すみません」


 バーバラが、頭を下げた。


   ◇ ◇ ◇


 その瞬間。


 何かが、切れた。


   ◇ ◇ ◇


 ——違うだろ。


   ◇ ◇ ◇


 何が違うのかは、わからない。


 論理的に否定できる要素はない。


 むしろ正しい。


 正しいはずだ。


   ◇ ◇ ◇


 なのに。


   ◇ ◇ ◇


 腹が立った。


   ◇ ◇ ◇


 理由はわからない。


 説明もできない。


 だが。


 明確に、不快だった。


   ◇ ◇ ◇


「……ぁ」


 声が出る。


 弱い。


 届かない。


   ◇ ◇ ◇


 ——やめろ。


   ◇ ◇ ◇


 何をやめろと言いたいのか。


 相手か。

 バーバラか。

 それとも。


 この状況そのものか。


   ◇ ◇ ◇


 わからない。


   ◇ ◇ ◇


 ただ。


   ◇ ◇ ◇


 気に入らない。


   ◇ ◇ ◇


「……ちゃんと、気をつけます」


 バーバラが言う。


 従順に。


 反論もせず。


   ◇ ◇ ◇


 違う。


   ◇ ◇ ◇


 違うだろ。


   ◇ ◇ ◇


 何が違う。


 どこが違う。


 説明しろ。


   ◇ ◇ ◇


 できない。


   ◇ ◇ ◇


 言葉がない。


 力もない。


 手も足も。


 何もかも。


   ◇ ◇ ◇


 ——無力。


   ◇ ◇ ◇


 その認識が。


 遅れてやってくる。


   ◇ ◇ ◇


 俺は。


 何もできない。


   ◇ ◇ ◇


 見ているだけ。


 聞いているだけ。


 理解しきれないまま。


 ただ、そこにあるだけ。


   ◇ ◇ ◇


「……ぁ、ああああああああああああああああああああああああああ!!」


 泣いた。


 抑えられなかった。


 意図も理性も関係ない。


 ただの衝動。


   ◇ ◇ ◇


 扉の向こうで、気配が動く。


「……ああ、泣いてるね」


「ほら、ちゃんと見てあげないと」


   ◇ ◇ ◇


 足音。


 バーバラが戻ってくる。


   ◇ ◇ ◇


「ルーク、ごめんね」


 抱き上げられる。


 いつものように。


   ◇ ◇ ◇


 温かい。


   ◇ ◇ ◇


 さっきまでの会話が。


 嘘みたいに。


   ◇ ◇ ◇


 ——気に入らない。


   ◇ ◇ ◇


 何もできないことが。


 止められないことが。


 守れないことが。


   ◇ ◇ ◇


 そして。


   ◇ ◇ ◇


 それを、言葉にできない自分が。


   ◇ ◇ ◇


 何よりも。


   ◇ ◇ ◇


 腹立たしかった。


   ◇ ◇ ◇


 バーバラは、何も言わない。


 さっきのことも。


 外の声も。


 すべて。


   ◇ ◇ ◇


 なかったことのように。


   ◇ ◇ ◇


 だが。


 俺は知っている。


   ◇ ◇ ◇


 聞いてしまった。


 見てしまった。


   ◇ ◇ ◇


 消えない。


   ◇ ◇ ◇


 これは。


   ◇ ◇ ◇


 前世にはなかった感情だ。


   ◇ ◇ ◇


 怒り。


   ◇ ◇ ◇


 自分に対してではない。


 世界に対してでもない。


   ◇ ◇ ◇


 ——誰かのための怒り。


   ◇ ◇ ◇


 理解できない。


 だが。


 否定もできない。


   ◇ ◇ ◇


 俺は泣き続けた。


 意味もなく。


 理由もなく。


   ◇ ◇ ◇


 ただ。


   ◇ ◇ ◇


 止められなかった。

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