02 異世界
異世界
亜里沙を追いかけて街角を曲がったら草原に立っていた。
俺はまず自分の正気を疑う。
右手でほほを抓ってみた。
当然、痛みを伴う。
次に足元の草を実際に触ってみる。
これは『幻覚かもしれない』と思ったからだ。
けれども、草はしっかり手に感触を返してきた。
それは『牧草』といっても良いような草に感じる。
俺は、その辺を詳しくない。
けれども、牛や馬が食べているTVを見たときを思い出すからだ。
遠目に森が見えた。
さらに、俺は視線をずらして見渡していく。
すると、ちょうど森とは反対側に小屋のような物が見えた。
遥か先に、ログハウス風の構造の小屋だ。
俺は建物の存在を知って少し安心する。
とりあえず、そちらに向かう事にした。
どうやら、人間は存在するような印象だった。
だが、いくらも行かないうちにその小屋の一部が燃えている事に気付く。
多くの人が騒いでいた。
怒鳴り声や『水』と騒ぐ声が切れ切れに聞こえたからだ。
風向きの加減で声が響いてきた。
俺は、言葉が通じる事にまず安心する。
そして、その様子を歩きながら観察していた。
やがて、こちらに向かってくる『人影?』が見える。
いや、人影ではない。
その顔はトカゲだった。
相手の正体は、近付くにつれてはっきり見分けられる。
それは『怪物』といっても良かった。
全身がトカゲの怪物と言えばいい。
それが、二本足で立ってこちらに目掛けて走ってくる。
おまけに、その背後から武器を持った男達が追いかけている。
騒ぐ声は日本語だ。
トカゲ男の口には鶏と思われる羽が生えていた。
そんな怪物が俺の方に走ってくる。
俺は回れ右をして全力で逃げる事にした。
背後に聞こえる声の中に「仲間もいるぞ!」と聞こえる。
怪物と同じ方向に逃げる存在を仲間と思われたらしい。
どうやら、俺の立場はいきなり最悪の状態になった。
怪物をパスしても殺気だった人々は、何をするかわからない。
俺はとりあえず回れ右をして、森に向かって走る。
見える目標がそれしかないからだ。
しかし、怪物もどうやら森に向かっているらしい。
俺の背後に怪物の足音が聞こえていた。
俺と怪物の全力失踪による鬼ごっこだ。
それは差が縮まらないままだった。
なんとか、俺の方が先に森にたどりついた。
俺は、そのまま森の中に入り込む。
雑木林と違い森の中は閑散としていて走りやすい。
俺は一気に加速して森の奥に駆け込んだ。
背後から迫る怪物が恐ろしいかった。
しばらく走っていて気付く。
『俺ってこんなに走れた?』
自慢ではないが、俺は二百メートル競争を『長距離』と思っている。
それが、どう考えても千メートル以上を走っている。
それも、短距離速度で走って息も切らしていない。
こんなのはありえないことだ。
どうやら、俺は夢を見ているようだった。
それにしても、リアルな夢だ。
俺が森に入る前の草原の切れ目には柵があった。
俺の胸より少し高い柵だ。
俺はそれをハードルのように飛び越してきた。
考えてみれば、それもおかしなことだ。
背後から迫る怪物に追われていたにしても、信じられないジャンプ力だった。
いったい『どんな夢なのか』、そして『どうやったら現実に戻れるのか』
俺は、そんな事を考えながら、ひたすら走った。
俺は、気付くと森の中を一人で動いていた。
どうやら、背後の怪物は引き離したようだ。
周りには動く物の気配も感じられない。
しかし、今度はどちらを向いても『森の中』という感じだ。
俺は、方向も考えずに闇雲に森へ駆け込んだ。
よそ事を考えながら、足を勝手に動かしていたので距離もはっきりしない。
それで、どれぐらい入り込んだのかも判らなかった。
俺は、『そのうち夢から覚めるだろう』と考えて、気の向くままに歩く。
少なくとも入ってきた方向だけは避けた方が良い。
そのように思われたからだ。
怪物と鉢合わせでは悪夢になりそうだった。
どこまでも平面な森だ。
俺の視界は見通しが利かないままだった。
それに、周りがだんだん暗くなってきた。
このような場合、俺の感覚でひたすら真っ直ぐ歩き続ける。
下手に迷って、進路を変えるのが最悪だ。
真っ直ぐ歩いていれば、いつか森を抜けられる。
そして、ようやく水の音が聞こえる場所に出た。
俺は歩き続けて喉が渇いている。
そこで、その音を頼りに音源に向かった。
のどの渇きの前に少し小走りだ。
早くたどり着きたいもあるが、気になることもあった。
周りが最初より薄暗がりなのは『日が落ちて来たこと』と気付いた。
足元がはっきり見えない。
俺は、森から早く抜け出したい思いも重なる。
それが足を速めた理由だ。
俺の目の前が明るくなる。
明らかに、木が切れている空間が見えた。
ようやく見えた森の切れ目に向かって、俺はさらに足を速めた。
そして、森から出た俺は崖の端に思いっきり飛び出してしまう。
森を出た直後、それは開けた空間だった。
森は唐突に切れていた。
そして、切り立った崖が広がっている。
俺はその崖を飛び出した状態だ。
あわてて停まろうとしたけど手遅れだった。
手を伸ばしても掴む物も無い。
走り幅跳びの踏み切りと同様な印象で、俺は空間に躍り出た。
もちろん、着地の砂場などない。
バランスを崩した俺は、谷川めがけてダイビングだ。
もちろん、手には鞄を持っていた。
俺は足掻くように、腕を振っていた覚えがある。
そして、そのまま黒い水面に落下していった。
俺が落ちたところは、運よく水の中だ。
それも、水量が多いかなりの急流に巻き込まれた。
俺は、急流に流されながら何とか岸にたどり着く。
泳いだというより、流れにそって岸辺に打ち寄せられた。
そんな、ところだ。
意外に役立ったのは鞄で、その浮力に救われた。
雨に強い防水構造は伊達ではなかった。
俺が泳ぎ着いた場所は、谷間のせいか日が落ちるのが早い。
あたりはすでに真っ暗だった。
俺は真っ暗な中、次の行動に迷う。
周りは、暗闇でどちらへ向かえばいいのかもわからない。
下手に動けば、また水に落ちる。
俺は、とりあえず夜営の準備にはいった。
それと、濡れた服の処置だ。
この場所が安全かどうかも判らない。
脱いで乾かすのは論外だ。
俺は料理実習に使うライターを持っていることを思い出す。
水に落ちても手放さなかったお陰で鞄は未だに持っていた。
サイドポケットからライターを出すと火をつける。
わずかな光でも周りが見えた。
幸い流れの溜まり場らしく細かい木切れが落ちている。
俺はそれを集めて焚き火を作った。
水に落ちても目を覚まさない夢とは頑固な夢だ。
しかも、空腹になるのだから始末が悪い。
俺はかばんの中を漁る。
昼食のデザートにしようとしていたクッキーが見つかる。
それがずぶ濡れで六つあった。
空腹には変えられない。
一つを摘まんでみる。
濡れたクッキーを想像すればわかるだろう。
今にも崩れそうで、おいしそうに見えない。
俺は木切れの上にそれを置くと焚き火の上にそれをかざした。
せめて、食感だけでも取り戻したいと思った。
しばらくすると香ばしい臭いが漂う。
バキッ!
突然、俺の背後で物音が聞こえた。
よく見るとトカゲの大きいのが見える。
あの牧場で見たのに較べればはるかに小さなトカゲだ。
どうやら、匂いにつられてきたらしい。
近くで見れば兇暴に見えない。
それで縄張り挨拶のつもりで餌をやる気になった。
俺は焼けたクッキーを少し冷ますとトカゲの口に放り込んだ。
トカゲはおいしそうにそれを舐める。
すると、次の物を催促する。
しかし、俺も食わなければならない。
やるのはその一つだけだ。
二個目のクッキーは俺の腹にはいることになる。
それを見ている、トカゲの物欲しそうな顔が憎めなかった。
俺は『空腹は最高の調味料』というのを実感する。
ありふれたクッキーがこれほどおいしいとは思わなかった。
三つ目を木切れに乗せて焼き始める。
しかし、三つ目は俺のお腹には入らなかった。
焚き火をめがけて別の一団が迫っていたからだ。




