精霊騎士 5
エルフ族の国である〈コールランド〉に隣接している国は二つある。
南に向かえば魔族の国である〈ヴァビロニア〉。
東に向かえば人族の国である〈イクシード〉。
地図上ではそれほど遠くないとも思える二つの国とは、実際にはかなりの距離があり獣人族の国である〈トライワイト〉は転移魔法陣から直接行かない限り〈コールランド〉から魔法を使用したとしても一週間以上は必要だろう。
正確な距離や立地の情報が不十分であるクワトロクロスの地図では、どうしても脳内と一致しない出来事が起こってしまう。
その現象が起きてしまうのは異世界から来た黒谷結人だけではない。
魔法と言うものが存在しているクワトロクロスでは、常に世界が動いている。
ありとあらゆる何かが、何かの事情によって勝手に変化を遂げる。そんな話題はざらにあるのが〝魔法〟というものが存在してしまっているからなのだろう。
だからクワトロクロスの住人たちは明らかな変化にすら気付こうとはせず、何でも対応し受け入れてしまう。
「…………この辺りかな?」
何十年、何百年と暮らしていようが、常に変化していく環境を完璧に把握することは不可能に近い。
つまりエルフ族の者たちでも〈コールランド〉全域――――自然が存在するこの森林を理解することが出来ていないというわけで…………
「ここらへんから強い力を感じるんだけどなぁ」
二百年もの長い時間を過ごしてきたマクティですら〈コールランド〉の森林にて、辺りを見渡すように首を振っている。
景色は緑と茶。
流れる空気は魔力が混じっており、深呼吸するれば魔力が体へと浸透していくのが分かるほどの濃密さ。
現に探知魔法を使い続けて歩いているマクティに疲れた表情は見えず、寧ろいつも以上に元気が良く見えるほど体に新鮮さが表れている。
「おっ、こんなところにヨートンなんていたのか! 初めて知ったなぁ」
ヨートンとは家畜の一種であり、程よく油が乗ったいつでも美味しい状態の豚である。
家畜は他にもいて、代表的な動物たちはヨーブルとヨ―ケイの二種類。
一定以上の魔力の吸収を行い熟成されていくために、常に美味しい状態でいるから家畜と呼ばれている。それにもう一つ良い点として挙げるなら〝魔獣化〟しにくいことだ。
そもそも家畜と分類される三種類の生物たちに共通することは、体内に吸収できる総合魔力量に限界が存在することである。
よって、その他の生物たちと違って人類に被害を及ぼしにくいのだ。
「ボクもまだまだ〈コールランド〉のことを知らないなぁ、もう生まれてから二百年も経つのに」
歩けば発見があり、知識となる。
些細な事でもいい。数多くの情報を書き記す。
これはマクティに限ったことではない。エルフ族ならほぼ全員が所持しているであろう紙と鉛筆、そして少しでも未開の場所に行くのなら好奇心を持って進んでいく。
そうして進むこと――――――二時間が経過した。
午前の終わりに向かうころ…………大体十時を過ぎたころだろうか。
マクティは〈ヴァビロニア〉と〈コールランド〉の境界にまで足を運んでいた。
「うーん……もうそろそろだと思ったんだけどなぁ」
〝セフィロトの樹〟の中枢にある永続探知魔方陣の力場の歪み。
それが示した、最も歪みが生じた場所。〈コールランド〉辺境の地。
「この辺りは…………確か――――」
エルフ族の〝外れ者〟と言われた者であり、異端者と呼ばれている人物。
ヴァーリエ・シルバ・スクリームが密かに生活している地域の近くだったはず。
「国王と同じ髪色、精霊様に直接加護を頂いたわけでもないのに白銀の髪を持つ少女か。最近も精霊騎士たちといざこざがあったらしいし、丁度いいな……話しでも聞きに行こうかな」
場所は分かっているのだ。
探知魔法以外にも特定の人物の魔力を追って探すことだって二百年も研鑽を積んでいれば可能になる。
一度だけ街に訪れた時に、しっかりと記憶している。
「これだけ人物の魔力が少ないと追跡するのも難しいけど、幸いにもここには他の人物の魔力がない。探そうと思えばすぐに見つけられるでしょ。それに何か情報を持ってたら教えて貰おう」
微かに残っている魔力の痕跡。
つい先ほどまで、家畜を狩っていたのかもしれない。
ほんの少しだけ魔力を感じることが出来る…………
「――――――見つけた」
あとは、その痕跡を辿って行けば自ずと到着しているだろう。
辿りながら、ここまで来る途中に得た知識を整理しながら歩き始めるのだった。
辿って着いた先、そこはまるで別の世界のようだった。
深い緑の森林は変わらない、ただ尋常ではないほどの力を感じると言えばいいのだろうか。
一歩踏み込んだ瞬間、今まで自分が暮らしてきた〈コールランド〉なのかと疑うほどに体が緊張し始めたのだ。
「(こ、これが神聖魔力の…………)」
神の加護を持つ者は特別な力を授かる。
その中で最上級の授力である〈神々の加護〉、そしてその紋として〝神聖紋〟を体に刻まれる。
〈コールランド〉の国王の首元にも〝神聖紋〟が刻まれているが、今までは味方であった故に気が付かなかったのだろう。
「とんでもなく、膨大な力だ」
緊張と気まずさが体を支配しようとするなかで、ゆっくりとではあるが木々の間を歩いていく。
一瞬だけ太陽の光が遮られるほど覆われており「ここ先は別の世界だぞ」と言われているようで、ますます体は引き返そうとする。
だが、声が聞こえて来た。
「魔力が乱れてるぞ」
「うっ…………難しいんだって、もうちょっと集中させてくれよ」
「さっきの私の話で集中力が切れたんじゃないのか? 出来ないなら今日は休んでいいんだぞ?」
「いや、今日でコツは掴んでおきたい。これを覚えなきゃ先に進まないんだしな」
聞く限りでは魔力循環の修行をしている様子だ。
身体中に魔力を循環させ、その間は生命体としての次元を凌駕するといった基本的な身体強化の魔法。
「――――――誰かいるな? 出入り口」
「え?」
基本的な身体強化魔法すらもまとも使えないのにも関わらず、距離が離れてるマクティの正確な位置を推測し殺意が込められた強烈な視線を向ける結人だったが、
「ん? その声……確か、あの時のエルフの男か?」
思わず出してしまったのだろうか、先ほど聞き覚えがあった声音がすると優しい口調になった。
周囲を圧縮させるようにも似た窮屈さを感じるほどの恐怖と殺気に体…………というよりも、生命体として一瞬行動が出来なくなってしまったマクティは、最後の一歩が踏み出せなくなってしまった。
「あ、あぁ……本当にさっきぶりだね?」
辛うじて出たのは震えそうになった声だけ。
「どうしたんだよ、もうバレバレなんだからこっちに来たら?」
だが、本能と理性……そのどちらもが言っている。
一歩踏み出した先には――――――〝神域〟があるぞ
長寿という一種の特殊な力を持っていはいるものの、力を最初から持っているわけではない。寧ろ、他の種族よりも体格では劣っているし、病弱だ。
長い、途轍もなく長い時間を費やいてようやく人族と同じくらいの免疫を得る。
脳みそが溜め込める上限まで知識を見つけてようやく魔族以外の種族と肩を並べられる。
身体が一切動かなくなるまで動き続け、鍛え抜くからこそ獣人族以外の種族よりも成長できる。
ただ他の種族よりも持っている力が違く、長寿というものを有効に活用することで誰よりも多くの研鑽を己に積み上げる事が出来る。
だからこそ強く、賢く、次第には何でも出来てしまうようになっていくのがエルフ族というものだ。
だが、この先はまるで別だった。
強く純粋な光が二つ。
片方は既に味わった限りなく〝力〟という原理に近い輝き。
もう片方は、まるで幼い頃から常に感じていたかのような体が勝手に受け入れてしまいそうになる安心感のある輝き。
心の輝きによって相手のことが大体理解出来てしまうエルフ族だからだろうか。
その安心感が恐ろしくて堪らない。
身体の中を循環し、全てを把握していくよう溶けていく光が、恐ろしくて仕方がない。
「(よく、皆はこの場所に来ても平気な顔をしていたもんだよ……)」
そしてマクティは一歩踏み出す。
結人の声に引かれるように。
その不思議な安心感に委ねるように。
「おう、さっきぶりだな」
優しい笑みで手を挙げて歓迎してくれる結人、先ほどの強制召喚魔法のことなど気にも留めていない様子で平然としている。
そして問題は――――――
「マ、マクティ?」
記憶にない少女に自分の名前を呼ばれたことだった。
「はぁ?」
「マクティじゃないかっ、随分と久しぶりだな!」
「え、知り合いなのか?」
「あぁ!」「いや、ボクは君を知らないよ?」
微かに被った声音に三人とも目を見開いたまま、一瞬の無音が鳴った。
そして三拍子くらいだろう、時が止まったかのように静かな空間を最初に切り裂いたのはマクティであった。
「君に会うのは初めてなはずだよ? ボクは精霊騎士団の第一席に座る組長だ、ボクのことを知っている人は沢山いるけど……君は――――――何十年も街に来ていないだろう?」
「な、何を言ってるんだ? マクティ…………。エルフにとっての二十年なんてほんの少しだろう?」
「二十年? それは君の生まれた時から数えた時間かい? ボクはね君のことを情報でしか知らない。白銀の髪を持つエルフの異端児、〈ヴァビロニア〉との辺境に住んでいる……そのくらいしか知らないんだよ。そんな急に馴れ馴れしくされても困るのはお互い様だよ?」
この違和感のある距離感。
そして染み渡るような〝優しさ〟と〝馴染みやすさ〟に気を許してしまわないようにと、マクティは気を張った状態で会話している。
そのために普段同族に使わない非常に冷たい対応になってしまっている。
まるで――――何かから身を護っているように
「し、知らない? 確かに私は髪の色が変わったが…………二十年前の〝天災〟の時に私は父とマクティに助けられて――――――」
「少し、何を言ってるのか分からないな」
強い言葉でヴァーリエの言葉を遮る。
正直、少しだけ体に緊張が走った。
何も知らないからこそ、ただ黙って見守っているからこそ、結人が浴びている客観的な歪さというものは凄まじいもものだった。
「マクティ?」
「ボクは確かに天災を味わっている。他種族との交流の末に成長を遂げた〝セフィロトの樹〟の大地震でね。でも、その時に見送ったのは君じゃない――――ボクの妹だ」




