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花七宝の影法師~天下ノ執事の弟、南北朝の世で奮闘す~  作者: 夕月日暮
第5章「治天の秋」
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第251話「院というかいぬというか(伍)」

 暗がりの京の路。

 目前にいるのは、当代随一の武将として雷鳴を轟かせた土岐とき頼遠よりとお

 その事実に、公重きんしげは身震いした。


 武者震いというやつではない。

 シンプルに、恐怖から来る震えである。

 周囲にいる院の従者たちも、皆相手の正体に気づいて慄いていた。


「物騒だな。そんなものを向けられては、こちらとしても応じるしかなくなるが――」


 公重が抜いていた刀を見据えて、頼遠が静かに告げる。

 口調は穏やかだったが、口にしていることは紛うことなく脅しだった。


 しかし、公重側にも面子がある。

 武士ほど強烈ではないが、他の人々にとっても面子は守らねばならないものだった。

 特に、治天の君である主君をコケにされて引き下がることはできない。


「その者は、先ほど院に対する悪言を吐き捨てた。頼遠殿はともかくとして、その者をこのまま帰すわけにはいかん」

「ほう。そうなのか?」


 白々しく頼遠が自らの郎党に問いかける。

 この郎党が独断であのようなことを口にしたなら、頼遠とて黙っていないはずだ。

 咎めようともせずゆるりと確認しようとしている辺り、先ほどの悪言は頼遠による仕込みと見て間違いないだろう。


 その証拠に、郎党は悪びれた風もなく「事実を述べたのみでございます」と答えた。


足利あしかがのおかげで天下の主になれたというお立場ながら、慎みを知らず天下を我が物顔で差配している。そう言っただけです」

「ふむ」


 自らの顎を撫でながら、頼遠は小さく頷いた。


「いかんな」


 その一言に、場の空気が張り詰める。

 まさか頼遠から否定されるとは思っていなかったのか、郎党の表情も凍り付いていた。


「え、でも」

「――いくら事実とは言えど、口にして良いことと悪いことがある」


 郎党が抗弁しようとしたところに、頼遠が言葉を被せた。

 頼遠の言葉は挑発のようにも聞こえるし、郎党を諫めているようにも聞こえる。

 ただ、少なくともこちらに対して好意的な姿勢ではない。


「だがな、公重卿。私としては、こいつの身柄を引き渡すわけにはいかない」

「なぜ?」

「なるほど、こいつは良くないことをした。しかし、郎党を罰するのは主であるこちらの役割だ。いかに院や公重卿と言えど、その命に大人しく従って郎党を差し出したとなると、土岐頼遠の名に泥がつく」


 方便だ。

 頼遠がこの郎党を罰する保証など、どこにもない。

 頼遠自身も院に対する侮辱と取れる言葉を口にしている。

 信用できるはずがなかった。


「すまないが、信用できない。なんなら頼遠殿の発言も、院への侮辱と受け取れる。その郎党だけの話ではなくなってきた」


 そう口にしてから、公重はざわざわとした悪寒を感じ始めた。

 この流れは、頼遠に誘導されたものではないか。ふと、そんなことを思ったのだ。


「なんだ。私にまで喧嘩を売るというのか。兄を売っただけの男が、大きくなったものだ」


 まずい流れだ。

 そう理解していながらも、公重はその挑発を受け流すことができなかった。


「頼遠殿」

「なんだ。今まで散々言われてきただろう。面と向かって言われるのは初めてか」


 よく知りもしない者たちからの言葉は、公重に響かなかった。

 だが、頼遠からの言葉となると話は違う。


「売ったわけではない。止めようとしただけだ。ああいう結果になるとは思っていなかった」

「それで吉野よしの院に媚を売り、吉野院が没落したら今度は院か。大した忠節だ」

「私は朝廷の臣だ。そのときの帝や院に忠誠を尽くして何が悪い」


 公重が吼える。

 それは、今まで散々積み重なってきた自身への陰口に対する本音だった。


 しかし、それを聞いた頼遠は憐れむような視線を向けてくる。


「公重卿。そなたはあの事件についてどこまで把握している。不審に思うことはなかったのか」

「なにが言いたい」

「あの事件は、そもそも公宗卿が主導で企んでいたものなのかどうか、ということだ」


 世間では、あの後醍醐ごだいご暗殺未遂の主犯は西園寺さいおんじ公宗きんむねということになっている。

 北条ほうじょう泰家やすいえ――恵清えしょうも共犯として名前が挙げられることがあるものの、主犯は公宗とされている。


「そなたの知っている西園寺公宗という男は、そこまで考えなしで動く男だったと思うか。吉野院を弑した後のことを考えず挙に及ぶような男だったか。――私は、そこに強烈な違和感を覚えざるを得ない」

「頼遠殿。それは」

「相談しなかったのか。そもそも、本当に発案者は公宗卿だったのか。あの状況下で、あんな危険な計画を立てようとする立場の者がいなかったのかどうか」


 頼遠の言葉に、少しずつ熱が宿っていく。


「あの頃、院の姉君である珣子たまこ様が吉野院の后になったことで、持明院じみょういん統は吉野院の外戚という立場にあった。珣子様の母君が西園寺家出身の広義門院こうぎもんいん様だったから、西園寺家が外戚であるかのようにも言われていた。だが、公重卿。実際のところ、外戚といえるほど西園寺家は吉野院に対して影響力を行使できそうだったか?」


 当時は当主ではなかったから分からないことが多い。

 ただ、珣子内親王が后になっても劇的な変化があったわけではない。

 珣子内親王の中宮大夫として公宗が選ばれたというくらいである。


「皇子が生まれていないのだから、外戚云々を論ずるのは無意味だ」

「それはそうだ。だが、仮に皇子が生まれていたとしてそこまであれこれと口を出せそうだったか。同じような立ち位置で持明院統がいるというのに、それを押しのけて影響力を行使できそうだったか?」


 政に興味を持たない皇族であれば、皇子誕生後に公宗が上手く立ち回ることで西園寺家の力を取り戻すこともできただろう。

 だが、持明院統は違う。光厳こうごん院にしてもその父である後伏見ごふしみ院にしても、京極きょうごく派の影響を受けたからか、旧弊を打破しようという意欲を持っていた。


「逆に、持明院統からすると西園寺家というのは脅威だ。半ば身内なうえに、珣子様が皇子を生んだ後の展開次第では勢いを取り戻すかもしれない。己の手で政を主導したいと考えていたなら、邪魔だったとも言える」

「珣子様が御産みになられたのは皇女だ。皇子ではない。その話は、する意味がない」


 たまりかねた公重は、遮るように言葉を発した。

 頼遠はその様子を見て、得心したように「ふむ」と頷いた。


「その様子。公重卿も、やはり考えたことはあると見えるな」

「黙れ」

「吉野院暗殺事件。もし成功すれば皇位を取り戻せるし、失敗しても西園寺家の力を削ぐことができる。持明院統にとっては、どちらに転んでも得しかない」

「――黙れと言っている!」


 公重は、抜いた刀の切っ先を頼遠に向けた。


「まるで犬だな。兄を裏切り時の権力者に尻尾を振る。天下の主が変われば、それが自らの家を陥れようとした相手であっても尻尾を振る。これ忠犬と言うべきか、駄犬と言うべきか」

「証拠もなにもない。お前の言っていることは、すべてが憶測でしかない」

「だったらなんだ。私はこの推測に確信を持っている」


 どかれよ、と頼遠は言った。


「用があるのはそなたではない。その先にいる者だ。大人しくどくなら、そなたは見逃してやる」

「聞けぬ要求だ。例えお前が相手だとしてもどくわけにはいかん。今の私が忠誠を尽くすべきは――院なのだ」


 絞りだすような公重の言葉に、頼遠は深いため息をついた。


「院というか。犬になるというか。あの頃は、もはや去ぬということか」


 それは、ひどく虚しそうな、悲しそうな声だった。

 これまで悪言を重ねてきた男のものとは思えない。


 しかし、それは一瞬のことだった。

 すぐさま、公重が肌で感じるほどの殺気が周囲に充満する。


 北畠きたばたけの大軍相手に青野原で戦い抜いた武人・土岐頼遠が放つ殺気だった。


「――ならば射るしかないな」

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