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バイオリンの恋人  作者: ひとみんみん


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13/15

13.許し

よく分からない思春期にありがちな心の動き。

振り上げたカッターに体が硬直する。


「薫子さん!」


秋人さんが私を庇うように覆いかぶさって抱きしめた。

視界は全て秋人さんの制服の生地で暗くなる。


「だめー!」


桜さんの大きな声がした。

どさっ、と大きな音がした。


「なっちゃん! ダメ!」

「そんな桜。なんで桜が止めるの? だって桜の幸せはこの人さえいなくなれば」

「私は薫子さんがいなくたってだめだよ」

「そんな事ない」


桜さんと菜月さんが言い争っている声がする。

秋人さんの抱きしめる力が緩んだ。

秋人さんも2人を振り返る。


カッターを桜さんが素手で握っていた。

手から血が流れている。


桜さんは、カランと床にカッターを落としてすぐさま足で踏んだ。


「どうしよう。ごめん、桜。桜の手。早く保健室行かないと」


菜月さんが気づいたのか、途端に釣り上げていた目をオロオロと彷徨わせる。


「違うよ、天上さんに謝って」


そんな菜月さんに桜さんが首を振った。

怒っている。

明らかに怒っている顔に菜月さんが戸惑う。

戸惑ったまま私に謝らない菜月さんに、桜さんがため息をついた。


「天上さん、ごめんなさい。私の友達がこんな事して。なっちゃんは、私の事をいつも真剣に考えすぎなの。いつも止めきれてない私が悪い。警察でもどこでも私が行く」


90度以上に腰を曲げて桜さんが私に頭を下げた。

私はなんとも言えない気持ちになる。

秋人さんはそんな桜さんを厳しい目で見ていた。


それはそうだろう。

学校内で傷害事件だ。


逆に言えば、カッターと菜月さんの非力では傷害事件くらいしか起こせないだろう。

男の秋人さんもいる。

桜さんが派手に止めなくても何もできないで終わったかもしれない。


私はクラスメイトに刃物を向けられても、そんな風に冷静に分析していた。

いや、ふと見ると指先がガタガタと震えている。

私は冷たい人間だと思っていたけれど、人並みに動揺するのか。


「もちろんだね。先生に警察に連絡してもらお………」

「ちょっと待って。私はそんな事では許さないわ」


秋人さんが冷静に言うのを、途中で遮った。


「私も秋人さんもクラスメイトとそんな事件を起こしたと両親に知られれば面倒な事になるわ」


私は秋人さんの前にでて、意図的に高圧的な視線を作る。長いうっとおしい髪を後ろに払った。


そう、これが両親に知られたら、やっぱり庶民の学校は危険だとそれ見たことかと転校させられるだろう。


「薫子さん、もうそういう事を言っている段階では」


秋人さんの言っていることもわかる。

菜月さんは明らかに私を傷つけようとしていた。

もう、普通のクラスメイトとしては過ごせない。


「もっと頭を擦り付けて、丁寧に謝罪しなさい。あなたの友達が私を傷つけようとしたの」


桜さんの下げた頭にそう命令すると、素直に床に這いつくばって頭を擦り付ける。

依然として、桜さんの手からは血が流れていて心配になるが、その気持ちをぐっと抑える。


「だめ、桜。ごめんなさい! 桜は悪くない。悪いのは私」


菜月さんが桜さんの頭を上げさせようと必死になる。

今更になって、ボロボロと涙を流しながら私に向かって謝ってくる。


「悪いのは誰?」


菜月さんを無視して、桜さんに問いかける。


「悪いのはそんな友人を抑えきれなかった私です。何度も天上さんに噛み付いているのに、ちゃんとした対策を取りませんでした」


「そうね」


私はフフッと悪そうに見えるように笑った。


「違う。違うよ! 桜じゃないの! ごめんなさいごめんなさい!


菜月さんの泣き声がうるさい。

そんな風になるぐらいなら、なんで桜さんの品位を貶めるような事を繰り返してきたのかしら。


「桜さん。黙らせて」


うるさいので桜さんに命じると、桜さんはすごい形相で顔を上げて、菜月さんの口を塞いだ。


桜さんの手が菜月さんの頰に口に食い込んでいる。

菜月さんは凍りついたように黙った。

涙を流し、フーフーと息が荒いが黙るべきと思ったようだ。

目を血走らせて私を睨んでいる。


「それでどうするの? 私のライバル、桜さん」


私が微笑んで問いかけると、桜さんは菜月さんを抑えたまま少し目を閉じて考えた。


「先生に言って無理にでもクラスを変えてもらいます。そして、バイオリン以外では天上さんに従って、何でも天上さんのいう事を聞きます」


『私のライバル』という私の言葉の意味を桜さんは正確に汲み取ったようだ。

私は満足して頷いた。


「私はあなたの友人に斬りかかられてとても驚いたわ。菜月さんをお仕置きして」


私の指示に、桜さんがためらいなく頷いた。


パアン! と派手な音がして桜さんが菜月さんの頰を叩いた。


血が流れている手で叩いたから、辺りに血が飛び散る。

5〜6回は菜月さんの頰が叩かれる。

菜月さんはその間痛みを感じないように呆然としていた。


私は内心、そこまで叩かなくてもと思いつつ、それでも高圧的に見えるように再度頷いた。


「いいわ、許します。私、とても優しいの。あなたたちとは違うのよ。そんな才能に嫉妬してどうにかなってしまうような野蛮な人達ではないわ」


まあ、桜さんの才能に嫉妬していた私がいう事ではないのだけれど、締まりがつかない。


「ありがとうございます」


桜さんが頭を下げると共に、菜月さんの頭をすごい勢いで掴んで下げさせた。


「………ぁりがとうござい………ます」


菜月さんが蚊の鳴くような声で、桜さんとお礼を言う。


菜月さんも分かったのだろう。

自分が問題を起こすと、桜さんが大変な事になるという事がようやく。


「見苦しいから、ちゃんと病院にいって治してもらうのよ」

「はい」

「行っていいわ」

「失礼します」


桜さんは深く頭を下げつつ、菜月さんの手を掴んで去っていた。


私はハッと我に返って、秋人さんを振り返る。


秋人さんは困ったように微笑んでいた。


「ごめんね、役に立てなくて」


私はそんな秋人さんにブンブンと首を振る。


「見苦しいところをお見せしてごめんなさい」

「ううん、そうだった。薫子さんの親御さんたち、この事件を知ったら転校だよね」

「そう、そうなんです。ですから!」


冷静になって見て、自分のした事を振り返って真っ赤になる。

もっと上手い事収められなかったのか。

なんでこんな女王様風に振舞ってしまったのか。

いや、とっさに菜月さんに分かってもらうには、と。


あわあわする私を、秋人さんがギュッと抱きしめた。

どことなく甘い秋人さんの匂いに包まれる。


「薫子さん、好きだよ。頼りない僕だけど側に居させて」


すると、ドキドキしながらもスッと頭が冷えてくる。

頼りなくはない。

こんな騒動を見ながらも、まだ私を好きと言ってくれるのだから。


「私も好きです。秋人さん。こんな勝手で冷たい女ですが、できるかぎり秋人さんの妻として頑張りますからどうぞよろしく」

「うん。ありがとう。何度も言うけれど、僕も好きだよ。薫子さんは薫子さんの好きなように」


私たちはしばらく練習室で抱きしめ合って居た。


大人の世界はそんなに甘くないだろう。

今のことだって、子供の世界だからこそできた事だと思う。


もちろん、私もバイオリンだけして居られないのは分かっている。

わかりたくないけれど。


いずれは私も、秋人さんを支えなくてはならない。

分かっている。

一方的に秋人さんの好意に甘えていられない。


だけど、だけど今だけは。

高校生で、恋人との関係も良好で、時にはクラスメイトと喧嘩もする。


バイオリンに全力を尽くせる。


そんな、そんな時間を今だけは。

思春期には友達のために全力を尽くしたり、問題起こしたり、許したり許されたり。

趣味に打ち込んだり。


でも、薫子さんだってあんなに色々悩んだけれどやっぱりバイオリンだけと言うのはダメだと分かっている。

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