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親友の距離感って僕には面倒臭い。  作者: 殿と殿


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 湿った葉っぱを二枚重ねて磨り潰した面を足首に押し当てながら、白いハンカチを裂いて包帯として巻いていく。手際よく処置していく少女を感心した様子で眺めた青年は、お礼を言ってズボンの裾を下ろした。

 

 突然の豪雨が視界を奪った夕方時。

 ポッカリと空いた空洞を運良く見つけて雨から逃れた2人は、狭い入口と激しさを増す水飛沫に動きを制限された事に肩を落とし、濡れたコートの重みに耐えながらあまりの寒さに歯を打ち鳴らした。


 「雨も凌げるし足もジェノのお陰で痛みが和らいだ。ついているよ俺たちは、きっと大丈夫」

 

 口数の少ない少女を気遣うように覗き込む青年は風が当たらない奥へと手を引き、手頃な岩へと腰を下ろす。廃病院から遠く離れた崖下で怪我して身動き出来ないにも関わらず、微笑んで他人を気遣える優しさと強さにジェノは感心せざるおえなかった。


 今から20分前。

 雨が降り始めた当初は『魔法』でロッツを宙に浮かし、廃病院まで運んで行こうかとも考えた。

 しかし現在の技量では歩くよりも遅い速度でしか進む事が出来ず、急激に強まる雨の中長時間彼を晒すのは気が引ける。小雨程度なら大きめの葉っぱを傘状にして守れるが、1分程で豪雨と化した天候に帰宅を断念。

 

 何処かで雨宿りをしなくてはと急いで探し回り、幸運にも身を隠せる洞穴を発見して手持ちの薬草で簡単な処置を施す事が出来た。

 運が良いのか悪いのか、ロッツの言うように気の持ちようで状況は明るくなるものだと感じ、ジェノは余計な心配を掛けないよう笑顔を向けた。


 「局地的な豪雨が降るかもと執事から告げられてはいたんだが、予定では19時頃だったんだ。3時間もズレたのは山の天気が変わりやすい為だろう。ジェノ、寒くはないか?」


 白く濁る息に湿った髪を見れば寒くないわけがないのだが、平気だと頷いて陽が遮られ薄暗い洞穴をジェノは見渡した。雨を遮るように入口の土が盛り上がっている為水が流れ込まない作りとなっているが、中はひんやりと冷え切り湿った土に砂利が混じった地面が広がる。

 暗がりの隅に更に奥へと伸びる穴らしきものも存在し、洞穴ではなく洞窟なのかなと冷えた膝を摩った。


 「へぇ、じゃあ2月に学園に入るんだな。今から楽しみか?」


 「うん。学園って通った事ないし戸惑うだろうけどワクワクしてるよ。ロッツって何年生?僕は2年生からの編入なんだって」


 「現在2年生で休学届け出して此処へ来てる。ジェノが入ってくる頃には3年生になってるな」


 凍えそうな寒さや不安を掻き消そうと他愛のない会話を振り、近くに居る存在を確かめて安心感を得る。

 色々聞いてみると今後通う予定の『ジャスクロックス校』の経済学科の2年生で、常にトップクラスの成績を収め校内イベントにも貢献してきたらしい。モチベーションの高いロッツは、母親が『少し休んだらどう?』と心配する程真面目な好青年だった。


 「どんな学園なのかな?凄い大きいって噂だよね」

 

 「一つの島を丸々買い取って建設した大陸最大の学園だよ。学園のみならず周りにレジャー施設や飲食店、ちょっとした街なんかもある。勿論生徒と教職員しかいないよ」


 「島に学園と街を態々造ったの!?貴族でも授業料が高額過ぎて二の足を踏むって聞いたけど、僕大丈夫かなぁ」


 膨大な学科数と最新鋭の設備が売りのジャスクロックス学園は中等部から大学までのエスカレーター式で、8年前に設立されたまだ新設の学園なのである。

 月毎に何かしらのイベントも開催されている世界的に見ても珍しいこの学園は、初めてスポーツの専門や魔法学科を導入した事で注目され、別大陸からも通いたがる希望者が毎年後を絶たない程の人気なのだとか。


 「授業料よりも入試試験の方が難関でな。多くの貴族が振い落された際、悔し紛れに授業料が高いから他の学校にしたと言い振ふらしているだけだ」

 

 途中からの編入はテスト問題は入試よりも格段に難しく合格基準も厳しくなる為、「優秀なんだな」と感心されたジェノは途端に青褪め、目を白黒させた。


 いやいやいや待ってくれ、僕テストなんて受けてないぞ?あれ、もう編入が決まってるって言われてるんだれど・・・いつテスト受けたんだ?これから受けなくちゃいけないの!?

 急に顔を強ばらせたジェノに学科を尋ねたロッツは、魔法を使えると聞き驚きに目を見開いた。


 「魔法学科は魔力検査のみでテストは無いんだ。一定の数値を検出すれば合格で、どんな能力か見せなくてもいいと聞く」


 「えっ、簡単すぎない?他は大変な思いして皆勉強するのに、そんなもんでいいの?」


 「簡単も何も魔力が有るか無いかで天と地程の差があるからな。多少の勉強や技術は努力で補えるが、魔力は生まれついての天性のモノ。絶対に埋まる事のない個性だから」


 魔力を持って生まれる人間は極少なく、それだけで授業を受けられる立派な資格になるのだと言う。魔法学科が求めるものは学力ではなく、純粋な『魔力』のみという話にジェノは納得した。

 未だ能力が発動していなくても学園がサポートし、徐々に使えるようになればいい。多くの貴族がいる他の学科とは違い、魔力保持者が貧乏な家の者でも通えるように学費がほぼ無料に近いと知って、ジェノは明らかな待遇の違いに驚く。

 

 それほどまでにヴェジニア国では特別扱いされ珍しい存在という事なのだが、魔力持ちの多いモーズリスト家に慣れすぎていたジェノは世界の常識が判らない。

 ジャスクロックス学園を模範にして他国の学校も魔法学科を新設しだしたが、大掛かりな施設や有能な講師陣を確保出来ずに四苦八苦しているそうだ。

 

 「あのさ、学園内で役職とかあるのかな?父親が生徒会とかは目立って注目度抜群だって言ってたんだ」


 「あぁそうだな・・・徐々に色々な役職が増えていて、その中でも生徒会は中心的な役割だが・・・」


 少し答えづらそうに語尾を濁したロッツに視線を向けるが、薄暗い洞窟では顔色まで窺う事は叶わなかった。横長に開いた入口から漏れる灰色の光がなければ真っ暗闇と化し、心細い事この上ない。


 「ジェノは・・・完璧じゃなくてもいいって言っただろ?」


 「ん?」


 此処に来るまでの森での会話を思い返し、そういえばそんな事言ったっけかなと曖昧に頷いた。

 ジェノは偉そうに色々喋っているが、基本的にメロスの受け入りだったり使用人達の言葉を覚えているだけで、彼らの影響を大きく受けているだけだ。

 重々しく溜息を付いたロッツに、何か気に障る事言っただろうかと頬を掻く。


 「俺は、な。トイス家として立派な人間になるよう厳しく育てられてきた」


 「うん」


 「親や周りの重圧は相当なものだったが、別段それを苦に感じた事はなかった」


 それは凄いな。

 ゴッデス曰く、トイス家は大国のヴェジニアにあって名家の家柄だ。普通の貴族とは比べ物にならない財力と地位を約束されている代わりに、多くのプレッシャーと責任が彼には一生付きまとう。自由な家で育てられたジェノでは想像つかない程の厳しい教育と、代々積み重ねられた仕来りで縛られ続けてきたはずだ。


 「跡取りとしてのプレッシャーも人を従える事も、俺にとっては生まれた瞬間から当たり前の日常だったからな」


 何時間も繰り返される勉強も習い事も、真面目に取り組んできた彼は泣き言一つ言わずに熟し、厳格な父親の『他者の上に立て』という言葉に疑問を抱かず生きてきた。

 元々出来が良かったロッツは言いつけ通りに成績もトップを取り続け、スポーツも剣術も優秀な息子となる。常に人から羨む視線を向けられる自分を当然の様に思っていたが、だからといって驕る事もなくトイス家の名に恥じぬ振舞いを心掛けていた。

 

 

 此処で他の貴族と並んだ際に皆の目を引く理由は整ったルックスだけではなく、洗練された立ち振舞いや自然と付き従ってしまう独特の雰囲気が原因だろう。

 若人ながら意識せずにその域に到達した彼の並外れた努力に想いを馳せ、よくスレずにここまで好青年に成長したものだとジェノは唸る。


 

 「三ヶ月前だが生徒会選挙があってな。会長を全校生徒の投票で決めるというものだったんが・・・俺は他者からの推薦で立候補する形となった」

 

 ロッツ自身が望んだわけではないが、選出されてしまったものは仕方がないとやる気を出し、選挙活動を行ったそうだ。投票の一か月前の時点で30人いる他の候補者を抑えて断トツの第一位。家柄も本人の能力も秀でており、誰が見てもロッツ・トイスで決まりだと思われた。

 しかし――


 「投票一週間前の期末テストで、2位をとったんだ」


 「学年2位って事?凄いじゃん」


 「入学以来、1位以外とった事がないんだ」


 うっわ、マジで?ジャスクロックス校って名門で難易度高いんだよな。ずっと1位だったっておかしくないか!?

 世の中には本当の天才がいるとよく理解しているジェノは、努力をしてきたという青年を心底褒めてあげたくなった。


 「別に調子が悪いわけではなかった。だからこそ、周りの見る目が変わったよ」


 「あぁ、1位をとった子が実力で上回ったんだとしたら皆注目するもんね」


 「彼が会長に立候補していた事も影響し、『あのトイスにまた勝てるんじゃないか』という波が広がった。一回のテスト結果で急に周囲が盛り上がり、妙な距離をとられるようになったんだ」


 彼は何も悪いことをしておらず、むしろ偉ぶる事なく周りの期待に応え続けてきた。

 だが絶対的だった存在が崩れた事で、生徒の胸にずっとあった一つの感情を呼び起こしてしまう。

 学園内が異様な空気に包まれる程の―― 妬みや僻み、という感情を。


 名家の貴族で頭も良くて顔も良くて運動もお手の物。

 人一倍努力していて大変な環境だと理解はしていても、人は心のどこかで思ってしまうものだ。

 

 『彼が凄いのは最初から恵まれている人間だから』


 争っている有力候補第一位に入った亀裂を見逃す事なく、他の候補者や支持者はそこを突いてくる。

 テストで一番になった者が有利に事を進め、支持者を大幅に増やす結果となるのを動かずにロッツは呆然と眺めていた。

 彼の目には次々に離れていく周囲の人間が裏切り者の様に映り、初めて経験する事態に頭が追いつかず対応が遅れたのだ。


 『相手がズルをしたのでは?』

 『卑怯な手を使ったに決まっています』

 そう言って多くの使用人が捲し立て慰めてきたと、目を細め悲しそうにロッツは首を振った。


 「選挙の半年前位から、彼との点数が縮まってきているのには気が付いていたんだ。入学時と比べ成績が鰻登りだという話しも噂に聞いていた」


 「知り合いの子だったの?」


 「いや、話した事は一度もない。ただ常に周りに人がいて、活気があるグループの中心人物だと認識していた」


 長らくの間ロッツの1位とその者の2位という関係は崩れず、裏では『万年2位で可哀想』とまで言われていたそうだ。

 しかし、その人物は2位のままで終わる器ではなかった。徐々に詰まる点数の差に気付いていても何もアクションを起こさなかったロッツを、彼の努力が上回ったと言える。

 

 「不思議と父は一切怒らなかった。たまたま今回は調子が悪かっただけだって、気にするなって・・・」


 今迄厳しかった父親から叱られなかった事で、逆に自分に興味を無くしたのではないかと不安に思い、体調を崩して学園を休んでしまう。

 生徒会長にそこまでなりたかったわけではないし、誰かに酷いことを言われたわけでもない。

 ただ・・・青年はわからなくなってしまった。


 「一度順位を落としただけで周りの態度があまりにも変わるものだから、今まで積み重ねてきたモノは一度の失敗で崩れていまう程脆いものだったのか・・・これまでの全てはそんなに意味の無いものだったのだろうか?」


 一気に自身の存在価値を見失った感覚に青年の心は揺らぎ、引き千切られそうな胸の痛みに学園へ向かう足が竦んだ。

 暫くして戻った学園では新しい生徒会が設立し、多くの者がロッツを腫れものに触る様に遠ざける。ここぞとばかりに甘い声を掛けて近寄ってくる女子生徒の態度にうんざりし、以前よりも心を閉ざしていく始末となった。

 

 少し学校を休んでもいいと言う父親も不可解で、学校に不正がなかったか調査を依頼すると騒ぎ立てる使用人達にも辟易してくる。

 学園を離れ医学を勉強したいと告げると此処の存在を告げられ、厳格だったはずの父親はあっさりと休学の許可をくれた。


 「俺は人の上に立つ完璧な存在を目指してきたし、父もそれを望んでいたはずだ。それなのに何故逃げ道を用意するのか・・・もう期待されていないという事なのか?出来ないよりは出来た方が良いに決まっている。一位じゃないと、完璧じゃないとダメなんじゃないのか?ダメだったから皆離れていったんだろう。ジェノはどう思う?やはりトップの成績を取れなかったから幻滅されて――」


 「負けて良かったよね」


 「・・・は?」


 怒号の様に響く雨音を凄いな思いつつ、ジェノは真っ直ぐに灰色の瞳を見つめながらもう一度「良かったね」と囁いた。

 膝を抱えたまま固まった青年は言われた言葉が理解出来ないのか眉を顰め、ゆっくりと瞬きを繰り返した。そんな青年に微笑みかけると、雨にかき消されない様に聞き取りやすい声音で話す。


 「きっと生徒会選挙が控えてなければそこまで大事にならなかったし、周りも離れて行く事はなかった。たまたま一回順位を抜かされただけだって大して気にせずに、ロッツがここまで弱る事もなかった。そうでしょ?」


 「・・・ああ」


 「辛酸を嘗めた人間は強い。昔父親に言われたセリフなんだけど、僕の好きな言葉なんだ」


 負けを知らない人間よりも、這い上がってきた者の方が断然強くあれる。スラム街出身である事を気にしていたジェノにメロスがかけた言葉だ。

 苦渋を味わった経験は人を歪めるが、乗り越えられれば大きな糧となる。過去に囚われず克服し未来に生かせれば、大きな原動力となるのだ。

 

 ロッツ・トイスは努力家だがやはり才能的にも環境的にも恵まれている。

 そのまま挫折を知らずに大人になり今回の様に心が折られる出来事が起こった場合、子供の今よりも凝り固まった心と頭の修復は難しく、正してくれる存在は既に傍にいないかもしれない。

 憶測でしかないが彼の父親はその事に気付き、追い詰めない様に優しく接していたのではなかろうか。


 「今の段階で挫折を味わえたのはむしろ良かったと僕は思う。きっと天が与えた試練だ」


 「挫折に、試練?」


 「培ってきたものは無駄になるどころか敗北を知ったことで更に精度を増して強みに変わるはずだ。次は挽回するぞっていう明確な原動力が加わるからね、ロッツは新たなステージに行く準備がこれで整ったんだよ」


 「・・・ジェノは皆と全然違う事を言うんだな。悪い事が起こってそれが良かったなんて考え方普通しないぞ」


 勿論誰かが亡くなったとか怪我したとかの悪い事なら「良かったね」とは言わないが、今回のケースの場合ジェノは大きな糧になると思ったのだ。


 「知り合いの凄い地位の高い子が言ってたんだけど、自分にとって最も難しい事は人との関係を構築する事と環境に甘えない事だって。惰性で生きてちゃ駄目だ、新しい物事に挑戦(チャレンジ)していかないと!人は上手くいかない事を知っているからこそ、成功した時に喜びを味わえるんだよ」

 

 頬に両手を添えて少女が微笑むと、青年は困ったように眉を下げて暗い天井を見上げた。

 相談をされているのだとジェノは認識して思った事をそのまま述べてしまったが、かえって混乱させただろうか。

 自分の歩んだ道を否定せず、少しでも頑張ってきた事実を誇ってほしい。


 「確かに毎回トップが当たり前だったから危機感なく過ごしていたし、選挙宣伝期間中も自分から周囲に声を掛けたりしなかったな。・・・俺は生徒会長になる努力を最初から怠っていたし、皆が離れたのは当然だったのかもしれない」


 「周りが離れたのは悲しい気持ちになると思う。けど付き合う相手がどういう人間なのか、絆の強さを確認できたいい機会だったんじゃないかな。大勢離れて行ったって言ったけど、離れずに支えてくれた人はいなかった?」


 「いや、何とか持ち直そうと奮闘してくれた奴等が・・・」


 逆境の状況で支えてくれる人は頼りになると共に、有難い存在だ。

 貴族には多くの人間が良い顔して近づいてくるが本当に信頼できる存在は極少なく、認識出来ているかどうかは重要だと思う。

 父親の「他者の上に立て」という言葉には、目に見える形だけではなく様々な意味合いも含まれているように思えた。


 何代にも渡って大国を支えてきた歴史の古いトイス家。

 当主の重い言い付けに込めた本当の思惑はジェノには解らない。しかしロッツは何か感じたのか口元を押さえると、止む気配のない外を見遣った。

 

 さっきよりもサッパリとした表情が印象的で、気のせいか瞳に強い光が宿った様にも見える。

 そりゃこれだけ期待を一身に受けてたら悩んで落ち込んで、塞ぎ込んだり精神が不安定になったするよなぁ。逆に今迄挫折しなかったロッツのハイスペックさに驚愕するわ!

 

 「ジェノが負けて良かったと言うなら俺もそう思う事にしよう・・・くくっ、面白い考え方するよな本当」


 「なんか偉そうに好き勝手言ってごめんな」

 

 朗らかな笑顔にホッと胸を撫で下ろし、遠足や修学旅行の疑問を質問しながらジェノも釣られて笑顔になった。

 今日はロッツの事が知れて良かったし、僕を信用して打ち明けてくれたのが何よりも嬉しい。学園に行ったらまた会えるだろうし、すっごい楽しみだな!


 「ジェノ、そこ寒いだろ。もっとこっちにおいで」


 「うん、ここ少し風入ってきてるね。ズレよっか」


 「奥の方がもう少し温かいのかな?実はちょっと気になってたんだよな、あっち」


 「あっちって・・・まさかあの奥?」


 ロッツの視線の先を辿り暗がりへ伸びる道に目を留め、「いやいやいや」と顔の前で大きく手を振った。

 二人の後ろに存在するポッカリと空いた真っ黒の穴。

 先の一切見えない闇から視線を逸らし、ジェノはぞわりと立った鳥肌を高速で摩った。

 

 洞窟なんて危険な香りがいっぱいじゃないか、子供だけで入るのは利口じゃない。この寒さでは動かない方が体力的にもいいし、なによりロッツは怪我人だ。暗いし寒いし危ないし、とにかく怖い!


 首を振り続けるジェノとは対照的に「冒険というものをしてみたい」と熱っぽい眼差しを暗闇へそそぐロッツは、グッグッと足の具合を確かめて立ち上がった。

 待て待て待てっ、確かに洞窟探検なんて男心を擽るし、昼間の準備した状態だったら僕も好奇心に釣られて入っちゃうけど、今は大人しく雨が止むのを待とうぜ!


 「どうせ真っ暗で何も見えないでしょ。危険なだけで意味ないよ」


 「こんな事もあろうかと小型懐中電灯を持ってきている」


 「余計な物持ってきやがって・・・っ!」


 用意周到な青年は高性能な懐中電灯を付けると、思いの外しっかりした足取りで奥へと向かって行く。値段が高いと言うだけあって小型だが強力な光を放つライトは、辺り一面を眩く照らし大分先の道までよく見えた。


 「狭そうだが結構続いているようだな。ジェノは行かないのか?すぐ戻るし此処で待っていてもいいが」


 「ぅう~怪我人を一人で行かせるのは気が引けるし、そのライトがあれば此処より明るいし怖くないかも・・・てか一人は絶対嫌だ」


 一人で待つのが心細く、嫌々ながらも楽し気なロッツに続いて洞窟を進んでいった。最初狭かった道は徐々に広がっていき、詰まることなく散策が出来る造りとなっている。

 怪我した足が心配だったが予想より地面が平らで安定しており、問題なく進めそうだ。


 もし痛む洋なら浮かせばいいやと考え、苔で滑らない様気を付けながら必死に目を凝らす。

 白い息が前方を妨げる様に漂って消える。

 滴り濡れた洞窟はライトに反射して思ったよりも明るいが、落ちる雫の反響音にジェノはビクビクと首を竦めた。


 ぅううぅうぅううぅぅ  ぅううー

 

 「うっわ、なになに!?不気味な声みたいなの聞こえるんですけどっ!」


 「風だろ。それか何かの反響音」


 「もう戻ろうよ、絶対何もないってば!迷ったら危険だし凍えて飢え死にしちゃうよ」


 「一本道でどうやって迷うんだよ。何だジェノ怖いのか?まぁ獣が冬眠してるかもしれないしな」


 「獣なら倒すから問題ない。攻撃が通用しない相手が潜んでるかもしれないだろ?昔ここで遭難した幽霊とか!」


 「いや待て、獣の方がよっぽど恐いと思うぞ」


 静まり返ると恐怖が増す為くだらない話しをロッツに振った結果、ホラー系が苦手だと早々にバレる。低めの美声で爽やかに笑われ、「獣は魔法で自由を奪えるけど幽霊には効かない可能性高いから怖いんだよ!」と必死に反論した。


 拗ねてプクーっと頬を膨らませると面白そうにつんつん突かれ、ぷひゅ~と空気が抜ける。昨日より物理的にも精神的にも距離が縮まった感じがし、少女は頼もしく進んでいく青年の腕を遠慮なくガッチリ掴んだ。


 「最近『雪男』を見たという目撃証言が相次いでいるのを知っているか?大木にユラユラとぶら下がり、奇声を上げるらしい。頭が真っ青で体が真っ白なんだそうだ」


 「ちょっ、何で今そんな話したわけ!?やめてよっ」

 

 「いや、雪男が相手なら勝てるのだろうかとふと疑問に思ってな」


 「勝負せずに逃げる!もし会話できて良い奴そうなら和解して勝手に住処(すみか)に入ってごめんなさいって謝る」


 雪男なんて本当にいるのか不明な存在だが、幽霊よりは大丈夫だと少し強気で言い放つ。幻の生物と言われているので見た事は勿論ないが、なんとなく獣人に似た印象を持っていた。

 昔カンバヤシから聞かされた雪女の方が幽霊っぽいし、雪男はまだ平気な気もする。


 「よし、なら一つ身の毛のよだつ話をしてやろう」


 「なんの嫌がらせだよっ、寒いのに更に凍えさせる気か!?」


 意外にいじめっ子気質があるんだなと脇腹を突くと、初めて言われたと可笑しそうに頭をポンポン叩かれる。

 新鮮な感覚だと呟いて目を細めた彼は、今迄女性で親しい人物をつくった事がないらしい。

 紳士的な行動が板についている様に見えたが実際に女性をエスコートした経験は少なく、普段避けている分会話もまともにした記憶がない。


 パチッ

 「あ、ごめん」


 「!? っうわわああぁあぁあああっぁぁあぁー、暗いぃ!」


 「おわっジェノ落ち着け、大丈夫だから!」

 

 唐突に訪れた真っ暗闇に気落ちしていた少女は瞬時にパニックとなり、一寸先も見えない恐怖に襲われる。反響する叫び声に宥める青年の声は掻き消され、無我夢中でそこにあるはずの存在に救いを求めてしがみついた。


 「悪い、スイッチに間違って触れたみたいで・・・ジェノ大丈夫か?おーい聞こえてるか?ちょっと待って、スイッチが見つからない」


 「お化け来るー、やだぁ怖い!こっち来るっ」


 「来ない来ない。お化けなんていないし居たとしても真っ暗できっと向こうも目が見えてないから大丈夫だ。それよりこの懐中電灯小型だからスイッチも小さくてさ、どこにあるのか判らないんだよ。ごめん」


 必死に掴みかかるジェノの肩を優しく叩き落ち着けようとするロッツは、小型懐中電灯に悪戦苦闘しつつ「お化けなんて来ない」と何度も言い聞かす。


 「目の無いお化けが来るよー、お前の目ん玉寄越せって追いかけてくるんだ!くり抜かれちゃうんだっ」


 「おいおいグロイな。そんなアクティブな奴そうそう出ないから心配するな。俺が凹んだ目に飴玉でも突っ込んでやるからさ」


 「そしたら甘い甘いお化けが来るよ!お菓子持ってると「超美味そうじゃ~ん!それ頂戴よー」って馴れ馴れしく友達面してきてお菓子を全て奪っていくんだ。凄いウザイんだって!」


 「そいつ怖いのか?ウザいだけってむしろ和まないか?ジェノは苦手な癖に色々なお化けを知っているんだな」


 「敵を詳しく知っておかないと戦いにすらならずに殺されちゃうから、情報収集は戦略的に重要なんだ・・・ぅう~怖いよう」


 真っ暗闇の洞窟で密着した2人。

 腕をギューっと掴む少女は懐中電灯をカチカチと弄って唸る青年とテンポ良く会話していき、徐々に押し寄せていた恐怖心が薄れていった。

 傍に人が居た安心感なのか本能的に暗闇の洞窟は危険だと判断した為なのか、ジェノの魔法は一切発動する素振りを見せず大事に繋がらずに済む。


 「ジェノ、目を開けてみろ」


 「嫌!ターボババァが来るもん」


 「ターボバ・・・何だそれ?」


 「時速140㌔で追いかけてくるババァだよ。背中に『ターボ』って書いてあるんだ!」


 「本当にそいつ怖いのか!?・・・いや、140㌔で動くババァが実際いたらちょっと怖いか。それよりも周りが凄いぞ、見てみろよジェノ」


 促されるままに恐る恐る目を開けていくと、最初暗かった洞窟内にぼんやりとした淡い光が浮かんできた。壁や地面に点在する緑や黄色の灯りは優しく二人を包み込み、まるで蛍みたいだとジェノは目を見開く。

 淡い光を放つ壁にさっきまでの怖さを忘れて吸い寄せられる様に手を伸ばすと、ザリザリとした湿った感触が指に残った。


 「わぁ!この苔が光を発しているんだ・・・すっごい綺麗」


 「暗闇で発光するんだろう。これならライトは必要ないかもな」


 歩くには足元が暗く覚束無い為ライトを灯した方がいいが、心奪われる幻想的な景色に2人は暫く自然のイルミネーションを味わった。

 うっとりと天井を眺めている横で「調べてみる」と苔を採取していくロッツは、ジェノが飽きるまで長い間静かに待ち充分堪能する時間をくれた。


 奥まで続く光る洞窟はえも言えぬ美しさでそのまま進んで行きたくなるが、増していく寒さと限られた散策時間を思い出し引き返す事にする。

 18時までにはまだ時間はあるものの、怪我をした状態のロッツを連れて戻らなければいけない。雨がこのまま降り続くようなら濡れるのを覚悟で険しい山道に挑む必要性があった。


 「おっ、弱まってるな。これならいけるんじゃないか?崖を登る方法を考えなくてはならないが、最悪戻れなかった場合はうちの使用人やスタッフが探しに来るから心配はない」


 「崖は僕に任せて!ロッツは動かなくても大丈夫だよ」

 

 「どういう事だ?」


 所々陽が差してきた夕空にようやく出番が回ってきたとテンションを上げ、ジェノはにんまりと笑う。嬉しそうな少女を怪訝に思いながらも、青年は逆らわずに外へ出て身を委ねてくれた。


 「よーし、僕がちゃんと帰してみせるからね!」


 集中するように左手をロッツにかざし、胸の奥から湧き上がる熱い感覚を呼び起こす。ふわりと浮き上がる足元に少女は得意げに頷き、青年は驚愕に目を見開いた。

 怖い思いもしたしかなり寒かったけど、なんだかんだで面白かったな。今度晴れてる時にもう一回来よっと!

 霧雨に変わる夕空をジェノは仰ぎ、雨宿りさせてくれた洞窟に小さくお礼を告げて帰路へと向かった。

 

 

 「くっ、ちょっとヨレるな。安定するまで少し我慢してね」

 

 「これが魔法・・・っ凄いな!」

 

 自身の体を浮かせるよりも別の物を操る方が難しい。

 特に上下ではなく前後左右の横移動は思い通りに動いてくれず、レッスンでも苦手にしていた課題だった。

 でもそんなこと言っていられない。ロッツを無事に帰して医師に見せなくちゃいけないんだ。集中、集中っ。


 「魔法初めて見るの?」

 

 「城で行われるパーティ等で見た事あるがマッチに自動で火がついたり、物が数cm移動する程度だった。それでさえ凄いと皆もて囃して歓声を上げていたんだ。これほど強力な魔法は見たことも体験した事も無い」


 「魔法使えるって言い振らしちゃいけないんだ。内緒にしてね」


 「ああ、色々厄介事に巻き込まれかねないもんな。それにしても宙に浮く経験が出来るとは思わなかった。本当感動するなこれ」

 

 ゆっくりと崖を越えて歩かずに前へ進むよう強くイメージすると、魔力が伝わる感覚がして片手で梶をとれる。地面から20cm程浮かしてフワフワ移動していくと、ロッツはしきりに凄いと褒めたたえた。

 王家のパーティでは余興又はメインステージとして魔力持ちが能力を披露し招待客を楽しませる事もあるらしいが、コップの中の水の色を変化させたり指先からチョロチョロと炎を出せる程度らしい。


 大陸一と謳われる強大なヴェジニア国の王族主催のパーティ。そこに呼ばれる魔力保持者にしては随分お粗末な気もするが、ロッツ曰くそのレベルでも素晴らしいと評価され喝采を浴びるのは当然の事。

 自分の高い魔力とモーズリスト家の異常性を改めて認識し、ジェノは一息つくと運ぶ操作に集中した。


 『ふうぅーっはははははははははははぁあ――』


 「っ何だ!?」

 

 聳える枯れ木の更に上空。

 泥濘んだ地面に気をつけながら歩を進めていた少女は、後ろから響いた奇怪な雄叫びに肩を震わせる。

 暮れゆく乾いた空気を震わせた声に振り返ったが、聞こえたはずの奇声が嘘の様に掻き消え、森は不気味な程に静まり返っていた。

 ゴクリと唾を飲み込んで隣の裾を無意識で掴むと、触り心地の良い手袋の感触にするっと手をとられる。


 「雪男じゃないか?森に出没してるって目撃証言が多いからな。今の上から聞こえただろ、きっと木の上で生息しているんだ」


 「えっ、嘘でしょ?あの話って冗談じゃなかったの!?」


 真面目な顔で首を横に振る姿に青ざめ、スピードをあげて廃病院を目指した。

 不安定に漂う身体を楽しむようにロッツは笑い、足元を懐中電灯で照らしてサポートしてくれる。

 本当に化物が彷徨いているなんて冗談じゃない。怖くて一人で外に出られないじゃないか!


 急ぎ足で突き進み水の音を頼りに川辺に辿り着くと、上昇して危なげなく川の上を通過していく。

 なんとか病院の裏手まで無事に到着した2人は手当を受ける為、医療スタッフの元へと急いだ。

 時刻は17時半を過ぎ、既に陽が完全に落ちて頭上には星が瞬いていた。



 

 「明日一日安静にしていれば大丈夫でしょう。山の中を歩いてきたとは思えない程軽傷だ。早めの処置が良かったんだろうねぇ、でも森は危険なんだから今回の様に奥まで進んだりしちゃいけないよ」


 「はい、ごめんなさい。気をつけます」


 診察も終わりドッと疲れが一気に押し寄せる。重たい瞼を擦ると診療室のドアを抑えて待つロッツが微笑みを浮かべ、雨で湿ったジェノの頭をタオルで拭いてくれる。

 今日一日で縮まった二人の距離感に大分慣れ、大人しく立ち止ったままお礼を言った。


 「疲れただろ、今日はごめんな。早く寝て休んだ方がいい」

 労わる言葉に素直に頷き小屋へと歩を進めると、送ると後に続く青年。

 怪我をしているのに悪いと思ったが紳士的な彼に言っても聞かないだろうと判断し、反対せずに素直に送られる事にする。


 降り注いだ雨が嘘の様に星が煌き、夜空を眩しいばかりに彩る。

 澄み切った夜空に白い息を吐き出すと、小屋の前でクイッと小さく手を引かれた。

 さらりとした髪を軽く払ったロッツは涼やかな瞳を横へ流し、緑色のマフラーで口元を隠しながら何やら口篭る。

 

 「どうしたの?採取した苔はちゃんと保管して明日調べるよ。キャンディちゃんには後で僕が伝えておくし」


 「いや、そうじゃなくて・・・ジェノはさ」


 「うん?」


 首を傾げ先を促すと精悍な顔立ちが此方を見つめた。

 灰色の瞳と黒い瞳がぶつかり、冷え切った空気を伝わって言葉が耳に届く。


 「ジェノには、婚約者がいるのか?」


 「へ?」


 「――ロッツ様っ!」


 見つめ合う二人を切り裂くように叫ばれた甲高い声。後方から掛けられた切羽詰まった叫びに心臓が跳ね、驚きのあまり身を竦めて視線を横へ向ける。走って来たのか息を切らせながら鋭い眼光で此方を睨む相手を、ジェノはポカンと眺めた。

 所々跳ねた髪を纏める様に三つ編みを抑え、大きく深呼吸した幼さの残る少女は一歩近づいてくる。


 「君は・・・」


 「怪我をなされたと聞きました!なんてっ、なんてお労しいお姿なのでしょう。ココアはいてもたってもいられなくて駆けつけてきたのです!」


 悲壮にくれた表情で話しだしたかと思うと両手で顔を覆い、「ココアはとても心配しました」と何度も金切り声を上げた。キラキラした瞳で語りかける少女はジェノなど目に入っていないかの様にロッツの足首の包帯を見ては嘆き、頬を染めて恋する乙女の瞳を向けている。

 

 おぉ、僕の頭に魚の油でギトギトになった汚水をぶっかけた時とは随分態度が違うな。どこで嗅ぎつけたのかは知らないが、ヒロインの座を狙う者としてはヘマをやらかした彼女(仮)を出し抜き彼にアピールするかっこうのタイミング。健気で可愛い少女を演出して振り向かせようって魂胆か。うーむ大した執念だ、面白い。


 何度もココアという名前を繰り返し会話に入れている事に気が付き、愛しの彼に覚えてもらう作戦なんだろうなとジェノは一人頷いた。


 「場所を変えようジェノ。静かな場所で話がしたい」


 「それならココアがいい場所を知っていますわ!暖かくてゆっくりできる秘密の場所なんです。ロッツ様と二人きりでお話出来たら素敵だなって前から考えていた場所なんですが」


 「ジェノの部屋でもいいし、なんなら俺の所に移動してもいいぞ」


 「僕はどっちでもいいけど」


 「ココアはロッツ様のお部屋に是非お邪魔したいです!外観の装飾が素晴らしく美しいですよね。品があって清潔感が漂っていて・・・まるでロッツ様のよう。前を通る度にドキドキしてしまいます」

 

 潤んだ瞳と留まる事のない言葉に、本当にロッツを思っているんだなと素直にジェノは感じた。ムカつく嫌がらせは水に流せるものではないが、彼女がこの恋に全身で身を焦がし挑んでいる事はしひしと伝わる。

 一生懸命な乙女心は見ているだけで心を擽る。


 「誰だお前、俺は今大事な話をしている。空気を読め」


 「コ、ココアです。昨日もその前の日も挨拶致しました!そんな子ばかり構うなんておかしいです。ココアともちゃんとお話してくださいませ!」

 

 だからこそ、想い人に一切相手にされていない光景に胸が締め付けられた。どんなに話を振っても見向きもされない少女。それでも笑顔で会話になるよう言葉を探す姿に、ジェノは俯いた。

 ココアって子には嫌がらせをされ、いずれ何かしら正々堂々仕掛けて倍返しにしてやろうと思っていたのだが、ジェノは段々彼女が可哀想に思えてきて目を伏せる。


 「あのさロッツ、この子の話し一度は聞いてみた方が」


 「貴女は黙ってて!私とロッツ様の邪魔しないでよっ、どっかいきなさい!」


 「おい、そんな言い方ないだろう。ジェノ、俺は話すことなんてない。早く行こう」


 真っ赤になって睨みつけてくるココアの目に浮かぶ涙を見つけ、ジェノは「あぁそうか」と納得した。

 全く相手にされない姿が、将来の自分と重なったのだ。

 好きな相手に既にパートナーがいて、自分の望む場所に立つ事が出来ないという残酷な現実。

 想いを告げても叶う見込みは無くて、自分ではない誰かに向けられる愛しい人の瞳。


 無視しないでほしい。嫌わないでほしい。こっちを見てほしい。

 目の前の少女の気持ちがわかってしまうのは、同じ想いをジェノも秘めているから。


 ――好きになってほしい。


 必死な彼女の姿から目を背けたくなるのは、行き場のない自身の恋心と重なったからかもしれない。

 恋をしている者なら誰もが望む願い。

 しかし儚い願いは無常にも遠ざかり、ジェノの真ん中を容赦なく抉っていく。


 この子の事を僕は全然好きじゃないけど、貼り付けた笑顔の下の傷は痛いほどわかってしまう。ロッツに少し優しくしてあげてと言ってしまいたくなるほど、痛々しくて見ていられない。


 けどそんな事はしちゃいけないんだ。

 上から目線の発言となるし、何よりも彼女を一番傷つける事になる。もし僕がカルシェンツの婚約者にそんな情けをかけられたら、きっと悔しくて辛くて自分が無様で、泣いてしまうだろう。

 

 ロッツと僕は偽の恋人同士だ。

 でも嘘をついてまで女の子から逃げようとする青年を振り向かせるのは難しいし、彼にその気がないのは見ていたら誰でもわかる。

 やっぱり、恋ってなかなか上手くいかないものなんだなぁ。

 

 「そんな怪我をさせる酷い子より、ココアの方が貴女様を想っているし支えになれるはずです」


 「怪我の事は僕も本当に申し訳ないと思ってるよ。反省してるんだ」


 「引っ込んでなさいよっ、私の方が絶対にロッツ様に相応しいわ!」


 「勝手に決めるな。さっさと消えろ、鬱陶しい」


 「ちょっ、ロッツもっと穏便に」


 しつこく言い寄るココアにいい加減嫌気がさしたのか口調が荒くなる青年を宥めると、横から伸びてきた手に腕を取られ強引に振り向かされた。

 歪んだ顔と突き刺すような眼光に一瞬戦闘モードに切り替わったが、相手が女の子だと思い返し寸前のところで握った拳を解く。

 

 危ない危ない、有段者の僕がか弱い人間を攻撃するわけにはいかないんだ。しかし一瞬で殺る気にさせる程の素晴らしい殺気を放つとは侮れないぜ、なかなかやるな!

 ギリギリと掴まれる手首に余裕の瞳で見つめ返すと、低めの唸り声と共に悔しそうな呟きが漏れ聞こえる。


 「何であんたなのよ。何で私じゃないの。ようやく現れた理想の相手なのにっ、どうしてなの!?何で恋愛小説みたいに上手くいかないのよ!」


 「いや、小説じゃなくてこれは現実だからでしょ」


 「認めないからっ、付き合ってるとか恋人とか信じられないし、許さないから――」

 

 「お前うるさい」


 後ろから強く引っ張られる力に手首が解放され、今度は肩を抱く感覚に後ろを振り向いた。機嫌の悪い雰囲気を一瞬で消してジェノに笑いかけたロッツは、耳元に頬を寄せて魅惑の低音ボイスで囁きを落とす。


 「ごめんな、ジェノ」


 ・・・え、何で謝るの?

 瞬時に嫌な予感が背筋を駆け抜け、及び腰になったのは仕方のない事だ。過去2回の経験上、ロッツに謝られた際には厄介事が必ず起こると相場が決まっている。

 

 「証明してやるよ」

 

 何を?いや、言わなくていい、言わなくていいよ。絶対よくない事だろ、そうだろ!待って待って、一旦落ち着こうぜ。話せばわかる、とにかく早まるなよっ。


 「きゃっ」

 真後ろで少女の悲鳴を聞きながら、ジェノはゆっくり近づいてくる端正な顔を呆然と見つめた。

 逃げようとした足が縺れてバランスを崩した身体を大きな掌が頼もしく引き寄せ、腰を軽々しく支えられる。

 

 「ちょっと待っ」

 間近に見た涼やかな目元は仄かに色付き、掠った互の鼻の頭に思わずキュっと目を瞑る。張り詰めた空気にコクりと喉が鳴り、金縛りにあった様にガチガチに固まった身体は微かに震えた。

 困惑する思考の中でふいに浮かんだ金色の髪に肩が揺れ、ジェノは僅かに顎を引く。

 

 「――っ!」

 降るような星空の下で二つの影は折り重なり、一筋の光がキラリと瞬いてスッと流れ落ち消える。

 周りの雑音が途絶えた思考の奥深く・・・小さなリップ音が木霊するのを、少女の耳は静かに聞いた。

 

次回は別キャラ視点の話となります・・・多分。

お読み下さり、ありがとうございました。

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