26
眼前に並べられた色とりどりの布をカルシェンツは満足そうに眺め、ジェノは眉を寄せて顔を背けた。ガラス張りの巨大ドームに建築された室内プール。通された広々とした部屋には驚く程色鮮やかな布地や、シックで大人びた水着が揃えられていた。
必ず好みの水着が見つかるほどの豊富さだ。しかしジェノは次々に勧めてくるカルシェンツに首を振り続け、頑なに選ぼうとしない。
何故なら、その全てが男性用の水着だからだ。
下半身しか隠してくれない心もとない布を身に着けるわけにはいかない。もちろんカルシェンツの前で女性用水着などは以ての外だ。ジェノとのプールを楽しみにしている少年の熱い眼差しを受け、ジェノは苦悶の表情を浮かべた。
僕だってプールに入りたいと思っているよ。今日はとても蒸し暑いし、流れるプールや波打っている仕掛けが気になって仕方がない。
だからといって胸をさらけ出せるわけがなく、ジェノは自身の胸元に視線を落とす。
あれ?でもこの『まな板』具合なら女だとバレない気が・・・いやいや何悲しいこと考えてるんだ僕は、女を捨てる気かっ!これからちゃんと成長するんだきっと、諦めるな!
将来に希望を見出し拳を握ったところで、カルシェンツに「これは?」と黒の際どいTバックを手渡され、チョップをくらわす。
「誰が着るかアホ!」
「あたっ」
いつもの光景に慣れた様子でベリオンがTバック水着を回収するが、部屋の壁隅に待機している10名程のメイドと執事が一斉に息を呑んだ。見渡すと皆一様にジェノから目を逸らし、心なしか顔色が青いように見える。
ん?使用人さん達具合でも悪いのかな、全員揃って便秘とか?
「ジェノ様・・・これを」
振り向くとベリオンが薄紫色のパーカーを差し出し、カルシェンツに何やら耳打ちする。
「――なるほど、ジェノ君は肌を焼きたくないのだな!そういえば無人島でも常に日焼け止めを塗っていた。私としたことが直ぐに気がつかなくて申し訳ない」
唐突に手渡された半袖で軽やかな前開きパーカーは、メロスが用意した水中に適したものらしい。
室内プールだがガラス張りになっているため、紫外線を理由に半裸を回避することが出来そうだ。
メロスの計らいか・・・今回ばかりは本気で助かったぞ。今後も乗り切るために色々言い訳を用意しておく必要があるな。
「じゃあ下の水着を選ぶとするよ、僕ハーフパンツタイプがいい」
「うん!私のオススメはこの赤いやつかな」
「もろTバックじゃねぇーかっ!」
ジェノが軽く肩を小突いた瞬間、部屋の空気が一変する。
使用人達に極度の緊張が走ったせいだ。突如張り詰めた空気にジェノは驚き身構えた。
えっ!何急に、敵襲?なんかヤバイ感じ?
顔面蒼白で口元を覆うメイドや固まったまま俯いている執事達を見つめるが、誰一人言葉を発さず答えてはくれない。ベリオンを見遣ると肩を竦め首を振られた。
不思議に思いながらもジェノは水着選びを再開し、白地に青の刺繍が入ったハーフパンツ型の水着を選ぶ。
カルシェンツはジェノと色違いのオレンジ色の水着を手に取り、嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ、ペアルックだね!さすがジェノ君、私もこれがいいと思っていたんだ。やはり通じ合っているんだね、私たちは」
「さっきTバック勧めてきたのはどこのどいつだ?今凄く水着を選び直したいぞ。お前がTバック穿けよ、ちょっと見てみたい」
「ジェノ君も穿くなら構わないよ」
絶対に嫌だ。なんの羞恥プレイだ。
水着を選び終わったところでロッカールームに移動する。鼻歌を歌うカルシェンツに続いて着替え部屋に入る寸前で、ジェノは二の足を踏んだ。
「まぁ、だろうと思ったけどね」
「ジェノ君?」
見上げた扉の上に嵌められた金のプレートには『男子更衣室』の文字。入れば間違いなくカルシェンツと共に着替えをする流れになる。隣の女子更衣室には目を向けずに後ろに控えるベリオンにトイレの場所を聞いた。トイレの個室でちゃちゃっと着替えてしまう作戦だ。
ところが、
「私も行こう!」
「は・・・どこに?」
「お手洗いにさ。ジェノ君と共に『連れション』というものをしたい。友人同士で行う連帯感を高める為の儀式なのだろう?」
「そんな儀式はねぇよ、なんだその間違った知識は。誰の入れ知恵だ、カンバヤシか?ライヴィか?」
「前にゴッデス殿が『トイレで人々は気が緩み、隠している本音も恥ずかしい姿も曝け出す。つまり二人同時に身も心からも不純物を流しきる事で更にユニゾンし、トイレで歌声を響かせれば儀式は成功に至る。連れションはパッションが大切だ!』と、熱く語っていてね。私もジェノ君とユニゾンしてパッションを高めたいと思ったんだ」
・・・んん、なんだ?今のゴッデスのセリフ全く意味が解らなかったのだが・・・僕の頭が悪いのか?いやいや、これはゴッデスとカルシェンツの感覚がおかしいんだよな、そうだよな?何でトイレで歌う事に賛同しているんだこいつは。おのれゴッデス、腐れ音楽家め・・・本当ろくな事言わない奴だ、今度説教しておこう。
天下の第三王子の言葉に周囲はザワつき、ベリオンは頭を抑えるが当の本人は気にせずにジェノの後に付いてくる。どんなに言っても離れないカルシェンツを諦め、気にせずにトイレに向かうことにした。外からは見えない個室で着替えてしまえばいいだけだ。扉の向こう側がかなり気にはなるだろうが、更衣室で見られるよりは問題ない。
無駄に広い男子トイレの個室の前で「一緒に入る」とごねだしたカルシェンツに苦戦するも、ベリオンのおかげでなんとか一人で入ることに成功し、ジェノは素早く水着に穿き替えた。
更衣室に戻るとベリオン以外の使用人は扉の外で待機し、誰もジェノと目を合わそうとしない。
話しかけても皆表情が硬く、頑なに拒まれている気がするのだ。
もしかして僕、嫌われてる?・・・どうしよう、何かしちゃったのかな。
使用人達の微妙な態度にジェノは戸惑い少し凹んだ。
気持ちを切り替えながらベリオンの指導のもと丹念に準備体操を行うと、キィッという鳴き声が木霊する。
何んでキウイの奴ベリオンさんの背中に乗ってんだ!?
とっても体操しづらそうなベリオンがなんだか可愛らしいく、呼んでも一向に降りようとしないので放っておく事にする。
普段から優しいベリオンさんがお気に入りっぽいもんなぁ、あの子。カルシェンツとは犬猿の仲だけどさ。
「なぁ、連れションって個室には一緒に入らないと思うぞ。何でもかんでも一緒にやれば友達ってわけじゃないだろう?」
「でもジェノ君は全然私と温泉入ってくれないし、抱きついたら怒るし、朝ベットに潜り込もうとしたらジャーマンスープレックスかけてくるし・・・酷いよ!」
「最後のは100%お前が悪いだろ。僕はお前の思考が時々心底恐ろしいよ」
面白がってすんなり部屋に通したマリーテアにもかなり問題があるが、カルシェンツの行き過ぎた友情を早々にどうにかしないといけないだろう・・・これが治るとは思えないけど。
横目でチラリと盗み見ると、バチッとカルシェンツと目が合った。
嬉しそうに微笑む少年の得も言われぬ美しさに、ジェノは思わず目を逸らす。日に照らされた白く滑らかな肌は陶器の様にスベスベで、予想以上に引き締まり鍛えられた上半身が目に毒だ。
「お前やっぱり鍛えてんだな。そういえば最近デカくなった気が・・・」
「王子という立場は何かと物騒だからね、自分の身は自分で守ろうと思って。大切な存在も、ね。背はこの間ジェノ君を抜いたし、完全に成長期に入ったみたいだ」
毎日顔を合わせている為気づいていなかったが、子供らしさが残っていた頬の丸みが消え『男』の顔立ちへと変化していっている。
あれ・・・こいつこんなに声低かったっけ?
刻々と訪れる変化の波に胸の鼓動が激しく高鳴る。今はまだ二人共子供だ。しかし数年後、必ず少年から青年に成長するだろう。
背は確実に差が開き、声も僕は今と変わることはない。
カルシェンツが『男性』へ、僕が『女性』になった時、二人は今と同じように並んでいるのかな・・・?
青い筒の中を猛スピードで下り、水飛沫と共にうねる道を滑り続ける。颯爽感と冷たい水に心躍らせ、ジェノは歓喜の悲鳴を上げた。所々段になっている箇所を跳ねていると、青かった天井が透明なガラス張りに切り変わる。
すっごい青空、綺麗。
「うぶぁっ!げほっ、けほっ」
「ジェノ君、大丈夫!?」
着水に失敗し咽るジェノに心配そうに近寄ってくるカルシェンツ。
ジェノはたった今滑り落ちてきたウォータースライダーを指差し、「もう一回する!今度はあのデカイやつ」と興奮気味に笑った。
「あれは四人乗りの浮き輪に乗って滑るんだ。一緒に行こう!」
初めて見る蛇のような滑り台に最初は臆していたジェノだったが、先に行ったカルシェンツに負けじと滑り、気分爽快なウォータースライダーにハマってしまった。上で安全装置を付けレクチャーしてくれる優しいお姉さんの説明を真剣に聞き、カルシェンツと真っ白なボートに乗りこむ。
施設内の派手な花柄のシャツを羽織ったお姉さんや、端にある屋台のお兄さん達は普段は屋敷のメイドや執事らしく、何でも言いつけていいと説明された。だが視線を向けると不自然に視線を外され、丁寧に笑顔で対応してくれるものの皆目が笑っていない。
「ハワイアンスタイルというものを取り入れたんだよ。ウォータースライダーもメロスおじ様の発案でね、こっちには娯楽が少ないから作ってくれって企画書を渡されたんだ。凄いよね!」
うん。こんな巨大な施設を子供に作らせようとするメロスも、簡単に実現させられるお前も色んな意味で凄いよ。
クルクルと回りながらこれが『プール』というものか、と考える。
噂では存在すると聞いていたが、実際に入ったことはなかった。おそらくこれがヴェジニア国最大の『プール』であろう。
国の半分が海に接しているヴェジニア国は海水浴が盛んでプール自体の数が少ないのだ。
しかし此処はあまりにも広大で様々な遊具や設備が整いすぎている。子供がポンっと建てられるレベルの施設ではない・・・メロスが細かく口を出したのだろうが、再現率が凄まじい。
モーズリスト家の将来が心配になってくるのだが、メロスはちゃんと仕事をしているのだろうか?遊んでばかりいるような気がする。
ビーチボールを取りに行ったカルシェンツを待ちながら、ジェノはよくよくプールを観察した。
青みがかったガラスのドーム内に造られた巨大プール。一部ウォータースライダーが外に飛び出しており、まるで空を飛んでいるかのような感覚を味わえる。
動物の鳴き声が木霊するジャングルや波打つ海岸、何故か和風をモチーフにしたエリアもあり、各エリアの周りをゆったりと囲む様に流れるプールが覆っていた。
洗礼されたスタッフの対応が居心地のいい空間を作り上げ、迷子になりそうな各6つのエリアを堪能していく。
とても一日じゃ回れないな、これが一個人の持ち物なのか。やっぱり半端じゃない、無料で満喫出来るなんて贅沢過ぎる。カルシェンツは一般公開しないと言っているがもったいなさすぎる。
「・・・お待たせ致しました。どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
流れるプールに足を浸し腰掛けていると、屋台で頼んでいたヤシの実ジュースを手渡された。身をくり抜かれたヤシの実に果実入の冷たいジュースがたっぷり注がれ、叫び疲れた喉を癒してくれる。
渡してくれた売り子のお兄さんに礼を言って見上げると、気まずそうな瞳がこちらを凝視していた。
ん?なんだろう。
即座に視線を逸らされ何事もなかったかのように一礼される。ジェノは流すべきかとも考えたが、此処の使用人の態度には少し疑問に感じる所があり、思い切ってつっこむ事にする。
「お兄さん、僕の事知っていますか?」
「・・・は?ああっいや、すみません!えっと、その・・・はっはい、存じ上げております」
急に話しかけられた事に余程驚いたのか、見るからに焦り出した相手にジェノは首をかしげる。確かにジェノは貴族の家柄だが、王家に使えている人間からしたら挙動不審になる様な相手ではない。一使用人といっても、次期王確実と囁かれるカルシェンツの館に仕えられる者である。
ジェノは以前『有数な家柄や類まれな能力を持つ者が、雇われたいとこぞって懇願している』そうメロスから聞いたことがあった。特にカルシェンツは傍に置く人選に厳しく、数多くの自信家達が涙をのんだという話だ。更衣室でガチガチになっていたメイドさんもこの目の前のお兄さんも、恐らく過酷な門をくぐり抜けたひと握りの者たちなのだろう。そんな者が没落貴族と噂されるモーズリスト家の跡取り相手にたじろぐとは思えなかった。
「今日から三日ほどお世話になります。ご迷惑おかけしますが宜しくお願いしますね」
「えっいや、そそそそんな、こちらこそ!あのジェッ、ジェノ様、頭など下げないでくださいっ、殺されてしまいます!」
「は?」
「お話しただけでも――っぐは!」
悲壮な顔で慌てたお兄さんの隣にはいつの間に近づいたのか甚平に身を包んだ黒髪の男がすらりと立ち、彼のみぞおちに肘鉄を叩き込んだ。
「いやぁー、申し訳ないです。今の発言はなーんでもないんで気にしないでくださいお客さん。こいつ今日舞い上がっているみたいで・・・大目に見てあげてください、ね。」
予想外の攻撃にお兄さんは膝を付いて悶絶し、甚平姿の男は飄々とジェノに話しかけてくる。
「え?いやいや、唐突な肘鉄の方が気になるよ。モロに入ったでしょ今、大丈夫?お兄さん」
「ぅぐっ・・・問題、ありません。大丈夫ですから私に構わないでください。まだ死にたくありませ、ゴハッ!」
「お前はいい加減に学習しなよ、もう黙っていろ。大事なお客さんが困惑しちゃうだろう?これ以上蹴られたくなかったら館に戻って靴磨きでもしてな」
速やかに他の使用人に運ばれていったお兄さんを呆然と眺めるジェノに、甚平の男は「すいませんね、騒がしくて」と笑って言った。全く悪いと思っていない様な態度の使用人をジェノはしげしげと見上げる。
・・・使用人、だよな?
あまりにも堂々とした立ち住まいと、ニヤニヤ笑っている顔に自信がなくなってくる。首が痛くなる程の長身に右目を完全に覆った前髪が特徴の優男が、スっとしゃがみこみジェノと目線を合わした。面白そうに観察するような色が浮かぶ瞳に、本当はカルシェンツの館に遊びに来たどこぞの御曹司なのでは?という考えが浮かんだ。
「どうもぉーベリオン様の一番の部下、ヒョウン・ガウンといいます。以後お見知りおきを、小さなお客さん」
あ、ちゃんと使用人なのか。ベリオンさんの部下って事は護衛なのかな?『一番』という部分を強調しているのが気になるが。
「初めましてヒョウンさん。僕はジェノ・モーズリストです。ジェノって呼んでください」
「了解ですジェノ様、今後宜しくしてください。それにしてもどうですかこのプール、楽しんでます?いやぁ、初めて見たときは無駄なものに金と時間を掛けて王子様は何やっているんだと呆れたんですがね、いざ遊んでみたら俺ヤバイくらい興奮してはしゃいじゃってベリオン様に叱られちゃったんですよ・・・確かに娯楽も大事ですよねぇ、やっぱ王子様は色々凄いなってこの間再確認しました。あぁ結局何が言いたいかっていうと、ジェノ様もバンバン楽しんで下さいってことですわ、ね!」
「あ、はい・・・そうします」
ジェノとの接触を避けようとしている他の使用人とは異なり、あっけらかんと話すヒョウンにジェノは驚きを隠せない。館に招かれた客人に対しここまで自然体で会話してくる者は珍しく、まるで気心のしれた相手のようだ。モーズリスト家の使用人達も皆こんな感じにくだけているけれど、王家に仕える者でこの態度は許されるものなのだろうか?
彼だけが特別なのかと考えを巡らせていると、「ジェノ様って変わってますね」と頬杖をつきながらヒョウンが言う。
「変わって?えっと、どこがですか?」
「そういうところがです」
いや、どういうところだよ。
右目に掛かった黒髪を指で弄びながら「そのパーカー格好良いですね、よく似合ってます。ジェノ様今朝は何を食べました?」とにんまりした笑顔で尋ねられる。
「これ気に入っているんです、ありがとうございます。えっと今朝は――、豚汁と冷奴でした」
普通に答えただけなのに「面白いですね、ジェノ様は。少し納得しました」と一人で満足そうに頷き握手を求められる。
駄目だ・・・この人意味がわからない。なにがそんなに面白いのだろうか。
クスクス笑うヒョウンにジェノは戸惑い目を瞬かせた。笑われているのだが馬鹿にしたような笑ではなく、心底楽しそうな笑いなので戸惑うが嫌な感じはしない。
「ではではジェノ様、くたくたになるまで遊び尽くして素晴らしい思い出を作って下さいね」
「あ、ちょっと待ってください!」
このまま去られたのでは気になって遊びに集中出来ない。咄嗟に腕を掴み「どこが変わっているのですか?」と問いかけると、ゆるゆると金色の瞳を見開いた。不安気に見つめるジェノの頭にポンっと掌を乗せ、何を考えているのか分からない顔で微笑まれる。
「わからないんですか?」
「ヒョウンさんとの会話に特におかしいところは無かったと思います。僕のどこが変に感じました?」
「変ではありません、貴族ぽくないというだけです。ジェノ様は冷たく凍った頑固な氷の心をいとも簡単に溶かすほど素敵な方ですよ。そうですよね、王子様」
「勿論だ、ジェノ君は世界一素晴らしい神以上の存在だ。それよりもヒョウン、その手を即座に退けろ、切り落とすぞ。私の親友に気安くに触るな、減給だ」
「痛い痛い痛い!ペンチで挟むの止めて下さい、マジで潰れますからっ」
振り返ると、なんの為に持ってきたのか不明のペンチを握り締めたカルシェンツが仁王立ちしていた。ビーチボールを脇に抱え、走って来たのか息を切らせた様子でヒョウンを睨みつける。
「ちょっとこれ以上王子様の機嫌が悪化するのは勘弁なんで、俺帰りますね。ではジェノ様、またお屋敷でお会いしましょう。さようならー」
言うが早いかヒョウンは甚平を翻し、左手を抑えながら軽やかにその場を去っていく。掴みどころのない男だな、というのがジェノの彼に対する第一印象だった。
「あいつが初対面の相手に話しかけるとは珍しいな、今日は余程機嫌がいいのか・・・ジェノ君、何か失礼な事を言われなかったかい?というより私以外と会話してはいけないといつも言っているでしょう?もぉ~ダ・メ・だ・ぞ!」
「毎回毎回その洗脳みたいなのいい加減にやめろ、鬱陶しい。誰と話そうが僕の勝手だろ、お前だって僕以外と話すクセに」
「えっ!・・・そ、それは――ヤキモチかい!?ヤキモチだよね?もしくは嫉妬!」
「は?何言って――」
「ジェノ君は大親友の私を束縛したいんだ、そうに違いないっ。『カルシェンツは僕だけの親友なのに寂しくて死んじゃうよぅ』という事だね?安心するといいジェノ君、私の懐にはジェノ君が入るスペースしか存在しないからね。ふふっ、いいよ・・・さあ、私をがんじがらめにジェノ君の腕で縛ってくれ、さあっ!」
何こいつマジでキモイんだがどうしよう。
「僕がいつヤキモチなんて妬いたんだよ、頭大丈夫か?お前でヤキモチ妬くことなんて絶対ない!」
早くプールに流して少年のイカレた頭を冷やしてやらなくては。
すぐさま興奮して抱きついてくるカルシェンツを巴投げでプールに叩き落とし、戯れあいながら流れるプールを二人は堪能した。
ビーチバレーではカルシェンツにどうやっても勝てず、ベリオンを巻き込み際どい反則技でなんとか勝利をもぎ取った。反則と言ってもジェノと審判のベリオンが仲良く会話していたらカルシェンツがヤキモキし、ベリオンへボールをぶつけ集中攻撃した為、全部アウトの判定にしただけだ。
審判への攻撃は本来なら一発退場だ、完全にカルシェンツが悪い。まぁこうなるように業とベリオンさんを満面の笑みで褒めちぎったりしたんだけどね、ちょろい奴だ。
でもベリオンさんには悪いことをしてしまった。
ごめんなさいもうしません・・・多分。
気が付けば空は夕焼け色に染まり、暖かなオレンジ色を反射する水がゆらゆらと光を帯びる。
「綺麗だな・・・」
「ジェノ君の方が百億万倍綺麗で神々しいよ。特にその口元の黒子が美しさを演出している」
「はいはい、ちょっと黙っててくれ。眼科行きなよ」
心底不思議そうに「私の両目とも2.5だから眼科は必要ないよ?」と首を傾げるカルシェンツに背を向け、ジェノは速度を上げて距離をとった。
くっそ、普段からカルシェンツには褒められ慣れているが、あんな輝いた笑顔で言われたらさすがに照れる。絶対に顔や態度には出さないが惚れた相手に言われて嬉しくないわけがない・・・まぁセリフが臭すぎてかなり引くが美形のため様になっているのが厄介だ。
無駄にキラキラしやがって、心臓に悪いんだよ!
ごまかすように身体が冷えたのを口実に上がると告げると、心配され屋敷で休んで暖まろうと肩を引き寄せられる。一々距離が近い事に内心ドギマギするものの、憎まれ口を叩きながら冷静に腕からすり抜けた。
三日間四六時中一緒とか、不安で仕方がないぞ。本当に大丈夫かなぁ、僕・・・
今度隣に銭湯も建設しておくと軽く話すカルシェンツに、若干の恐怖を抱きつつ城のような屋敷へと向かう。数百M離れた位置に存在する薄緑色のお城はライトアップされ、悠然と佇みジェノを迎えた。
中で出迎える使用人は一糸乱れることなく列をなし、玄関ホール中央の階段を上りきっても誰ひとり下げた頭をあげようとはしない。
おぉー凄い、まるで王子様にでもなった気分だ。あ、隣にいるの本物の王子様なんだった。
夕食の時間にはまだ早く、用意された三階のジェノ専用部屋に案内される。
三日分の荷物が中央に置かれ、よくよく見ると高級と分かる家具がセンスよく配置された広い部屋は、嫌味がなくジェノは一目で気に入った。廊下や玄関の内装も品良く纏まり、気づきにくいところに拘りの装飾が施されているのが素晴らしく、カルシェンツのセンスの良さが滲み出ている。
一般の貴族によくあるゴテゴテした豪華な屋敷は落ち着かないもんな。
「いい部屋だな、ありがとう。でも、ベットは別室なの?見当たらないけど」
「奥の部屋にあるよ。キングサイズでね、ふっかふかなんだ!」
「へぇ~」
「落ちたりしないだろうけど、二人で中央に寄って寝ようね!」
「・・・うん?」
「枕投げ楽しみだなぁ、布団に入ったら『暴露トーク』というものもするんだ!」
「ちょっと・・・待って」
「トイレで起きたら遠慮なく起こしてくれ、お化けから守ってみせるよ。怖かったら手をつないで寝ようか?」
「寝ないからな!絶対に僕は寝ないからなっ!」
「え?寝ないで起きてるの?確かに寝たらもったいないもんね。私もジェノ君とずっとおしゃべりしてたいな!」
ちっがーう!お前と一緒に寝ないという意味だっ!何で勝手に同じベットで寝ることが決定しているんだよ、おかしいだろ。
目を輝かせて夜の計画を語るカルシェンツは心底楽しそうに歩き回り、ジェノの否定の言葉を完全にスルーしていった。なんとか回避を試みるが、お泊まり会で一緒に寝ることは当たり前の光景で『正式なルール』だと力説される。
そうなのか?友達の家でお泊まり会など初めての経験でよく知らないのだが、僕が無知なだけで実際にそんな仕来りがあるのだろうか?ベリオンさんが全く目を合わそうとしないのがとても気になるんだが・・・
そのまま押し切られたところで老練な執事が夕飯に呼びに訪れ、釈然としないまま階下へと赴いた。
切れ長の目が只者ではない雰囲気を醸し出している執事は、ジェノに一礼すると後ろへさがりベリオンと手話で会話し始める。
カルシェンツから屋敷で最長の執事だと説明されたタイレン・テイクは、銀色に見える白髪をオールバックで纏め、厳格な態度が周りの空気をピシリと引き締めていた。彼の動作は流れるように美しく、手話の動きに見蕩れてしまう。
老いても衰えない鍛え抜かれた肉体にダンディな顔立ち、体はそれほど大きくないがジェノは威圧感すら感じた。
かっこいいなぁ。この執事さんも僕の筋肉ウォッチリストに登録しとこうっと・・・ん?
見つめるジェノに構わず業務連絡や世間話を手話で交わす二人。
その中で、気になる単語が目に入った。
『またですか?』
『ああ、使用人を引き連れて門の前にな。全く厄介な訪問者だ』
『どうしましょう。報告いたしますか?』
『いや、今は思う存分楽しんで頂きたい。我々で対処しよう』
恐らくベリオンもタイレンも知らないのだろう、ジェノが手話を理解出来る事を。
「ジェノ君、どうしたの?」
そういえばカルシェンツも知らないかもしれない。
ベリオンときちんと会話したいと考え、秘密裏に手話をメロスに習ったのだ。
驚かせようと内緒で勉強したおかげで二人の手話でのやり取りは大体が理解できた。しかし、そのおかげで余計な事態まで知ってしまうことになる。
『今日お忍びで会う約束をしたと言っていてな・・・カルシェンツ殿下に取り次いでくれと騒いでいる』
『先週は未来の夫の世話を今の内からすると言っていましたね。カルシェンツ様が将来を誓ってくれた、と』
『ああ、本当に困ったものだな―― 婚約者令嬢というのは』
その言葉にガツンと頭を殴られた様な感覚を味わう。
瞬間的に息をのみ目を逸らしたジェノは、心配そうに見つめるカルシェンツに小さく首を振り、無言でテーブルの席に付いた。
『婚約者令嬢』
頭を占める言葉は次第に息苦しさを運び、胸に靄とドロリとした黒い液体をかける。
部屋を見回すと後ろからついてきていたベリオンの姿が見えず、先ほどの会話から門へ向かったのだと推測出来た。
カルシェンツの婚約者が訪れている門へ――
ベリオンさんが動くほど、重要な相手なのかな?婚約者だから当たり前か・・・
針で刺される様な痛みが胸を襲い、此方を見つめるカルシェンツにジェノは心の中で小さく詫びる。
『お前でヤキモチ妬くことなんて絶対ない!』
ごめんなカルシェンツ、僕は嘘をついたみたいだ。
カルシェンツに告げたあの言葉、あれは間違いだった。
今僕の心にはこんなにも苦い感情が渦巻いている。これは・・・間違いなく『嫉妬』なんだろうな。
婚約者は一体何をしに来たんだ。
約束って何なんだ。
今日僕と過ごすよりも、それは大事なものなのか。
本当に・・・その子と将来を誓い合ったのか――?
ジェノは潰れそうに痛む胸を、強く掴んだ。
お読み下さりありがとうございます。
次話は別キャラ視点になる予定です。
変更するかもしれませんが、よろしくお願いします。




