8記憶
璃久は学校が終わってすぐに家路を走り、息を切らして階段を駆け上がった。部活動をしていないという事実が普段は彼の運動不足を作っているが、今はただ早く学校から出られることがありがたかった。
昨日と同じ、階段の中間地点である踊り場に着く。しかしそのときには、璃久はミュオが居るかどうかを確認するよりも、膝に手をついて息を整えようと必死だった。
やっと呼吸が普段のリズムを取り戻し、璃久が顔を上げたとき。
しかし今朝通ったときと同じで、踊り場の東側には誰も座っていなかった。
「ミュオ、居ないな……」
「居るよ」
「うわっ」
唐突に後ろから声をかけられて、璃久は肩を跳ねさせる。勢いよく振り返ると、祠の前に人好きのする笑みを浮かべたミュオが立っていた。璃久と目が合うと、控えめに手を振る。
「普段は外に出ていないからね。呼んでくれないと気がつかなくて」
ミュオは目を逸らし、肩をすくめる。改めて見ると一つ一つの動作が人間じみていて、璃久は神様というのは案外近い存在なのかもしれないとぼんやり思った。
「そうなんだ。じゃあ、次は呼んでから探すようにするね」
ミュオは、璃久の言葉を聞いた途端何故かぽかんとして、何も言わずに璃久を見つめた。璃久は、気が付かなかっただけでミュオにとって何か悪いことを言ってしまったのかと思って、だんだんと下を向く彼の顔を覗き込む。しかし、ミュオは一拍置いてはっと璃久に向き直った。
「うん、”次”はそうしてくれるとありがたい」
彼の言葉に安心してしっかりと頷いた璃久を見て、ミュオは今度はなんだかむず痒そうな表情になった。それから、二人はどちらからともなく昨日と同じように踊り場から足を垂らし、話し始める。
通っている高校のこと、人間の生活について。ミュオが知りたいと言った話題を、璃久は身振り手振りをつけて楽しげに語った。友達や家族と話しているときは聞き手に回ることが多いから、璃久にとって新鮮な感覚だ。
ミュオは時折眼を閉じて彼の話に聞き入り、手を背中の横に回して体重をかけた体勢で、足をゆっくり振りながら相槌を打った。
「そういえば、ミュオはどうやって生まれた神様なの?」
ふと、璃久がミュオを見る。ミュオは腕を組んで閉じていた眼を丸くすると、また細めて、ぽつりと語った。
「人類が恐竜から逃れるために私が生まれたんじゃあなかったかなあ」
「ダウト」
「えー」
璃久が食い気味にミュオに人差し指を突きつける。ミュオは唸りながら身体を前後に揺らした。
「じゃあ、豊富秀吉殿が天下統一を成し遂げようと私に祈ったのかも」
「ダウト!」
「えぇー」
ミュオは曖昧な笑みを浮かべて、彼にしては珍しくおぼつかない返事を繰り返す。
「あなたは何の神様なんだよ!? そもそも数百年前に生まれたって言ってたんだから、恐竜はおかしいって」
「バレちゃったかあ」
ミュオはわざとらしい笑い声をあげると、腕を組み直した。
「言いたくない、わけじゃなさそうだよね」
璃久が彼の様子の違和感に気がついて、眉間に皺を寄せる。ミュオは眼を泳がせた後、ぽつりと呟いた。
「……どうやって生まれたか、覚えてないんだあ」
口調とは裏腹に思いの外深刻そうにミュオが言うものだから、璃久も少し申し訳なくなった。仕方がないとはいえ、どこに地雷が埋まっているかというのはわからないものだ。
確かに、自分がいつ、どこでどのようにして生まれたのかわからないというのは、生きている年数が短い璃久にはわからない感覚だ。心細いだろうし、璃久だったら思い出したいと思うだろう。
「じゃあ、さっき言って思ったけどミュオはなんの神様なの?」
「……それも、覚えてない。ただ、祠があるってことはどこかに私を祀った神社があるのかなって」
ミュオは俯いて、組んでいた腕をほどいて膝の上で手をいじっていた。彼の声音は、意識して聞くとかなり不安そうで。この話題が、彼にとってまだかさぶたにもなっていない傷なのだと璃久は気が付いた。
「記憶喪失……ってこと?」




