4タコ
「私は、ミュオって呼ばれているよ」
はぐらかされるかもしれないと思ったが、彼は素直に名前を教えてくれた。璃久はミュオという名前を小さく復唱して、頷く。これが、彼を表す固有名詞で、この出会いを証明してくれる鍵。
人の名前を新たに知ると言うのは、いつでも不思議な感覚になるものだ。初めて聞いたときには、その人の顔と名前が一致しないのに、呼べば呼ぶほど、その空っぽだった固有名詞に色がつく。思い出の数だけ、その人の人格が見えてくる。
「綺麗な名前だけど、日本の神様って……普通なんとか大明神みたいな名前じゃないんですか?」
「……神っていうのは人々が信じるから存在していられるんだ。だから、人々の解釈によって姿を変える」
「つまり……?」
なんだか詩人な表現をした彼の言わんとすることがわからずに、璃久は問いかける。
「つまり、誰かが『この神様、タコに似てる』って思ったら、私はタコになる可能性がある」
「例えが雑すぎる」
それでもなんとなく言いたいことが伝わって、璃久は思わず苦笑した。ミュオが大真面目に言うものだから、なおさらおかしかった。ミュオはそんな璃久の様子を微笑んで見ていた。
璃久がまた頭に浮かんだ話題を話しだすと、ミュオはわざとらしく面倒くさそうにしながらも、楽し気な雰囲気をまとって応えてくれた。
そうしているうちに璃久は、彼とできるだけ長く一緒に居たいと思い始めた。そうして、あわよくば「友人」という肩書を背負わせて繋ぎ止めたいと。いつのまにか、この短い時間でミュオは、璃久と何年かを共に過ごしている友人たちよりもずっと、璃久の興味をひいていた。
彼が神様を自称したからではない。
もしミュオがただの人間だとしても、璃久はミュオと言う存在に、出会うことは必然だったのではないかと疑うほどの魅力を感じていただろう。今璃久は、柄にもなく運命の存在を感じていた。
聞くにミュオは、数百年前からこの地に居て、時々祠から出て外の様子を見ているらしい。彼はそのとき気に入った人間が居れば神隠しに遭わせることもあると璃久を脅したが、璃久には効かない脅しだった。璃久はむしろ、この世界で悪戯な運命に翻弄されるより、ミュオと共にそれを眺める側に立つ方が魅力的に思えていたのだ。
璃久は、まだ十七年間しか過ごしていないこの世界に、未練という未練を感じていなかった。もちろん、生きてはいたいけれど。
璃久にはどうも、どうしても生きてやりたいこととか、生きなくてはいけない特別な理由がわからなかったのだ。
いわゆる中二病の延長線上のものなのだろうと、璃久は周りにそれを訴えることを中学生の時点で止めていたが。本質の思いは変わらないまま生きていた。
「そういえば、信者第二号は服を見るに学生だよね。帰らなくていいのかい?」
「名前教えたはずなんだけど」
この階段の下には住宅地が広がり、その先に川、さらに奥には雑木林が見える。しかしその上の空に、いつの間にか夜の帳が下り始めていることに、ミュオの言葉で璃久はやっと気が付いた。
「あっ、いつも家に帰ってる時間とっくに過ぎてる……!」
璃久はあわてて立ち上がり、ミュオを振り返った。
「明日も、ここにいる?」
「うん、きっと」
ミュオはすっかり璃久を警戒した様子もなくなって、やわらかく笑った。
「じゃあ、また」
璃久は小さく手を振って、ミュオに背を向け、階段を上り始めた。
「またね、璃久くん」
階段を上る途中、風と共に吹いた彼の声に振り返ると。
踊り場にはもう誰もいなかった。




