第4章 オープンキャンパス 大学すげぇ!
5月5日。
世間はゴールデンウィーク中だが、キャンパスは賑わっていた。
オープンキャンパス。
あちこちを、高校生たちがざわざわと歩いている。
保護者と一緒に来ている人もちらほら。
俺は高校の時に参加しなかったから、この空気を味わうのは初めてだ。
だが、参加者たちの少し浮ついた感じは理解できる。
あの頃は、大学というものが今よりずっと遠い場所に思えていた。
「葵~!」
聞き慣れた声がした。
振り向く。
「おはよう」
「おはよー」
真帆が手を振りながら近づいて来た。
「午前、受付担当でしょ?」
「うん。1年生は終日雑務らしいからな」
「それも、ちょっと楽しそうじゃない?」
そう言って笑う。
「高校生いっぱい来てるし」
「そうだな」
「私、去年まで高校生だったんだよね」
「俺もだよ」
「なんか変な感じ」
今日は見慣れた大学が、少しだけ華やかに見える。
「私たち、もう完全に大学生なんだね」
「急にどうした」
「いや、なんとなく」
こういう何気ない会話ができるのも、現状に少しずつ慣れてきたからなんだろうな。
「葵」
今度は後ろから。
知佳の声だ。
「おはよう」
「おはよ…」
振り返る。
そこには知佳と――もう一人、女の子が立っていた。
今日、妹さんが来ると言っていたが…
「妹の、ま…」
紹介されている最中の女の子はこちらを見て、目を丸くしている。
……いや、こちらは見てない。
その子の視線は少し先、校舎の入口あたりに向いていた。
「うわ……」
小さく呟く。
…何だ?
そちらを見ると、そこには恵先輩がいた。
だいぶ見慣れてきたはずだが、やはり美しい。
雑多な大学キャンパスで、その存在だけが浮き出て見える。
「茉優、どうしたの?」
「すげぇ!」
女の子――茉優ちゃんは、先輩に視線を受けたまま声を張った。
「メチャクチャ綺麗な人が普通に立ってる!」
声が大きい。
「大学すげぇ!」
「ちょ、ちょっと、落ち着いてよ」
知佳が困った顔をする。
助けるように真帆が声をかける。
「知佳の妹ちゃん?」
「はい!」
俺たちのほうを向いて、ぺこっと頭を下げた。
「臼田茉優です!高校2年生です!」
「私は寺沢真帆。知佳と同じ1年生だよ」
「じゃあ、お姉ちゃんの友達ですか?」
「友達、だよね?」
「…うん」
「やった!」
真帆は嬉しそうだ。
「俺は如月葵。知佳と真帆と同じ1年生。知佳とは学科も一緒だよ」
「よろしくお願いします!知佳の妹の茉優です!今後も姉をよろしく!」
明るくて、よく喋る。
楽しくて、可愛いらしい子だ。
うなじあたりで一つ結びにした黒髪がぴょんぴょん跳ねる。
初対面から数分だが、仲のいい姉妹なのが伝わってくる。
それから俺たちは、それぞれの担当に分かれた。
受付。
資料配布。
会場案内。
高校生からの質問対応。
1年生は、基本的に雑務だ。
そんなことをしているうちに、いつの間にか正午を過ぎていた。
オリエンテーションを終えた茉優ちゃんが戻ってくる。
「学食行きたい」
第一声がそれだった。
「お腹空いたの?」
「空きました!」
「高校生って元気だねえ」
真帆が笑う。
「だって朝から来てるんですよ?」
「それもそうか」
そうして、1年生チームは一緒に学食へ向かった。
今日は休日だが、オープンキャンパスなので学食も営業している。
むしろ普段より気合が入っている気がする。
「私はこれ!」
茉優ちゃんがメニュー指差す。
「唐揚げ定食!」
「高校生っぽいね」
「高校生ですから!」
真帆は茉優ちゃんと既に友人の域だ。
「葵はどーするの?」
「日替わり定食。今日は生姜焼きか」
茉優ちゃんが知佳を見て。
「姉ちゃんは?」
「うーん、私も日替わりで」
各々食券を買って定食の窓口へ。
今日は全員、同じ窓口のようだ。
みんなしっかり、茉優ちゃんをエスコートしている。
…まぁその主役は特に気にしていないというか、気づいていないようだが。
「美味しい!」
「まぁ、学食だよ」
「大学の学食ってなんかアレじゃん」
「アレってなに?」
「安いし量多いし、美味しい」
「良かったよ。気に入ってもらえて」
臼田姉妹の会話に、皆が笑顔になる。
知佳って、こんな風に笑うんだ。
「仲のいい姉妹だな」
「まぁ…長い付き合いだし」
「そりゃそうだ。17年くらいか」
「妹が生まれた時には、まだ物心ついてないけど」
「それもそうか。けどまぁ長い付き合いなのは間違いない」
「2か月前まで同じ家に住んで、同じ高校通ってたし」
「そりゃ長くて深い付き合いだ」
そのとき。
斜め前にいる茉優ちゃんと目が合った。
いや。
正確には、少し不思議そうな顔で俺のことを見ている。
「どうかした?」
「いえ、大丈夫です」
「そう?」
「はい」
なんだろう。
知らない年上に囲まれて、多少は緊張しているんだろうか。
(姉ちゃんが普通に男の人と喋ってる!)
(やっぱ大学すげぇ!)
そんな心の声には、誰も気づかない。
午後。
参加者の案内担当だった俺は、茉優ちゃん担当に指名された。
「いや、そこは知佳なんじゃ…」
「高校生が未知の大学生活を疑似体験するんだよ。隣がお姉さんじゃつまんないじゃない」
恵先輩が微妙に意味不明なことを言う。
「そういうものですか?」
「そういうもの」
「俺は別にいいですけど、本人は…」
「よろしくお願いします!葵くん!」
「問題ないみたいだよ」
「…そうですね。問題ないみたいですね」
俺、こういうコミュ力高いタイプに弱いのかな。
まぁ嫌な気はしないけど。
……
13時、午後の部がスタート。
体験講義ということで、参加者は希望する講義を受ける。
「茉優ちゃんは何にしたの?」
「これです!」
見せてもらったパンフレットには、
『わが国の未来を担うバイオテクノロジー』
と書かれていた。
「お」
高校生向けの、いかにもキャッチーなタイトルだ。
が、実は俺が受けてる専門科目の簡易版だったりする。
「姉ちゃんと葵くん、こういうの勉強してるんですか?」
「うん、そうだよ」
「へえ…」
茉優ちゃんは興味深そうに教室を見回した。
60分のショート講義。
コンパクトだが、高校生には刺激的だろう。
なるほど、呼ぶ方もしっかり考えてる。
満足げな茉優ちゃんを見て、俺もなんだか嬉しくなる。
講義が終わる。
「面白かったです!」
「それならよかった」
「次は、どこ行けばいいですか?」
「えっと…あぁ、そんな遠くないよ。行こう」
「はい!」
15分のインターバル後、次の講義。
茉優ちゃんの選択は『人類の歴史と醸造』
……あ、これって。
知佳に少し前に聞いた「お母さん、かなり呑む」を妹も証明してきた。
「お母さんの影響?」
「え、なんで?」
「知佳に聞いてるよ」
「ほう、そうなんですか」
茉優ちゃんはよくわからない顔をしていた。
まあ、理由はどうあれ。
高校生で興味ある学問があるのはいいことだ。
その後は学内案内。
実行委員が先導し、キャンパス内を巡る。
学生ホール。
図書館。
体育館。
学食。
そして16時すぎ。
予定を終えた茉優ちゃんが、知佳に駆け寄っていく。
「もっと見たい!」
「もういっぱい見たでしょ」
「学食もっかい行きたい!」
「4時間前に食べたばっかりじゃない」
「じゃあ図書館!」
「そこもさっき見たでしょ」
「じゃあ―――」
「もう帰るよ」
「えー」
「今日はウチ、泊まってくんでしょ」
「うん、明日の夕方までに帰ればいいから」
今日は姉妹でお泊まりらしい。
…と、不意に茉優ちゃんが俺に向き直る。
「葵くん!」
「ん?」
「また遊びに来てもいいっすか?」
「大学に?」
「うん!」
「まぁ、来年もオープンキャンパスあるしな」
「それ遠い!遊びに来ます!」
「遊びに?」
「そう、個人で!」
「それは、知佳と来ればいいんじゃない?」
「じゃあ、姉ちゃんもよろしく!」
「え、私?」
「うん!」
知佳が困った顔をする。
…が、やはり妹には甘いようで。
「…わかったよ」
茉優ちゃんが喜ぶ。
「葵くんと真帆ちゃんも遊んでくださいね!」
その笑顔につられて、また皆が笑顔になる。
帰り道。
茉優と知佳が少し前を歩いている。
「姉ちゃん」
「何?」
「今日、めちゃくちゃ楽しかった!」
茉優ちゃんが破顔する。
「大学って、もっと怖いところだと思ってたけど、なんか普通に楽しいところだった」
「別に怖くはないでしょ」
「学食いい感じだし、図書館でかいし、変な講義あるし」
「変な講義って…」
「だって醸造だよ? 高校じゃ絶対ないじゃん」
「それは、確かに」
知佳が少し笑う。
…その様子を、俺と真帆は後ろから見ていた。
「本当に仲いいね」
「ああ、本当に」
普段の知佳は、まだ少し緊張しているようにも見える。
でも、茉優ちゃんといるとよく喋るし、よく笑う。
俺たちの知らない素顔が次々出てくる。
姉妹なんだな。
駅へ向かう道。
臼田姉妹は最後までよく喋っていた。
今日見たもの。
講義、学生ホール、図書館、体育館、学食。
そして、大学の中で見かけた人たち。
何でも面白そうに話す。
やっぱり元気で楽しい子だな。
少し歩いて、駅に入るところで茉優ちゃんが小声で知佳に話しかける。
「そういえばさ」
「何?」
「学食でね」
「うん」
「姉ちゃんが男の人と自然に話してるの見て、ちょっとびっくりだった」
「…………」
知佳の足が、ほんの少しだけ止まった。
「…そう?」
「うん」
「…普通に話してただけだと思うけど」
「午後、葵君に案内してもらったけど」
「え、うん」
「初対面の年上男子なのに話しやすいし、さり気に優しかった」
「そうなんだ」
「うん。いい人だと思う」
「……」
知佳は少しだけ黙って。
少し離れて後ろを歩く俺を振り返る。
ふと目が合う。
「ん、どうかしたか?」
「……何でもない」
「そう?」
「うん」
知佳は目を逸らした。
そして――。
もう一度だけちらりと俺の方を見た。
「じゃあね、葵くん! 真帆ちゃん!」
駅に着くと、茉優ちゃんは満面の笑顔でぶんぶんと手を振った。
「またね、茉優ちゃん」
「気をつけて帰れよ」
「はーい!」
茉優ちゃんは元気よく返事して、知佳の腕を引っ張った。
「ほら、姉ちゃん行こ!」
「ちょっと、引っ張らないでよ」
「晩ごはん、一緒に作ろ!」
「はいはい」
2人が歩いていく。
階段に差し掛かる。
すると今度は、知佳のほうから小さく会釈した。
俺は軽く手を上げる。
そして、2人の姿がホームに消えていった。
「…真帆が言ったとおりだったよ。楽しかった」
「うん」
真帆も笑顔だった。
入学して1か月ほど。
最初、大学は講義を受けるだけの場所だった。
でも。
友達ができて。
一緒に昼を食べて。
毎日サークルに行って。
そして今日は、高校生の女の子と一緒に大学を歩いた。
なんだかんだで。
俺の生活は、楽しくなってる。




