第10章 初めての夏、河口湖 (前編)
8月3日
朝7時すぎ、新宿駅西口。
俺たちはバスを待っていた。
すでに動き出している街に、楽器と大荷物を持った集団。
景色から浮きそうなものだが、元から雑多な街だからか。
不思議に溶け込んでいるような変な感覚。
これから、河口湖へ向かう。
ototteの夏合宿。
6泊7日。
大学生になって初めての夏休み。
集合場所に集まるメンバー。
美月先輩もスネアを持ってきている。やる気だ。
他のメンバーも大きなリュックやバッグ、スーツケース。
釣り竿らしきものも見える。
「……荷物、多すぎないか?」
「1週間だからね」
「それにしても多くない?」
「着替えにスキンケアにメイク道具に靴も3種類」
なるほど、女子は大変なんだな。
だが当の真帆はもう、楽しそうだ。
7時20分、バスが到着。
荷物を詰め込み車内へ。
1台のバスに35人。
全員が座席に収まると、車内はほどよい騒がしさに包まれた。
後ろの席では、1年生たちが何やら話している。
前の方では、先輩たちが今日の予定を確認していた。
恵先輩は笑顔。
美月先輩は座った瞬間から寝てる。
真帆は周りと楽しそう。
知佳は窓の外を見ている。
そんな様子を見ているウチに定刻。バスが動き出す。
新宿のビル群が、ゆっくり後ろへ流れていった。
知らない場所へ。
そこで、いつもとは違う仲間たちとの、1週間。
俺は窓の外を眺めながら、胸の奥がそわそわするのを感じていた。
…どうしよう。
もう楽しい。
10時前、目的地に到着。
河口湖近くの民宿。
今日から1週間、ここで過ごす。
否応なしにテンションが上がる。
「うおー!」
「着いた!」
「空気うまっ!」
「腹減った!」
男勢は暗黙の了解で機材を運び、民宿へと搬入している。
俺もそれを手伝い、民宿に入る。
思っていたより大きい。
建物自体は少し古いが、木と畳の匂い、妙に居心地が良い。
サークル幹部が宿の人たちに挨拶に行く。
その後、メンバーが集められ、簡単な説明があった。
朝食は8時、昼食は12時、夕食は18時。
お風呂は離れにあり、17時から24時までの好きな時に入る。
そして、部屋割り。
2階が男子フロア兼練習室フロア、3階は女子フロア。
1階には大きな集会室。
食事もこの部屋らしい。
「この部屋、夜もずっと使っていいんだよ」
恵先輩が教えてくれた。
「毎晩ここだね」
「毎晩?」
「毎晩」
「……」
少し嫌な予感。
でも、やっぱり楽しそう。
午前中は、各自の部屋で荷物整理。
1年生と2年生は、広い和室で全員雑魚寝らしい。
壁際に荷物を並べ、だいたいの寝る場所を決める。
自然と先輩たちが上座になり、俺は襖のすぐ前になった。
夜中にトイレへ行く人間がいたら、確実に踏まれる位置だ。
まあ。
男子部屋なんて、どうせ適当だ。
そして入口付近に1年生が集まってるから、これは夜中の男子トークも捗りそうだ。
そんなこんなですぐに12時になり、昼食。
今日は牛丼と味噌汁と香の物。
広い部屋でみんなで食べるご飯はいいものだ。
13時から活動開始。
俺たちは、いつものメンバーでセッションすることになった。
美月先輩の刻むリズムを中心に、皆が音を紡ぐ。
慣れ親しんだ顔ぶれと音。
知らない土地でも、安心感がある。
日常から離れても、ここにはいつもの音がある。
ふと隣を見る。
持参したキーボードを弾く知佳。
このバンド結成時にはこわごわといった感じだったが、たいぶ慣れてきたようだ。
真剣。
そして楽しそう。
俺はそれを見る。
――やっぱり、こいつ音楽好きなんだな。
普段の知佳とのギャップ。
「なんか怖そう」だった女の子が、楽しそうに音楽しているのを見ると、俺も嬉しい。
16時半、一旦音楽活動終了。
夕食のバーベキューの準備が始まる。
釣り竿を持った先輩が釣り場に向かい、それを追いかける者が数人。
アウトドア慣れした男子勢は、他大勢を従え設営と火おこしの準備にとりかかる。
女子勢は恵先輩の指示のもと、食材の準備。
肉に野菜、魚介、焼きおにぎり用のご飯。
魚と言えば、先輩によると、このあたりではニジマスが釣れるとか。
真帆は魚が楽しみらしく、
「釣りたての魚、本当に食べれるのかな?」
「たいてい釣ってきてくれるから、食べれるよ」
美月先輩が力強く答えてくれる。
「鉄板で焼くんですか?」
「塩振って串に刺して、炭火で直焼き」
「何それ最高」
既にあちこちで笑い、騒ぎ、そして煙が立ち上がる。
女子が肉を、野菜を切り、男子が火を起こす。
恵先輩は意外と料理の手際が良い。
「恵先輩、料理できるんですね」
「普通にならできるよ。なんで?」
「いや、なんとなく、もっとこう……」
「こう?」
「誰かに作ってもらう側かと」
「うーん???」
「あ、いや、何でもないです」
横では知佳が真面目に野菜を切っていた。
周りで、真帆が写真を撮りまくっている。
「何をそんなに撮ってるんだ?」
「思い出だよ」
「まだ何も始まってないぞ」
「準備も思い出、っていうか、それでもう始まってるんだよ」
そういうものらしい。
まぁ、わからなくもない。
そして18時、バーベキューが始まる。
いい具合に焼けた肉と野菜の串を、海老や帆立を、ウインナーを、皆が頬張る。
「熱っ!」
「うま~!」
「塩コショウ取って!」
「ビールもうないぞー!」
あちこちから大声が聞こえる。
夏の夕方。
湖畔の風。
炭火の匂いと、途切れない笑い声。
俺はオレンジジュースを片手に、その喧騒に身を任せる。
これが大学生の夏休みか。
「7匹ゲットー!」
釣りチームが、なかなかの成果を掲げつつ帰ってきた。
拍手が起き、また場が沸く。
アウトドア勢が粛々と魚の下処理を始める。
その横で、真帆の目が輝いていた。
尻尾があればブンブン振ってそうだ。
…と、斜め後ろから、
「ほら、食べな」
不意に美月先輩が豚バラピーマン串を目前にかざす。
皿に取ったエリンギバターを食べていた俺は
「自分で取りますから」
「先輩の言うことを聞く」
「理不尽だ」
「恵が焼きそば作ってる。たぶんもう肉のストック無いんだよ」
「優しい先輩に恵まれて幸せです」
「でしょ?」
得意げだ。
そんなくだらないやり取り。
ふと調理チームを見ると、恵先輩は両手にヘラを持ち、焼きそばを煽っている。
その脇で、鉄板を前に悪戦苦闘している知佳。
酔っぱらった先輩たちと、魚を手に盛り上がってる真帆。
魚の写真もばっちり撮っている。
みんな楽しそうだ。
もちろん、俺も。
20時、バーベキュー終了。
全員で片付けを始める。
ゴミをまとめ、鉄板を洗い、道具を片付ける。
それが終わったら、あとは自由時間。
風呂に向かう者。
居室でスマホを弄る先輩。
カードゲームを始める1年生。
すでに寝に入る先輩もいる。
そして、
1階入口横の和室では、毎晩開かれるという宴会の準備。
集会室からはいくつかの音が聞こえてくる。
いろんな場所から、話し声と、笑い声と、楽器の音。
音楽サークルの合宿の夜、こんな感じか。
胸が躍るな。
…そして今日の俺は、美月先輩に誘われて宴会に参加。
「こういうのも、処世術」
「?…はぁ…」
「結局、同じメンバーで固まりがちだし。せっかくだからこういう時にね」
「なるほど」
美月先輩に連れられ、俺も宴会場へ。
すでに結構な人数が集まっていた。
畳の上のテーブルに、大量のお菓子。
お茶、ジュース、そして酒。
「葵はジュースね」
「はい」
「未成年だからね」
「もちろんです」
「えらい」
高校時代の、友達と過ごした夜とは違う。
大人な先輩たちとの時間。
そして普段の飲み会とも違う、時間を共有している感覚。
朝から晩まで一緒にいると、自然と話す機会も多い。
それが、何か特別な関係性を作るらしい。
これはこれで新鮮で、良いものだ。
…と、ここで気づく。
恵先輩はみんなのところを回って話している。
美月先輩は動かず呑んでるが、常に周りに人がいる。
なるほど、適材適所というか。
では1年生はどうか。
知佳はまだ風呂のようだ。
真帆は風呂上りなのに、しっかりメイクして中心にいる。
「真帆って、いつもちゃんとメイクしてるよな」
「……女の子には色々あるの」
「そういうもの?」
「そういうもの」
「葵くん、そういうところだよ」
「え?」
なぜか突然、恵先輩に責められる。
「まあ、葵だからね」
美月先輩からも追撃が。
わけがわからないよ。
30分ほどしたとこで、知佳もやってきた。
わずかに上気したように見え、いつもと少し印象が違う。
いつもと少し違う雰囲気に、思わず目が向いた。
こういう一面が見れるのも、合宿ならではだな。
「知佳、こっちこっち」
美月先輩が手を上げる。
ほっとしたような表情で、知佳も俺たちの輪に。
「バーベキューから続いてるから、みんな騒がしいだろ」
「うん、みんな元気」
知佳がきょろきょろ周りを見回す。
「ホント、茉優ちゃんも来ればよかったのに」
「さすがに冗談でしょ?」
「6割ぐらいはな」
「それ、けっこう本気度高いような…」
「なになに、茉優ちゃんがなんだって?」
聞こえていたらしい。恵先輩が俺たちの方にやってきた。
「合宿来たいって行ってたらしいんですよ。それでわりとマジで誘おうかと」
「高校2年生の夏休みか。日程が合えば、遊びに来るくらいならできそうだね」
そういえば、あの子の第一印象は。
恵先輩を見て「すげぇ!」だったな。
う~ん、この2人の絡みも見てみたいな。
21時ごろ、恵先輩に声をかけられて集会場へ。
「夜中も音出せるし、個人練習にはもってこいだよ」
「そうですね。」
すでに何人かがギターやベースを鳴らしている。
ドラムセットは2組あるが、そのうちの1つにいつの間にか美月先輩が座っていた。
持参したスネアをセットし、今まさにテンションの調整をしている。
俺たちに気づいた美月先輩に手招きされて、部屋の奥の方へ。
見ると、端っこの方で知佳がキーボードを弄っている。
そういえば、いろんな機能を試してみたいと言っていた。
いくつか楽譜も持ってきていたが、なにやら難しそうだ。
前に北欧系のメロディックな音楽が好きと言っていたから、そっち系だろうか。
ギターの俺からのイメージでは、北欧系は変態なのが多くて手を出してないが。
知佳がいれば、ギターの負担を軽くして演奏できるかもしれない。
合宿初日にして、少し目標ができた。
俺は今日は、個人スキルのアップを目指して基礎錬をメインにする。
斜め前を見ると、チューニングを終えた恵先輩が5弦ベースを鳴らし始めた。
美月先輩はイヤホンを付け、リズムを確認しながらドラムを叩いている。
真帆はいない。きっと宴会だろう。
同じ場所にいても、過ごし方はそれぞれ。
それでも、誰かが鳴らした音に、別の誰かの音が自然に重なる。
そんな光景を眺めているだけでも、飽きなかった。
合宿初日の夜は更けていく。
23時を過ぎる頃には、集会室も少し落ち着いていた。
恵先輩と美月先輩はお風呂に向かうらしい。
俺もそろそろ行こうか。もう空いてるだろう。
「午前0時に再集合ね」
「え、またですか?」
「最後に軽く合わせて終わろう」
「わかりました」
知佳に声をかける。
お風呂は済ませてるので、今もキーボードを触っている。
「俺たち風呂行って0時集合だけど、知佳はどうする?」
「私はそれまで練習してる」
「ま、初日から飛ばしすぎないようにな」
「それは大丈夫。少し合わせたら部屋に戻るから」
「そうだな。じゃあまた後で」
「…葵」
「ん?なんだ?」
「……今日、楽しかった」
「ああ。楽しかった」
少し意外だった。
知佳の方から、そんなふうに言ってくれるとは思っていなかった。
「バス旅も、練習も、バーベキューも、お風呂も、自主練も」
「うん」
「……こういうの、初めてかも」
「合宿が?」
「うん。修学旅行はあったけど。…こんなに、ずっとみんなと一緒にいるのは」
「俺もだよ」
いつになくよく喋る。やっぱり楽しいと思ってくれてるようだ。
「大学って、こういうこともあるんだな」
「……そうだね」
知佳も、ほんの少し笑った。
「いきなり朝朝寝坊しないように気を付けんとな」
「朝、電話しようか?」
「それは嬉しいが、雑魚寝の男部屋で寝坊できるわけもない。踏まれる」
何気ない会話から、知佳との距離が近くなったのを実感した。
8月4日、午前6時半。
隣で寝てた同級生が起こしてくれた。
「ありがと、って、ちょっと早くない?」
「せっかく湖に来たんだし、風に当たりつつ軽く散歩しようと思ってな」
なるほど、それはいいな。
美味しい空気が吸えそうだ。
「じゃ、俺も行くよ」
結局、1年男子4人で連れ立って朝散歩。
神奈川とは違う、少しひんやりした空気。
少し風があり、湖のさざなみも聞こえる。
昨日たくさん練習して疲れていたが、今は心地いい。
のんびり歩いて、帰ってきた頃に朝食の準備がされていた。
焼き魚にほうれん草のお浸し、温泉卵に味噌汁など
民宿らしい朝食がなんとも言えず嬉しい。
よし。今日も頑張れそうだ。
午前の練習は、いつものメンバーだけではなかった。
普段あまり一緒に演奏しない先輩や、別の楽器を担当するメンバーとも組んでみることになった。
俺は、初めてまともに話す2年生のベーシストと組むことになった。
「葵くん、ギターお願いね」
「はい」
「じゃあ、ちょっと合わせてみようか」
最初はぎこちなかった。
テンポがずれる。
音がぶつかる。
互いに遠慮して、うまく主張できない。
けれど、何度か繰り返すうちに、少しずつ呼吸が合ってきた。
「良くなってきた気がする」
「ですね!」
俺も思わず声が大きくなった。
音楽を通じて、少しずつ人との繋がりができていく。
名前と顔を知っているだけだった先輩と、同じ曲を演奏している。
それは、思っていた以上に気持ちのいいことだった。
そして昼食を挿み、午後の練習。
「もうやるんです?」
「合宿だから」
「昨日も1日やってましたよね?」
「だから?」
恵が当然のように言う。
俺は問答無用でギターを手に取る。
…まぁ、楽しいからいいけど。
しばらく練習を続けていると、窓の外に動く影が見えた
見ると、何人かでバドミントンをしている。
どうやら、煮詰まった時の定番らしい。
午前中は集中練習。
午後はわりと自由な時間。
17時までの練習時間だが、16時過ぎあたりから別の行動に移る人が出てくる。
見れば、釣りに行く組。
湖へ行く組。
町へ買い出しに行く組。
宿に残る組。
自然に分かれる。
「全員で同じことをする」のではなく、
「同じ場所にいて、それぞれ好きなことをする」。
それが大学サークルらしい。
そして買い出しに行くってことは、ホントに毎日宴会やるんだな。
そして毎日深夜まで誰かが練習すんだろう。
今日の夜練習には、真帆も読んで曲の仕上げに向かおうと思った。




