第九話 身内の不始末として
四日後の午前、ボルネ男爵家の馬車がエイデット侯爵家の門を入った。
長旅の埃を落とす間も惜しんだらしく、二台とも車体は薄く白んでいる。先に降りたボルネ男爵は、出迎えたフリートへ歩み寄るなり頭を下げた。
「このたびは、当家の縁者が大変なご迷惑をお掛けいたしました」
後ろに続いた男爵夫人、ドナの父親も深く頭を下げる。
「まずは中へ」
フリートは短く答えた。
「事情を伺いたい」
別の馬車から降りた若い男は、少し離れた場所で帽子を取った。
「カストル男爵家のベルナー・カストルです」
「エイデット侯爵、フリートだ」
「存じております」
声は落ち着いていたが、長旅の疲れだけではないものが顔に残っている。
「自分は、記事にある女性の婚約者です」
マルンナが隣で小さく息をついた。
「中でお話ししましょう」
応接室には、ハイエスとマドリーも同席した。茶が運ばれたものの、誰もすぐには手を伸ばそうとはしない。
「本名は、ドナ・サドンデス、とおっしゃる」
フリートが確認する。
「はい」
答えたのは父親だった。
「レーダ・カモンは、地方紙へ投稿する際に使っていた名です」
「いつ頃から?」
マルンナが尋ねる。
「三年ほど前です。教育について短い文章を送るようになりまして」
「ご家族も、その名をご存じだったのね」
「筆名としては」
父親は膝の上で指を組み直した。
「本人も、家ではドナと名乗っておりました」
「あの子は、自分の名を嫌っていたのです」
男爵夫人が引き取る。
「古い、重い、聞こえがよくない、と幼い頃から」
「それで、筆名の方を気に入った」
「おそらくは」
ボルネ男爵は苦い顔をし、父親は深いため息をついた。
「まさか本名のように使うとは思っておりませんでした」
「これまでにも、自分に都合よく話を変えることはございましたか?」
マドリーが尋ねる。
三人の間に短い間があった。ベルナーが先に口を開く。
「……ありました」
父親が振り向く。
「ベルナー殿」
「ただ、今回ほど大きくなかっただけです」
「具体的には?」
フリートが聞く。
「俺との婚約が決まった時です」
ベルナーは茶へ手を伸ばさず、続けた。
「俺は領内の学校へ寄付をしました。《《伯父に勧められたから》》です」
「教育へ関心があったわけではない?」
「必要だとは思っていました。ですが、それ以上ではありません」
「ドナ嬢は?」
「《《自分の仕事を最初から理解し、支えようとしてくれた》》のだと」
マルンナは目を丸くして夫を見、そしてベルナーに問いかける。
「本当の理由は伝えたの?」
「はい、何度も」
「それでも?」
「照れているのだ、と言われました」
ハイエスが椅子へ深く座り直した。
「同じだな」
「ええ」
ベルナーの返事は早かった。
「彼女は人の言ったことより、自分が読み取ったことを信じるのです」
父親はいたたまれないように、顔を伏せた。
「婚約そのものは、本人も望んでいたのでしょう?」
「望んでいました」
「なら、あなたを嫌っていたわけでは」
「それは分かりません」
ベルナーはわずかに口元を歪めた。
「俺を見ていたのか、《《自分を理解する婚約者という役》》を見ていたのか」
応接室が静かになる。マルンナは卓上の砂糖壺へ目を落とした。
「あの…… 教師としては、どうだったの?」
「熱心でした」
父親がすぐに答える。
「通えない子供の家にも出向き、働きながら学びたい大人にも教えておりました。新聞を読めない老人には、毎週読み聞かせを」
「それは本人が講演で話した通りね」
「はい」
「それで、仕事を放り出したのは今回が初めて?」
「少なくとも、私どもの知る限りでは」
ボルネ男爵が答える。
「だから学校側も、母親の病気という話を信じたのでしょう」
「家には旅。学校には母親の看病」
フリートが言う。
「そして、王都では家庭教師」
「教師であること《《だけ》》は本当です」
男爵夫人がため息をついた。
「ですが、一つ本当のことがあると、他も信じてしまいます」
「新聞社もそうだったわ」
マルンナが言った。
「夫の記事をよく知っていた。礼状も本物だった。だから話まで本当らしく見えたのね」
ベルナーが初めて新聞社の話に反応した。
「最初に記事を書いた記者は?」
「中央通信社の若い記者です」
「会えますか」
「本人も責任を感じているからな」
フリートが答える。
「王都新報社のブリッジ夫人とともに、今後の確認に立ち会う予定だ」
「ありがたい!」
ボルネ男爵はもう一度、夫妻へ頭を下げた。
「侯爵閣下だけでなく、奥様やお嬢様のお名前まで新聞に出る騒ぎとなり、申し開きもございません」
「娘はまだ小さいので、詳しいことは分かりません」
マルンナは答えた。
「けれど、夫のことを知らない女性に、家族のことまで勝手に語られるのは気持ちのよいものではありませんわ」
「まことに」
「ただ、謝罪のためだけに遠路いらしたのではないでしょう?」
男爵は顔を上げ、マルンナを真っ直ぐみる。
「はい。ドナを連れ戻します」
「力ずくで?」
マドリーが尋ねる。
「必要であれば」
「ああ、そうやってしまうと、また勝手に話を作るわね」
男爵夫人が夫を見る。
「ふむ。侯爵家が真実を恐れ、身内へ圧力を掛けた、と」
「言いそうです。まことに失礼なことながら……」
父親の声は小さかった。ベルナーが椅子の背から身体を離す。
「だから、本人の前で一つずつ確認したいんです」
「そうだな、まずは本名」
フリートが言う。
「家族、仕事、婚約者のこと。そして私との関係」
「はい」
「新聞社にも立ち会わせよう」
「記録を残すためですか?」
「それもある」
フリートはベルナーを見る。
「彼女が後から、別の話を作った時のために」
確かに、と皆でうなずく。そんなことはしないとは、この場ににいる誰も言えなかった。
「それで、今現在の本人の居場所は?」
マルンナが尋ねる。
「王都の宿へ問い合わせました」
ベルナーが鞄から書き付けを出す。
「昨日までは戻っていたそうです。今朝は朝食後に出たと」
「行き先は?」
「王都新報社へ、新しい原稿を持っていくと」
フリートとマルンナは顔を見合わせた。
「まだ書いているのね」
「題も聞いております」
ベルナーは紙を見た。
「『公開講演を経て、深まった師弟の絆』」
ハイエスが吹き出した。
「深まったのかお前」
「あなた!」
マドリーがたしなめたが、扇の陰で口元が動いている。
「笑い事では」
ドナの父親が言いかけ、途中でやめた。
「申し訳ありません」
「いや、こちらこそ」
ハイエスは咳払いをした。
「しかし、強い娘だな」
「強いという言葉で済めばよいのですが……」
ボルネ男爵が額を押さえる。
「新報社には、男爵家から連絡してあるの?」
マルンナが尋ねる。
「写真を見た直後、本人が訪ねた場合は所在を知らせてほしいと通信を入れました」
「では、今頃気付いているかもしれないな……」
フリートは家令を呼んだ。
「王都新報社へ使いを。ドナ・サドンデスが訪ねていないか確認をしてくれ」
「かしこまりました」
「中央通信社にも知らせておこう」
家令が下がる。
「……見つかった場合は、こちらへ連れてくるのですか?」
父親が尋ねた。
「いや」
フリートは少し考えた。
「新聞社の会議室がいい」
「え、侯爵家ではなく?」
「彼女が自分の話を世へ出した場所だ」
そうね、とマルンナはうなずく。
「それに、ここへ連れてくると」
「ええ、侯爵家へ招かれた! と受け取って浮かれるでしょうね」
マドリーの言葉に、全員が黙った。
「では新聞社で」
ボルネ男爵が答える。
「こちらはいつでも動けます」
「俺もです」
ベルナーは迷わなかった。
「その前に確認しておきたい。君に」
フリートが彼を見る。
「本人が、侯爵との関係は無いことを認めないなら」
「婚約を続けるか、ですか?」
「ああ」
ベルナーはしばらく答えなかった。
「今日、決めるつもりはありませんでした」
「でした?」
「本人が俺との婚約まで、侯爵との恋を隠すためのものだったと言うなら」
彼はそこで一度、息をついた。
「解消します」
きっぱりとした言葉に、ドナの父親が顔を上げる。
「ベルナー殿……」
「俺は、侯爵に婚約者を奪われた男なんかではない」
声は静かだった。だが口元が微かに歪んでいる。
「婚約者に自分の立場と返事を勝手に書き換えられた男ではありますが」
マルンナは膝の上で手を重ねた。
自分達だけではない。この人もまた、ドナの物語の中で勝手な役を与えられている。
「分かりました」
フリートが答えた。
「本人の前で、すべて確認しましょう」
その時、廊下から小さな足音が近づいてきた。扉の隙間から、モネが顔を出す。
「おきゃくさま、まだ?」
「モーネ?」
マルンナが手招きする。
「お客様に、ご挨拶なさい」
モネは部屋へ入り、教えられた通りに小さく膝を曲げた。
「こんにちは」
ボルネ男爵夫人の顔がやわらぐ。
「こんにちは、お嬢様」
「おかし、たべる?」
「あとでいただきましょう」
モネは満足し、母親の隣へ寄る。男爵夫人はその姿を見たあと、もう一度マルンナへ頭を下げる。
「本当に、申し訳ございません」
「わたくしたちは、ここにおります」
マルンナは娘の肩を抱いた。
「夫も、娘も、義父母も。何も変わりはしません。彼女一人があれこれ言ったところで」
フリートも隣へ座る。
「ですが、だからこそ、これ以上は放置しない」
その時、玄関の方で馬の止まる音がした。ほどなく家令が戻ってくる。
「旦那様。王都新報社から使いが参りました」
全員が顔を上げた。
「レーダ・カモンを名乗る女性が、ただいま新報社におります」
ボルネ男爵が立ち上がる。
「間に合ったか!」
「新しい原稿の掲載を求め、応接室で待っているとのことです」
ハイエスがひゅっ、と小さく笑った。
「本人の方から待っていたわけだ」
「お義父様……」
「今度は笑っておらんぞ?」
「少し笑っていますよ」
フリートは立ち上がり、妻へ手を差し出した。
「行こう」
「ええ」
ベルナーも上着を取る。
ドナの父親は一度目を閉じ、それから席を立った。
「今度こそ、話を聞かせます」
マドリーはモネを抱き上げる。
「二人とも、こちらは任せなさいね」
「早く戻ります」
「できれば夕食までに」
「努力します」
モネが父親へ手を振る。
「おとうさま、おしごと?」
「ああ」
「おかし、のこす?」
「頼む」
侯爵夫妻とボルネ男爵一行、ベルナーは玄関へ向かった。
そして新報社の応接室では、ドナ・サドンデスがレーダ・カモンとして、三杯目の茶を待っていた。




